亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘碑文’ Category

大村益次郎銅像銘文 解説

03.28.2015 · Posted in 碑文

DSC_0036

大村益次郎の銅像を見に行った。に書かれていた解説をもらいに行った。 駐車場の受付(?)ではもらえなかった。 いろいろ人に聞いてやっと受け取ることができた。 内容は同じようで微妙に違う。 原文は載せてほしかった。

あと、碑文だが、円筒状になっていて高いところにあるために非常に読みにくく、かつ、写真にとりにくい。 逆光になるとまあ普通のスマホでは写せない。 一眼レフ持ってかないとだめだわ。


嗚呼此故兵部大輔贈從三位大村君之像也方顙圓頤眉軒目張凛乎如生使人想其風采君諱永敏稱益次郎長門藩士性沈毅有大志夙講泰西兵法擢為兵學教授尋參藩政釐革兵制慶應二年之役守藩北境連戦皆捷戊辰中興徴為軍防事務局判事時幕府殘黨據東叡山方命君獻策討而殲之尋征奥羽平函舘君皆參其帷幄以功賜禄千五百石陞任兵部大輔大定陸海軍制之基礎明治二年在京師為兇人所戕薨年四十七

天皇震悼贈位賜賻後又授爵榮子孫頃者故舊相謀造立銅像以表其偉勲以余知君尤深記其概略若夫平生事業具載其郷圓山墓碑嗚呼像之與碑君之功名可共不朽

明治廿一年六月

内大臣従一位大勲位公爵 三條實美撰并書

どうでもいいっちゃいいんだが、実際に目で「函館」は「函舘」であることを確かめた。

「方命」は天子の命にさからうことと辞書にある。 孟子に「方命虐民」とあるらしい。 この「方」は「妨」もしくは「放」の意味か。

大村益次郎銅像銘文 解説 はコメントを受け付けていません。

広開土王碑文

12.31.2009 · Posted in 碑文

百殘新羅舊是屬民由來朝貢而倭以耒卯年來渡海破百殘加羅新羅以為臣民

広開土王碑文 はコメントを受け付けていません。

楠公銅像

12.30.2009 · Posted in 碑文

自臣祖先友信開伊
豫別子山銅坑子
孫継業二百年亡
兄友忠深感國恩
欲用其銅鋳造楠公
正成像献之闕下
蒙允未果臣継其志
薫工事及功竣謹献
明治三十年一月
従五位臣住友吉左衛門謹識

※「臣」は小字。

読み下し

臣の祖先・友信、伊豫・別子山銅坑を開きてより、 子孫、業を継ぎ二百年、 亡兄・友忠、深く国恩を感じ、其の銅を用いて楠公正成の像を鋳造し、 之を闕下に献ぜんと欲するも、 允(ゆる)しを蒙むりて未だ果たさず。 臣、其の志を継ぎ、工事を薫し、功竣に及び、謹しみて献ず。

明治三十年一月

従五位 臣住友吉左衛門、謹みて識す

現代語訳

私の祖先・友信(住友友信 (1647 – 1706) 住友家3代当主)が伊予国・別子銅山を開いて以来、 子孫は代々二百年の間その業を継ぎました。 私の亡くなった兄・友忠(住友友忠 (? – 1890) 住友家13代当主)は、深くその国恩を感じ、 その銅を用いて楠木正成公の像を鋳造し、 朝廷の城下に献上しようと思い、その許可はいただきましたが未だ果たさずにいました。 私はその亡き兄の志を継ぎ、工事を監督し、竣功に及んだので、ここに謹んで献上します。

明治三十年一月

従五位 私、住友吉左衛門(住友吉左衛門 (1865 – 1926) 住友家15代当主住友友純が、謹んで記します。

参考

幕末維新懐古談 楠公銅像の事 高村光雲

楠公銅像 はコメントを受け付けていません。

上野大震災視察碑文

12.30.2009 · Posted in 碑文

大正十二年九月十五日
攝政殿下大震災ノ惨状御
視察ニ際シ畏クモ此地ヨ
リ御展望遊サレ被害ノ情
況ヲ聞召サル越エテ七歳
昭和五年三月二十四日
天皇陛下此二臨御アラセ
ラレ親シク街衢ノ復興ヲ
矕ハセ給フ乃チ石ヲ此處
ニ樹テ以テ 聖恩ヲ不朽
ニ傳ヘントス


大正十二年九月十五日摂政殿下(昭和天皇)大震災ノ惨状御視察に際して畏くも この地よりご展望遊ばされ、被害の情況を聞こし召さる。 越えて七歳、昭和五年三月二十四日、天皇陛下此こに臨御あらせられ、 親しく街衢(がいく。町のちまた)の復興をみそなわせたまう。 乃ち石をここに建てて、聖恩を不朽に伝えむとす。

「攝政殿下」「天皇陛下」に闕字が使われている。

上野大震災視察碑文 はコメントを受け付けていません。

上野西郷隆盛像碑文

12.30.2009 · Posted in 碑文

西郷隆盛君之偉功在
人耳目不須復賛述前
年 勅特追贈正三位
 天恩優渥衆莫不感
激故吉井友實輿同志
謀鑄銅像以表追慕之
情 朝旨賜金佽費捐
資賛此擧者二萬五千
餘人明治二十六年起
工至三十年而竣乃建
之上野山王臺記事由
以傅後


西郷隆盛君の偉功については皆さんご存じでしょうから、 改めて讃え述べることもないでしょう。 前年、勅によって特別に正三位を追贈され、 天恩が手厚いことに皆感激しないことはありませんでした。 故に、吉井友実は同志とともに銅像を鋳造し、追慕の情を表すことを計画しました。 朝廷から金銭を賜り費用に充てよとのご意向があって、 この挙に賛同し義捐金を拠出した者が二万五千人余りあり、 明治二十六年に起工し、明治三十年に至って竣工し、 これを上野山王台に建てて事由を記し、以て後世に伝えます。

「勅」「天恩」「朝旨」などに闕字が使われている。

上野西郷隆盛像碑文 はコメントを受け付けていません。