亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘雑感’ Category

09.22.2017 · Posted in 雑感

「エウメネス4」はまったく売れてない。 しかし1とか2はぼつぼつ売れている(いつも通りともいえる)。 たぶん「エウメネス4」の内容紹介がいきなりエパメイノンダスとかアンティパトロスとかカッサンドロスとかなので、 4を読む前にとりあえず1読むか、みたいな気にさせているのかもしれない。新規の読者の場合・・・。

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大日本帝国の残留思念

09.22.2017 · Posted in 雑感

核開発して原爆をアメリカに投下しようなんてことは戦前の日本でも考えていたことで、 敗戦と、アメリカとの軍事同盟で、日本ではそんなことをいう人はほとんどいなくなったが、 中国、ロシア圏に取り込まれた北朝鮮ではそういう反米思想がそのまま純粋な形で70年間生き残っていて、 金正恩は大日本帝国の残留思念みたいなものだと考えれば、全然納得できる。

中国、ロシア、アメリカとの距離関係で、台湾は比較的親日になり、韓国や北朝鮮は反日、北朝鮮は反米になっているが、 もとをただせばやはりいずれも「日帝残滓」なのだと思う。

それで天皇皇后が埼玉の高麗神社を参拝したというのを、日本のメディアではなくて、韓国のメディアが大きく採り上げているのは非常に興味ぶかい。 鳩山由紀夫がなんかモゴモゴ言っているのも彼が韓国メディアのほうにひっぱられている証拠でもある。

私としては、天皇の戦争やめなさいというメッセージとは思わない。もちろんそういう意味も含まれているだろうが、 本質は、そろそろマジで戦争になりますよという、国民への天皇の警告なのだろうと思う。 そういう報告を安倍首相からも受けているのだろう。 おなじようなことを開戦前夜の明治天皇も昭和天皇もやっている。

北朝鮮の核開発が大日本帝国の残留思念であるとすれば、それを宥めるにはどうしたらよいか、ということは比較的簡単に導き出されるだろう。日本はすでに核開発を断念しているのだから。どのような形をとるかしれないが、北朝鮮もいずれ日本と同じ道をたどる。

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箱根

09.21.2017 · Posted in 雑感

箱根には箱根で、いろんな利権が渦巻いているようで、しかし国際的な観光地であるから、中国人とか中国人とか中国人とかがわらわら押しかけているせいで、観光客慣れしている。

大涌谷が噴火して以来、箱根は荒ぶる山となって秘境感が増大した。 身の危険を感じる硫黄臭も増大した。 登山道が閉鎖されたり時間制限されたりして以前より不便さは増しているのだが、 観光地としての価値もまた比例して増しているように思われる。 やはり安易に登れる山より難易度の高い山のほうがありがたみがある。

箱根湯本までではわからん不便さというものがその先にはあるのだなあ。 強羅まではなんとか。しかしその先は、よくまあこんなところ開発したなというような山岳地帯。

下界に降りてきた安堵いうものがある。

箱根ロープウェイの料金はとても高いので、二人とか三人で、ケーブルカーとロープウェイを乗り継いで移動するときは、タクシーに乗ったほうが割安だ(もちろんロープウェイの眺望にはそれなりの価値があるのだが、単なる移動手段としてみると、高い)。 箱根は実際に道を歩いてみないとわからんことが多い。 しかし歩くとそうとう太股の筋肉を酷使することになる。 また、道が通じているようで通じてない箇所がある。 坂道を引き返したりして体力を予想外に削られることがある。 素直にタクシーに乗ったほうがよい。

思うに、都心ではタクシーに乗る必然性はあまりない。電車に乗ればいいからだ。 山はタクシーに乗った方が便利だが、普通、山にはタクシーはいないし道も舗装されてない。 しかし箱根は違う。道は通っているしタクシーはじゃんじゃんいるのだ。 箱根こそタクシーに乗るべき。

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箱根ロープウェイ

09.21.2017 · Posted in 雑感

今、箱根の大涌谷は17:00以降道路が閉鎖されていて、箱根ロープウェイも17:00が「終電」。なんなのだそれは。 不便極まりないではないか。 大涌谷が「噴火」してしばらく通行止めでその余波で今もそういう措置がとられているらしい。 仕方がないのでタクシーに乗ったのだが、タクシーは非常に便利だ。 あとはバスか。1時間に1本は出ているので計画的に利用すればそんな不便でもない。 まあ多少金に余裕があれば箱根なんてそんな広いわけじゃなし、タクシーで回ったほうがよいのだろう。自家用車を維持する費用に比べれば箱根で使うタクシー代など誤差だ。

タクシーの運転手が言っていた。 御嶽山が噴火したあと箱根にもマスコミがきて、大涌谷から温泉が流れ出てくる沢があるのだが、見た目が、森の中から噴煙が上がっているように見える。タクシーがマスコミを連れてきてこんどここが噴火するぞと報道したらしい。 それで大騒ぎになった。 その騒ぎを利用して役人が夜間大涌谷を通行止めにしたんだとタクシーの運転手は言っていた。ま、しかし、未だに硫黄臭がものすごいのには変わりない。 だが温泉場というのはたいていどこでも似たようなものだしな。

話によればその大涌谷から流れ出す沢で勝手に入浴する連中もいるという。

箱根は実に不便だが、その不便さが田舎の良さだろうね。 箱根と小田原は近くて似ているように思えるが、 小田原は典型的な地方都市で観光客のことなんて実は全然大事にしてない。 観光イベントと称して実は地元の祭りに観光客も参加させてやる、くらいの気持ちしかないのである。 一度ならず二度三度そんな思いをしたのでもう小田原観光は決してしないと決めている。 そのイベントが歴史的価値があって面白けりゃこちらもありがたく参加させていただくわけだが、ただのしょぼい村おこしのイベントに過ぎない。 山道には農作業車が通るから歩行者は気をつけて歩けと注意書きしてある。 観光地じゃないんだよな。 観光地のようなふりをしているただの地方都市。 すべてにおいて地元民が優先、観光客は、金をお年はするがただのよそ者だ。 たぶん小田原は横浜が大嫌いなのだろうと思う。 禁煙条例なんかしったことかという店ばかりだ。 箱根は完全に客商売でできているからそんな不愉快な思いをすることはない。

最近は新宿辺りで働いているのでほんとに田舎がここちよく感じる。 田舎のよさを一番よくわからせてくれるものが新宿という町だ。 今、田舎にいる人は、そのしあわせをこれからもずっと維持するようつとめるべきだと思う。 私もいずれ可能ならそうしたい。

田舎というものは、同じ不便でも、小田原型と箱根型があるように思うね。 松本城で酒を飲むイベントが禁止されたってのも小田原に似たような事情じゃないかね。 市役所の役人や地元の名士らが仕切っているところは小田原型になる。 営利企業がただ損得でやっているところは箱根型になる。 どっちが気持ち良いか。金銭尽くの観光地のほうが観光客にはこなれてて気持ちいいんだよなあ。

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09.06.2017 · Posted in 雑感

facebook なんだが、実名のページの他に筆名のページを作ると、あれをしろこれをしろとうるさく通知してきてやってられない。 だからもう非公開にした。

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09.05.2017 · Posted in 雑感

アレクサンドロス大王の秘書官エウメネスの視点で描いた大王東征記。第四巻の本書では、マケドニア摂政アンティパトロスとスパルタ王アギス三世がアルカディアの拠点メガロポリスを争奪する戦い(BC331)を描く。

概要

かつてテーバイの驍将エパメイノンダスは、ペロポンネソスを支配するスパルタをレウクトラの戦い(BC371)で討ち破った。それまでペロポンネソス地方では、人々は都市に集まって住む習慣がなく、小さな農村に散らばって住んでいた。エパメイノンダスは、アルカディア人を一箇所に集め、堅固な城郭を築き、アルカディア経営とスパルタ牽制の拠点とした。これがメガロポリス(大きな町)である。テーバイが滅んだあと、メガロポリスはマケドニア王アレクサンドロスを盟主と仰ぐコリントス同盟に属していた。

エウメネスはシリアで王の一行と別れ、バルシネとともにネアルコスの艦隊に同船してギリシャ本土へ向かう。バルシネと彼女の息子ヘラクレス(アレクサンドロスの息子)をロードス島に残し、エウメネスはスパルタ王のもとへ使者として赴く。スパルタを討つためにメガロポリスに入っていた摂政アンティパトロスは息子カッサンドロスを、ネアルコスの軍に募兵のために派遣する。このとき初めてエウメネスはカッサンドロスに出会う。

エウメネスはカッサンドロスとともにメガロポリスの戦いに加わる。かつてスパルタに支配されたアルカディアやメッセーニアの民の奮戦の甲斐あって、スパルタ王アギス三世はアンティパトロス率いるマケドニア軍に敗れるが、この戦いでマケドニアに勝利をもたらしたのはわずか十九才のカッサンドロスの采配であった。 メガロポリスの戦いの後、エウメネスはエペイロスの聖地ドードーナに住むオリュンピアス(アレクサンドロスの母)を訪れる。エウメネスは巫女オリュンピアスから、ガウガメラの戦いでマケドニア軍がペルシャ軍に勝利したこと、アルトニスがまだペルシャ軍中にいて生きていることなどを知らされる。

目次

* 腑分け占い * ピュティオニケ * ハルパロスの指輪 * タウリスコスの後任 * ネアルコス * メッセーニア * カッサンドロス * 麦畑の夜襲 * 脱走 * ドードーナのシビュッラ

主な登場人物

* アレクサンドロス三世 マケドニア王。アレクサンドロス大王。 * エウメネス アレクサンドロスの書記官。 * アギス三世 スパルタ王。 * ネアルコス マケドニア王国海軍の提督。 * ハルパロス マケドニア王国の金庫番。 * ピュティオニケ もとアテナイの娼婦で、ハルパロスの愛人。今はスパルタの奏楽者。 * プトレマイオス アレクサンドロスの近衛長官。 * ペルディッカス マケドニア王国の王族。斬り込み隊長。 * バルシネ アレクサンドロスの妃。ヘラクレスの母。 * フリュネ テーバイの娼婦組合長。 * ディオゲネス コリントスに住む犬儒派の哲学者。フリュネの情夫。 * アンティパトロス マケドニア王国摂政。 * カッサンドロス アンティパトロスの息子。 * オリュンピアス アレクサンドロスの母。

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やまと

07.06.2017 · Posted in 雑感

ヤマトという言葉なのだが、 ヤはおそらく八洲や八百万と同じく「八」(たくさんの)という意味だろうと思う。 トは水戸や江戸や瀬戸と同じく「戸」、つまり入り江という意味だろうと思う。 ではマは何かといえば「まほろば」の「ま」であるかもしれない。 だから漢字表記すれば「八真戸」となるか。

ともかく「八」と「戸」は間違いないように思える。 「山」とはたぶん関係ない。 ヤマトという名は「大和」という内陸部に都ができるようになるずっと以前の名前であろう、 海と関係のある名前であろうと思う。

でまあ、ヤ・アマトがつながってヤマトになったのではなかろうかとも思える。 アマトとはつまりアマノイハト(天の岩戸)のことだ。

天の岩戸というのは、具体的には、岩礁にうがたれた岩窟のようなものではないか。 天の岩屋戸、天の岩屋、天の岩船みな同じ。 宗像神社の奥津宮(沖ノ島)のようなものを考えても良い。

アマトと母音で始まるとおさまりが悪いのでヤ・アマト、ヤマトとなったのではないか。 東シナ海から瀬戸内海に続く多島海のことをヤマトと言っていたような気がする。 つまり、ヤマトと八洲はだいたい同じ意味なんじゃないかとおもう。

あと、ヤマタのおろちのヤマタとヤマトの関連性は疑ってみてよいとおもう。 ヤマタは単に山田かもしれんが。

邪馬台国はヤマト国であり、北九州地方にあったと考えるのが自然だ。

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06.17.2017 · Posted in 雑感

文科省が読解力を問う国語入試を導入しようとしていて、たとえばこれまでは、 小林秀雄の悪文を一部切り取ってきて、そのどうしようもなく論理的に破綻した文章を読ませておいて、 その設問に対して間違いから一番遠いものを選べとか、 最もあり得なさそうなものを選べとか、そういう馬鹿げた問題だった。 ただしこのような問題は官僚や弁護士の事務処理能力を問う問題としてはある程度有効だっただろう。 法律の条文と照らして正しいのかただしくないのか。 多くの場合正しいと一意には決まらないから、もっとも正しそうなものを選ぶ、より正しく無さそうなものをより分けるという作業が必要になる。 実にくだらない。 おかげでくだらない文系人間を大量生産することになった。

漢文の問題もひどかった。 どれが正しい読み下しかを問う問題があって、 明らかに間違っているものもあるが、間違いとは言えないものが複数あり、 素直に考えれば正解と思われるものは間違いであり、 間違いとは言い切れないものが正解であったりする。 その根拠というのは、作問中の他の部分の読み下し方に統一するならば、そのように読み下さなければならないから、だというのだ。 漢文の基礎をきっちり学んできた者がひっかかり、 漢文についてろくに知らなくても、設問の全体の雰囲気で一番確からしそうなものを選ぶ者が得をする。まさにセンター試験的な悪問だ。 これでは、整合性のある読み下しをすることが漢文教育にとって重要だということになってしまう。 まったく馬鹿げている。

こんな問題をずっと作り続けて、よくこれまで訴訟にならなかったものだ。

新しい問題は、複数の異なる資料(図、パンフレット、討議など)の組み合わせを提示して、 そこから何らかの意見を記述させるという手の込んだものであって、 「小林秀雄問題」 とは対極にある。 いわば企画立案タイプの出題だ。

まあせいぜいラノベとかBLとか村上春樹くらいしか売れないこの嫌な時代を矯正してもらいたいものだ。

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06.17.2017 · Posted in 雑感

「……田舎の県警なら昭和の任侠映画さながらにやくざと警察の泥仕合みたいな捕り物やってるじゃん、でも、東京のど真ん中じゃあもうそんな刃傷沙汰は廃れちまった。都下じゃ町田辺りでまだやってるがね。ほとんどは水面下の情報戦。僕らが「マルサの女」や「名探偵コナン」なんか見て喜んでるうちに、日本の反社会勢力は外国勢力と混血しつつ進化した。犯罪統計みてりゃ一目瞭然さ。殺人などの凶悪犯罪は激減した。しかし知能犯罪は増え続け、国際化し、ステルス化した。

で、佐々井は、我々がその名も知らぬシンジケートから、我々の知らないルートをたどって、報酬を得てるんだろうって推測できるわけ。」

「でも、それがほんとだとしたら、佐々井が得ている利益は国税局では把握できない。」

「そうなんだよ。みんなでわーっと踏み込んで、マルサ手帳と捜査令状見せて、でかいハサミでドアのチェーン切って、あちこちで一斉に家宅捜査して裏帳簿を押さえ、段ボール箱に詰めてトラックで押収とか、そんな時代がかったやり方は通用しないんだ、今の時代。テレビ局はいまだに国税局の強制捜査っていうと、そんな絵を撮りたがるがね。

これは『マリナ』に書いたことなのだが、 共謀罪に反対しているのは、かつて全共闘とか中核派とかで暴れていた連中だと思うのだが、 そういう連中の頭の中は昔の学生運動の時代から何も変わっていないのだろう。 そして週刊誌で広域暴力団のドンパチの話なんかを読み、飲み屋のテレビ見ながら政治談義しておもしろがっているのだ。

推理小説、探偵小説、ミステリー、サスペンスなんかも多くはそういう古典的時代設定にとどまっている。 まったくいつまでも大岡裁きじゃあるまいし。

『マリナ』は推理小説という形をとった推理小説批判でもあるのだ。 というか、最初に死体が出てこないこの小説を推理小説だと思う人はあるまい。 死体は最後にちょっとだけ出るのだが、最後まで死人が出ない小説を世間では「推理小説」とは思わないだろう。

現代のマイナンバー時代、共謀罪時代に即して推理小説を書こうというのであれば、 推理小説というもの自体がまるきり変わってくる。 ステルス化した名も無い国際シンジケートと闘わなきゃならないんだから警察もたいへんだよ。

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ベルツの日記

06.03.2017 · Posted in 雑感

岩波文庫の菅沼竜太郎訳のベルツの日記は、ドイツ語原文の匂いがまったくしない。 おそらくこれは1974年に出た英訳をもとに、和訳したものだろう。

Baelz, Erwin. Awakening Japan: The Diary of a German Doctor. Indiana University Press (1974). Translated by Eden and Cedar Paul. ISBN 0-253-31090-3.

1931年にシュトゥットガルトでドイツ語初版が出版されたらしいのだが、 それはかなりの部分が省略されたものであったらしい。 では欠落のない、ドイツ語の完全版はどこで手に入るのかというと、そんなものは実はどこにも存在しないのかもしれない。

追記。 岩波文庫版は1951年と1979年に出ている。

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