亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘漢詩’ Category

平仄

03.22.2013 · Posted in 漢詩

漢詩を作ったり、漢詩作成支援ソフトなど作ったりしているので、 気になるのだが、 通常「平仄」という言葉は、 「平仄が合わない」とか「平仄を合わせる」という言い方をすると思う。

で会議に出ていて気になったのだが、 規約の言葉遣いを整合させることを「平仄合わせで」とか「平仄が合う」とか「平仄を直す」とか「平仄を正す」などというのが、 気になった。 また、Aである、ただしBの場合Cである、とかいうような複雑な規約を矛盾無く作ろうとすることも 「平仄を合わせる」とかいうようである。

いきおい、規則の条文を整えること全般を「平仄を合わせる」などと言っていて、 会議の途中「平仄」という言葉を聞くたびにびくりとする。

で、自分がどういう使い方をしているか気になって調べてみたら、 「平仄や押韻は適当なようだ」 「平仄はちょっとおかしいが、韻は一応踏んでるようだ」 「意味によって平仄が変わる漢字をなんとかしたい」 「平仄がいまいち」 「平仄はいい加減」 「押韻も平仄も割とちゃんとしている」 「平仄はやや乱調かと思うが、ちゃんと押韻している」 「平仄は完全とは言えない」 「平仄はやかましく言わない」 「押韻も平仄もきちんとしている」 「押韻も対句も平仄もほぼ完璧」 「平仄がなんだか変だ」 「平仄も押韻もめちゃくちゃ」 「平仄を守っている」 「平仄はでたらめ」 「押韻や平仄などが厳密に守られた詩」 などという言い方をしている。

「平仄があってない」 「平仄と押韻のあうように考えればよろしい」 「平仄を合わせる」 などと言っていることもある。

毛沢東の詩で 「竜虎盤踞」を「虎踞龍盤」としたり、 「天地翻覆」を「天翻地覆」としたりしているのは、 二六対、二四不同などのルールを守るため、字を入れ替えているのであって、 私はこういうのは好きじゃないのであまりやらないが (「砂石」を「石砂」にしたり、「片雲」を「雲片」にしたりとか、あまり露骨にならない程度にはやることがある)、 「平仄を合わせる」 の原義は「文字の配列を入れ替えて音韻規則に合うようにする」 ということだろうと思う。

でまあ、 私の中では、 「平仄が合わない」というのは「つじつまが合わない」、 「平仄を合わせる」というのは「つまらぬ小手先のルールにこだわる、体裁にこだわる」という、いずれにせよネガティブな意味があって、 「校正する」とか「推敲する」のようなポジティブな意味に使われると違和感があるのだろう。 推敲、も作詩に由来する言葉だが。 あるいは漢詩を作ったこともない人が、安易に「AをBとすれば平仄が合う」などと言っているのがいやなのだろう。

どうも、法律関連のジャーゴンで「平仄」と言うことがあるのかなと思い、 検索してみると、はたして

規定と平仄をとった文言修正

規則第4条の改正に平仄を合わせ

財務諸表等規則に平仄を合わせるべき

などとあるから、たぶん法人本部とか法務部ではよく使われている言葉なのだろうな。 うー。 「整合をとる」という意味で「平仄をとる」とは言ってほしくないかもなあ。 「Aに整合させる」という意味で「Aに平仄を合わせる」という言い方もなんか間違ってる気がする。

追記: ネットからも少し例文を拾ってきた。

規制行政庁と全体的に取り入れ方針については平仄をとりながら対応していくということになるのではないかと思っております。

若干報告書案内での平仄合わせで記入しましたところが、

この中で「安全性の妥当性」という表現を使っておりますので、これと平仄を合わせて「安全性の妥当性について判断する」という形で記載の平仄を合わさせていただいております。

法務省の規則案にも登載しておる文書でございますので、平仄合わせで登載をしております。

つまりAという基準となる条文がすでにあって、あたらにBという報告書等を作るときなどに、 Aとの平仄合わせでBにこれこれという記載をする、などというらしい。

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漢詩とか。

08.19.2012 · Posted in 漢詩

松下緑『漢詩に遊ぶ 読んで楽しい七五訳』を読む。 なるほど、井伏鱒二が「人生足別離」を「さよならだけが人生だ」と訳し、 それを太宰治がいつも口ずさんでいた、のはまあ良いとして、 また、漢詩には七五調で訳するとしっくりくるものも中にはあるだろうけど、 あまりに普遍化するのはどうかと思わされる。

たとえば詩経の「桃之夭夭」を「桃はいきいきその実はつぶら」などと訳しているのが、 どうもなあ。 あまりやり過ぎると、七五調というやつは、演歌か童謡みたいになってしまう。 戦前安易に七五調が使われすぎ、 それが戦後の演歌にも残ったのだ。 その危険性を知った上でやらんとかなりやばいと思う。 漢詩を詩吟にしてさらに七五調にすれば日本人にはより受け入れられやすいのだろうけど、 私は元々和歌が好きだから、漢詩に和歌のようなものは求めていない。 漢詩は漢詩、和歌は和歌として楽しみたいのだ。

漢詩は定型詩で韻を踏んでいるのだから、むしろそのあたりの韻律を残す形で訳した方がいいのではなかろうか。

実は昔オマル・ハイヤームのルバイを七五調で訳したことがあって、 忠実に訳してもあまりおもしろくない、もとのイラン語から訳すならともかく、 日本語をいじっただけでは意味がないので、かなり意訳したりしたが、 割と元の詩に似ていて良く出来ていると思うのはこれだ。

つちのうつはとつくられし
ひとのいのちははかもなし
ちよにめぐれるあめつちの
かみのまことはしりがたし

セルジューク戦記に使ってある。

もひとつ、森本哲郎「中国詩経の旅」というのを読んだ。 与謝蕪村に中国の情景を詠んだ俳句があるそうで、それでわざわざ中国に行ってしまったらしいのだが、 俳句と漢詩を並べて書かれると私などは面白いと思う以前に困ってしまう。 和漢朗詠集の前例もあるわけだが。

漢詩は一番短くても五言絶句。或いは七言絶句。 五言絶句は少し謎かけめいているが俳句に比べればずっと具体的。 七言絶句だとさらに説明的になり、連綿たる詩歌というのに近づく。 俳句はときとして禅問答のようであり、しかもわざと難解な句を解釈してみせて喜ぶようなところがある。 日本人はなぜか俳句が大好きだが、私はあまりシンパシーを感じられない。 たぶん外国人に俳句のどこがよいのかと聞かれても私には答えられないと思う。

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碧海青天夜夜心

08.10.2012 · Posted in 漢詩

いいちこのキャッチコピーに見つけた。李商隠の嫦娥という詩。

雲母屏風燭影深
長河漸落曉星沈
嫦娥應悔偸靈藥
碧海青天夜夜心

わかるようでわからない。長河が天の川だというのはわかるのだが、夜の情景かと思うと青天とある。夜空を青天などというだろうか。 解せない。 「夜夜心」というのがわけわからない。毎夜の心情、ということか。独特な叙情的な詩を作る人だったのだろう。

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白石詩草

03.28.2012 · Posted in 漢詩

日本古典文学大系に新井白石の詩がのっている。もとは「白石詩草」に収められている。 早稲田大学 でJPEGとPDFが公開されている。 楷書できちんと書いてあるので読むのは容易だが、意味はわかりにくい。

彼が吉原を詠んだらしい詩がある。吉原だろうと思うが確信できない。 「紀使君園中八首」の中の一つ、「芳草原」という詩で、

春入芳原上
青青襯歩鞋
佳人来闘草
応賭鳳凰釵

吉原に春が来る。素足に青々とした草履を履いた美しい女性がきて草合わせで遊ぶ。鳳凰のかんざしを賭けよう。 まあ、そんな意味であって、吉原だろうなと思う。 題の「芳草原」だが、これは、八首の題を三字にそろえるためであり、意味は「芳原」だろうと思う。 「春入芳原上」だが、「春が吉原の上に入る」というのはわかりにくい。「上」は「ほとり」というような意味かもしれん。 「學步鞋」とは「学童のスリッパ」のことらしい。 「歩鞋ヲ襯ス」と朱筆で訓点がついてたので、「歩鞋」という単語があるのだろうと思う。 「青青歩鞋」だが、新しい若草で編んだ草履、という意味だろうか。 だとするといかにも春らしいが。 「紀使君園」というのがよくわからん。朱筆が入っていて「紀」「使君」「園中」と切れる。紀州の使君の庭園か。 「紀使君」という人が詠んだ詩なのか。 あるいは、そういう名前の吉原の店があったのか。

新井白石が吉原で遊んだことがあるとすれば、また彼自身の用例からして「芳洲」が「吉原」を指すと判断できるだろう。 たとえば頼山陽は出島のことを「扇洲」と呼んでいる。「富士山」を「富嶽」と言い換えたり、 「隅田川」を「墨水」と表現したり、江戸時代の漢詩ではこのように、日本名を漢語風に言い換えるのが当たり前だった。

日本古典文学大系では「芳洲」を謝眺や李白などの中国の詩人の用例から「良い香りのする中洲」と訳している。 果たしてそうだろうか。

そもそもこんな楽しげな詩はまったく収められてない。 こむつかしい詩ばかりだ。

思うに江戸時代の文人にとって漢文・漢語というのは中国語そのものであり、 中国の歴史でもあり、実学だったと思う。 だから、学ぶだけの価値があった。 遊びではなかった。 漢文・漢語は、明治に入ってから語学や中国語会話という役目を失い、 戦後もずっとそうだった。 しかし、これから中国語を学ぶ必要性や機会が増えると、 漢文を学ぶ意味も変わってくる。 そして、いったん、たんなる古文古典となってしまった漢文教育を、 一から見直す必要に迫られるだろう。

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03.26.2012 · Posted in 漢詩

「過」には平仄で言うと「箇」と「歌」の二種類があり、 「箇」の方は過ぎる、の他に誤りとか罪の意味がある。 「歌」の方は過ぎる、の他に立ち寄る、訪れるの意味がある。 「百代の過客」などと言うが、この「過客」は、通り過ぎるとも訪れるとも解される。 ややこしい。 しかしいずれにしても「旅人」という意味になる。

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大塩平八郎と王陽明

03.25.2012 · Posted in 漢詩

大塩平八郎の詩に

春暁城中春睡衆
遶檐燕雀声虚哢
非上高楼撞巨鐘
桑楡日暮猶昏夢

というのがあるが、これは王陽明の「睡起偶成」という詩

四十餘年睡夢中
而今醒眼始朦朧
不知日已過卓午
起向高樓撞曉鐘

にちなむのであろうと今気付いた。 大塩平八郎は「小陽明」と自称していた。

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甲陽

03.25.2012 · Posted in 漢詩

洛陽とか漢陽などと言う。 洛陽は洛水という川の北にあるからである。 武漢の漢陽は漢水の北にあるからだし、ソウルを漢陽とも言うのは、漢江が南に流れている都市だからだ。 「陽」とは本来は、北が高く南が低い土地のことで、南に川が流れていて北に山があれば自然とそういう地形になる。 日当たりが良い土地のことを「陽」と言う。 中国では昔からそのような地形の場所に王城を築くことが多かった。

で、甲陽だが、この地名は神戸にある。 要するに、六甲山の南麓にあるという意味だろう。

「甲陽軍鑑」の「甲陽」も、おそらく同じような理屈で名付けたのではないか、 甲府盆地の北側の辺りを言うのではなかろうかと思うが、そのような説を見かけない。

実際、武田信玄の居城である「躑躅ヶ崎館」というのは、甲府盆地の北側、県庁舎や山梨大学よりもさらに北のあたりにあった。

荻生徂徠の詩に「還館口号」というのがあり、

甲陽美酒緑葡萄
霜露三更湿客袍
須識良宵天下少
芙蓉峰上一輪高

やはり、葡萄畑というのは、日当たりのよい「甲陽」にあるのではなかろうか。 緑色の葡萄酒というのは、おそらくは白ワインのことではなかろうか。 白ワインはやや黄色味を帯びているので、緑と表現しても良いかもしれん。 「芙蓉峰」は富士山のこと。

新井白石の「春日作」という詩でも、

楊柳花飛江水流
王孫草色遍芳洲
金罍美酒葡萄緑
不酔青春不解愁

とある。「金罍」は黄金の酒壺という意味。 「楊柳花」は柳の花で、「王孫草」はツクバネソウのこと。 「江水」はおそらくは隅田川だと思うが自信がない。 「芳洲」はおそらくは吉原、もしくは芳町(元吉原)ではなかろうか。「洲」には島とか中州の意味がある。 吉原の地形はお歯黒どぶに囲まれていてまさに「洲」である。「芳」と「吉」は通じる。 となると、おそらく吉原の情景を詠んだのではなかろうか、と思われてくるのである。 でまあ、この「春日作」は詩吟で有名らしいのだが、 私の解釈で訳してみると、 「山谷堀を通って川船で吉原へ向かうと、岸の柳並木の花が飛んで隅田川に流れていく。日本堤はツクバネソウで緑一色だ。郭に登って黄金の酒壺に入った緑色の葡萄酒を飲む。春に酔わねば、憂さを晴らせない。」となってずいぶん違う。

「緑ワイン」で検索すると、Vihno Verde というポルトガルのワインがあるそうだ。 英語版の wikipedia によれば、熟成させたワインに対して新酒のワイン。 樽に詰めて一年以内、赤、白、ロゼもあり得て、若干発泡性であるようだ。

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03.17.2012 · Posted in 漢詩

「是」は難しい。

漢和辞典を見ると、「是」は「これ」「この」という指示代名詞であると書いてある。または「ただす」という意味だと。 しかし中日辞典では、たしかに書き言葉として「是日(この日)」という使い方もあるにはある。 たとえば李白の詩に「疑是地上霜」というのがある。 また杜牧「無人知是荔枝來」とあり、伊達政宗に「不楽是如何」などがあって、これらはいずれも「これ」と訳すことができる。

「ただしい」「ただす」という意味では「是古非今」という例が挙げられているが、これもマイナーである。 これはほとんど例がない。

「是」は主に「である」という意味に使われる。 いわゆる英語の be動詞にあたる。

我是日本人

とか。あるいは、

他不是老師

とか。あるいは、

誰是友

とか。このように人称代名詞 + 是 + 補語、という場合が一般的、使って間違いない。 しかし思うに、「我不是日本人」を「我非日本人」と言ってはならないのか。いいのか。よく分からない。 或いは「我是日本人」を「我日本人」と言ってはいけないのか。あるいはありなのか。これもよくわからない。

良寛の詩に「我詩非是詩」とあるが、これは明らかに文法的に間違っているだろう。 「不是」とは言っても、「非是」と言う言い方はしない、と中日辞典には書いてある。 たぶん「我が詩はこれ詩にあらず」と読ませたいのだろうが、 「我詩不是詩」と書いて「我が詩は詩ではない」と解釈させるのが無難だ。

毛沢東の詩に「人間正道是滄桑」とある。 「世の中のうつりかわりは激しいものだ」という意味になる。これも be動詞的。 「疑是地上霜」も「月光是地上霜」というように be動詞的にも解釈可。 「江上客不是故郷人」「西北是融州」などというのもある。

思うに、「是」を漢詩で「これ」とか「この」という意味に使うのはさけた方がよい。 というか、そういうふうに解釈しないことが多い。 「是」を「A is B」の意味に、「誰是」を「who is X」の意味に、「不是」を「A is not B」の意味に使うのは良い。 「非」はあまり使われない。使わない方がよい。「非」を使うくらいなら「不是」を使った方がよい。 「非」には咎めるような意味合いが込められているのだろう。陶淵明の「富貴非我願」、くらいか。 これも「富貴不是我願」と書いて特に問題はあるまい。 王安石の「遥知不是雪」も、明らかに、「是は雪ではない」ではなく単に「雪ではない」と解すべき。 これを「遥知非雪」とすると、なんだか雪であることが悪いことのように思えるのだろう。

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八股文と五言排律

03.17.2012 · Posted in 漢詩

岩波文庫の「唐詩選(中)」を読んでいて気付いたのだが、 四書題(八股文)と五言排律とはその文書構造が酷似している。 どちらも科挙に出題される。 偶然の一致とは思えない。

というわけで、 帝都春暦 に少し加筆した。

wikipedia 八股文

三田村泰助(1976)は、詩人である劉基が官僚に必要な最低限の文学的素養としてこの律詩に似た形式を採用したのではないか

とあるように、律詩に似ているという見方はすでにあったものと思われる。

ただ、劉基というのは明初の朱元璋の軍使であり、そんなに早期から八股文の形式が定まっていたとは考えにくい。 明の四書題を参考に、清が似たような出題をして、それに対する受験対策として、八股文がだんだんと成立していき、 清末にようやく定型化された、と考えるべきだろう。

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