亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘漢詩’ Category

偶作

07.19.2011 · Posted in 漢詩

毎夜巡巷間 連夜巷間を巡り
如浴喫麦酒 浴びるが如く麦酒を喫す
今日受業報 今日業報を受け
不能再飲矣 再び飲むあたはざるかな

いまいち。

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寺門静軒、成島柳北

11.06.2010 · Posted in 漢詩, 読書

前田愛著『成島柳北』を読み始める。かなり固い文体だが、面白そうだ。

寺門静軒著『江戸繁昌記』。めちゃくちゃ面白い。たとえば、「金竜山浅草寺」。

都下、香火の地、浅草寺をもって第一となす。肩摩甑撃、人の賽詣、未だかつて一刻の間に絶えず。雷神門、正南に面す。丹碧こもごも輝き、甍楹すこぶる盛んなり。

今の浅草の情景と、まったく同じだ。それが天保年間の文体で書かれている。すごくぞくぞくする。

成島柳北著『柳橋新誌』。これも良い。すごく良い。

すなわち、今の柳橋は、また深川の死灰再び燃ゆるものにして、その盛、ほとんどその旧に継ぐといふ。ああ、今にしてその盛を記せずんば、すなわちまた五十年を過ぎ、いづくんぞ知らん、凋零して今日にしかざるを。

ああ、柳橋。

柳北詩文集。

雨余の樹色、清きこと沐するが如く
蒲扇葛巾、涼、掬すべし
翠柳街頭、月半稜
児童相い伴ひて蝙蝠を呼ぶ

雨が降った後の樹木の色は沐浴したように清らかだ。 ガマの葉で作った扇子と葛の布で作った頭巾を夜店に買って納涼する。 翠の柳、街頭の空には、半月が浮かんでいる。 こどもたちは連れだってコウモリが飛ぶのを騒いでいる。

うーん。すばらしいねえ。

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風騒集

02.25.2010 · Posted in 漢詩

陳舜臣の漢詩集。 日本語の詩も少々。

波斯

歴山攻陥帝王台
遥望波斯已劫灰

歴山はアレキサンダー。 波斯はペルシャまたはペルセポリス。 「アレキサンダーは帝王の王宮を攻略して落とした。 遥かに望めばペルセポリスはすでに灰燼に帰した。」 というような意味。うーん。なんかすげえかっちょいい詩だよな。

那爛陀遺跡所懐

大唐玄奘慕浮図
葱嶺流砂不惜躯

那爛陀はナーランダ。 浮図はブッダ。 葱嶺はパミール。 「大唐の玄奘は仏教を慕い、パミール高原にも流砂にも身を惜しまなかった」うんぬん。

伊斯担堡

海峡西東欧亜分
蒼穹無際水無紋

伊斯担堡はイスタンブール。 「イスタンブールのボスポラス海峡はヨーロッパとアジアを隔て、青空は果てしなく、水は波紋もない」うんぬん。

うーん。まあだいたいこんな感じ。 なんとも言いようがない。

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楠公別子図

10.29.2007 · Posted in 漢詩

頼山陽詩集など読んでいると、「楠公別子図」という題で「海甸の陰風、草木腥し」というのがある。 乃木将軍の「山川草木転た荒涼、十里風腥し新戦場」によくにている。 ちょっと驚いた。乃木希典が頼山陽の詩を読んでないわけがなく本歌取りのようなものか。 そう思って読むと乃木将軍の詩は頼山陽に比べると軽いというか、新聞の三行広告的というか、明治の軍人的な勇ましさがみえるように思えてくる。 郭沫若が「日本人が作った漢詩の最高傑作である」と絶賛したそうだが、さて。 私もずっとそういうもんかと思っていたが。 そうしてみていくと「金州城外立斜陽」の辺りも菅茶山「送別」の中の「斜陽満古城」から来ているのかと疑われるくらいだ。

「嗚呼忠臣楠氏之墓」と言ったのは、頼山陽の詩ではなく、明朝の儒学者・朱瞬水で題字は水戸光圀だったのだな。

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山居

02.22.2001 · Posted in 漢詩

「釣月耕雲慕古風」に関しては 961208000306 などで考察して来たのだが,インターネットもずいぶん広くなったようで, 明確な出典が見つかった. 道元の漢詩だった. 思ったよりも古くて大物だったな.

山居(さんご) 
西来祖道我伝東 西来の祖道我東に伝ふ 
釣月耕雲慕古風 釣月耕雲古風を慕ふ
世俗紅塵飛不到 世俗の紅塵飛べども到らず 
深山雪夜草菴中 深山雪夜草菴のうち 

道元というひと,それからこの漢詩の前後の文脈から,だいぶはっきりしたことがわかる. おそらく「釣月耕雲」というのは,後世の人間どもがこねくりまわした「禅問答」じみた意味ではなくて,俗世間を離れた山奥の静かで質素な勤労生活のことを言っているのだと思う. つまりこの四行の詩は全体に非常に具体的で単純明快なことを言っているのであって,「釣月耕雲」の部分だけになにか深淵な謎がかけられているとは考えにくい. 「耕雲」というのはつまり雲が眼下に広がってるような高原の畑を耕している光景が思い浮かぶし,「釣月」というのは夜水面に映った月に釣り糸をたれているような感じがある. しかし,禅宗とか道元というのはかなり保守的な仏教のように思うので,魚を釣って食べたというのは少し考え難い. ここに疑問が残る. が,しかし,鎌倉仏教というものは,肉食はしなくとも川魚くらいは食べたかもしれん. 江戸時代までの日本人はだいたいそういうもんだし. 「紅塵」というのは繁華な市街の土ぼこり,つまり「俗塵」のこと. 山の上には俗世間の塵が飛んでもとどかないということだね.

台湾の高雄にも「曲橋釣月」という名所があるそうだ. しかし台湾の中国の歴史というのはせいぜい清朝からこちらだし,日本の植民地だったこともあるので,日本の禅宗の影響を受けている可能性は非常に高い. であるから,「釣月耕雲」というのは,すでに中国語にあった慣用句というよりは,道元の「独創」であるというので間違いないのではないか.

で,私の爺さんがなぜ「釣月耕雲慕古風」を掛け軸にしていたかということだが,禅はずいぶん好きだったようだし,そのころ京都に本部がある日本剣道連盟と喧嘩別れしたということもあったようだから,世俗の評判や名声などは気にかけず,田舎でひたすら古武道を探求する,というような心境だったのではなかろうか,と推察される.

松尾芭蕉が初めて句集を編んだのが「釣月庵」というそうだ.

追記: 道元 永平広録 巻十 偈頌

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田中角栄の漢詩

09.17.1997 · Posted in 漢詩

1972 年に田中角栄が北京で作った,七言絶句.

国交途絶幾星霜
修交再開秋将到
隣人眼温吾人迎
北京空晴秋気深

丸谷才一の「日本語のために」という本に載っている. 中国人は出来栄えはともかく喜んだんだそうだ(と陳舜臣が指摘したそうだ).

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釣月耕雲慕古風

12.08.1996 · Posted in 漢詩

私の部屋には,「釣月耕雲慕古風」と書かれた軸が掛かっている. 床の間なぞないので,壁に直接,西日が当たらないあたりに掛けている. じいさんが昭和 45 年くらいに書いたものである. なかなか勢いがある,若々しい書体で,わりと良く掛けて眺めてたらしいから,当人も思い入れがあったんだろう. 「月を釣り雲を耕し古風を慕う」というのは,漢詩の一句なんだろうが,誰の詩なのかわからない. どうも中国人の詩にしてはあまりに浪漫的というかボッカ的というか. もしかすると近世の日本人の作った詩かもしれん.

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