亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘詠歌’ Category

春の良き日に

03.14.2010 · Posted in 詠歌

ホワイトデーとて

あな憂しやもらへどかへすものもなし家にこもりてけふは過ぐべき

なんとなく。

飲めや酒憂さを忘れむ浮かれ世の春は楽しきことのみならず

海鮮バーベキューの店で。

かぶと焼きまぐろの目玉くじりつつ生ける我が身のはかなさを思ふ

わたつみのいそのあはびのあぶり焼き魂は消えにき身もだえもせず

または

活きあはび身はこがれつつもだえして魂の緒絶えてバターを乗せつ

ひどい歌だなこりゃ。 春の晴れし日に客の来るとて家を出れば

雲もなき春のひよりにあてどなくひとり歩けどゐどころもなし

春されば出でて遊べどあてもなしさりとて家居すべきにもあらず

あぢきなし春のやすみに昼間から酒を飲むとて店も少なし

あてどなくしこのしづをのうろつけばそのふの母子あやしとや見む

述懐

夢に見てうれしと思ふはかなさよ今ひとたびの会ふこともなし

夢にだに見ばやと思ふ荒小田をかへすがへすも頼むこころは

今さらに思ひ出づるも憂かりけりおぼろに残る名もおもかげも

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春の夕暮れ

03.13.2010 · Posted in 詠歌

もろこしのそばをすすれば暖かし風うら寒き春の夕暮れ

おのづから店を求むる夕暮れは酒飲むときと何思ひけむ

風さえてさむからむほどがここちよし日長くなりぬ春の夕暮れ

まだまだ親父臭い。じわじわ親父臭い。いまいち。

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述懐

03.12.2010 · Posted in 詠歌

ひととせか三とせばかりも世を捨てていづこともなくさすらはまほし

はるあきは住みこそ憂けれなりはひのことしげきのみうれしくもなし

もしわれに死ぬまで足れる金あらば明日よりつとめやめましものを

わがつとめおこたらむとは思はねどしづのをだまき飽きもこそすれ

のがればやしづのをだまきくりかへし昔も今も同じなりはひ

酒の次は仕事の愚痴か。 中年親父臭きつすぎではあるな。 しかし現代日本に中年親父の歌詠みが居ないのは不自然だし、 といって別に自分がなる必然性もないが、 積極的に先駆けとなるという道もあるわな。

しかし上のやつの最後のは「しづのをだまきくりかへし昔」までが本歌取り(笑)。取り過ぎ。 しかも結構決まってる。 鶴岡八幡宮で頼朝政子の前で、義経を慕って静御前が舞をまってるイメージがオーバーラップして良い感じだろ。 下の句は契沖の「難波がた霧間の小船こぎかへり今日も昨日も同じ夕暮」という本歌があってだな。 あまり本歌らしくないが。 真ん中のやつは「もし我に死ぬまで足れる富しあらば」でも良いか。 そっちの方がやや風流か。 「ましものを」を和歌語句検索したら339件もあったすごい。 いやしかし便利だわこのサービス。

宣長に返す

花を見て憂き世忘るる人もあれど我はただ憂しこころせかれて

高杉晋作に返す

おもしろきこともなき世はいかさまに暮らせどやはりおもしろからず

五月病の事を

さつきには心わづらふ人もあれどわれはやよひの今こそ憂けれ

春を待つ浮かれをのことならまほしつとめの重荷みな片付けて

今日は冴えてるな。

春の日ものどけかるらむ年老いてうなゐ心に戻りてのちは

いとけなきころは来る春来る夏も秋冬もみな楽しかりけり

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海の羊飼い

03.10.2010 · Posted in 詠歌

わたつみに羊飼ふてふあらえびす我がしきしまの船はひるまじ

うーんいまいち。

いさな追ふ海人に仇なすえびすらのまがつ心をくじきてしがな

うーん。 勢いで詠んだ。

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わが里の雪

03.09.2010 · Posted in 詠歌

たまぼこのみちのく蝦夷はいかならむえこそ積もらねわが里の雪

どうよ。

うれしやとおもへばやがてやみにけるたのみかひなきわが宿の雪

いまいち。

みささぎに ふるはるのゆき / えだすきて あかるき木々に / つもるとも えせぬけはひは

伊東静雄はやはりすばらしい。

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代々木の園

03.07.2010 · Posted in 詠歌

なぜか明治神宮に行ってきた。

降ればなほ行きて見まほし春雨に代々木の園は青みたるかと

みそのふに春雨ふれば人を無みひとりしめ野にあるここちする

正直に言えばここまでは「心象風景」。 わりに人はいた。 しかもふしぎと女が多い。 最近、明治神宮内の「清正井」がブームらしく、 宝物殿などはいつも閑散としているのに、そこから流れてくるのか、 にわか歴女たちが「大正天皇ってダンディー」とか言いながら群れているのが、何かいらだたしいやらにがにがしいやら。 テレビ見たくらいでほいほい沸いてくるなよと思いつつ。

春雨のふれる宮路を踏みゆけばしめりてきしむさざれ石かな

などか知る虎を狩りたるきよまさの名にしおふ井戸に人の寄り来る

で、よく見ると雨の中にも視界に人影が一人二人と入ってくる。 同じ場所にずっと立ち続ける女性とか、一人で気功やってる男性とか。 写真撮ってるひと、地面に穴掘る人とかいろんな人がいる。

占いやってる人ってものすごい勢いでしゃべりたがるよね。 いや、しゃべりたがっているのではなくてそういう仕事なのかもしれんが。 女性だとわざと化粧をしなかったり。 すっぴんでも大丈夫なんですパワーとか。 心霊スポットならずパワースポットとか。 そういう人たちが明治神宮に集結しだしたらどうしようとか杞憂だろうか。

なんか明治神宮創建当初全国から集められた植樹は、当時の写真で見ると大鳥居よりも背が低かったようだ。 そこで詠める:

うつせみの代々木のもりは鳥居より木高くなりぬふりしまにまに

おほきみのみよのとほさを生ひ茂る代々木の杜の木立にぞ知る

代々木公園の方にも行ってみる。 こちらも日曜だが雨のためほとんど人はいない。 しかしまったく居ないというのでもない。 見るといろんな碑やら像やらが立っている。 中で「大東塾十四烈士自刃之處」というものがあり、 ここがむかし連兵場で終戦当時に切腹をした人たちが居たらしい。 塾長の影山庄平という人の辞世の歌:

こんとんをひらきて今や天地の始発の時と祈り行くなり

國うれふやたけ心のきはまりて静かなるかも神あがるとき

代々木連兵場は米軍に接収され宿舎用地となり、東京オリンピックの時に返還されて選手村となり、 そのあと国土緑化運動の中の一つとして森林公園となったそうである。 これらうっそうたるレバノン杉やヒマラヤ杉やメタセコイヤの林も東京オリンピック以来とはなかなか信じがたいものがある。

きもをなめたきぎにふせしつらき世を知らずなりゆくわがくに民は

知るらめや代々木の園もひとたびはえびすの住める里となりしを

それはそうと、「たまぼこ」は「道」にかかる枕詞なので、 宣長の「玉鉾百首」とは「神の道」を教えた歌だったのだ。 どうりで宣長にしては、ぎこちない歌ばかりだと思った。

うまざけは日ごと飲みてもうまけれどひと日あくればなほまさりけり

歌物語というのはあるが歌ブログというのはあまり無いジャンルではあるまいか。

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雪を待つ春雨の夜

03.07.2010 · Posted in 詠歌

雪を待つ春雨の夜に詠める歌五首:

明日もまた雪はふるらしひと月も待たで桜は咲きそむるとも

今さらに雪は降らめや雨だれの音もしづけき夜もあけなば

めづらしく酒も飲まずに籠もりけりゑひ飽きにける春雨の夜

雨はゆき雪は雨にとかはるらむなまあたたかき春のよはかな

春雨やいそぐともなきこよひこそこころしづけく家ゐすべかれ

がらにもないと言われそうだな。 さらに。

春の野の雨のたまれる土のうへを歩かまほしきここちもぞする

うすぐもり梅咲きのこる川のべを歩かまほしきここちもぞする

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春を待つ

03.06.2010 · Posted in 詠歌

春を待ちて詠める歌四首。

居酒屋にて山うどの芽の酢味噌和えを食べてこれは春の旬のものとて、きたる桜まつりの話などすれば:

あしびきの山うどの芽をかじりつつ桜の花を待つここちする

旧暦と今の暦は二ヶ月ほどの差があるが:

いにしへのこよみの読みはことなれど花咲く頃は千代に変はらず

桜の花をどこに見にいくかということ:

鎌倉に行きてみまほしもののふのありしむかしの花をしのびて

三月ももはや六日ともなれば:

暖かき春の日頃となりぬれば心もそぞろ花を待つらむ

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03.05.2010 · Posted in 詠歌

酒の歌四首:

にごれるもすみて清きも色濃きも泡立ちたるも酒はみな良き

日の本やこまもろこしととりよろふよろづの酒を飲みてしやまむ

いはしみづ汲みて醸せるうま酒は神のいさむるものならなくに

たまくしげ箱根の峯の笹原のささ酌みかはし夕餉たのしむ

箱根の駒ヶ岳にロープウェイで登ると山頂付近は高い木が生えず、 箱根山、神山、大湧谷へと向かう方面に、低木と笹原が続くのだが、それを序詞風に使ってみた。

ネットで検索すると画像はいくらでもあるがたとえば こことか。

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会議中

03.05.2010 · Posted in 詠歌

あまりに退屈だったので仕事の後で酒を飲むことばかり考えながら詠んだ歌三首:

なりはひのつとめ終はりて立ち呑みのどちにつらなる時ぞ待たるる

たなつもの醸し作れるうまざけにわがゑはばこそけふも終はらめ

思はずやあかがね色のむぎざけを樽よりそそぐをみな手ぶりを

あとの二つが「もやしもん」チック(笑)。

最初、「思はめや」としたのだが、和歌データベースの和歌語句検索で調べると、 「おもはめや」は1件のみ:

はるやまの-きりにまとへる-うくひすも-われにまさりて-ものおもはめや

しかも万葉集の訓読なので正確かどうかはわからない。 「おもはねや」は0件、「おもはぬや」は43件だが「おもはぬやま」「おもはぬやど」などがほとんど、「おもはずや」は12件なのだが、

めつらしき-ひかけをみても-おもはすや-しもかれはつる-くさのゆかりを (俊成)

くれてゆく-はるもあはれと-おもはすや-またこむまても-しらぬわかみを (万代集)

ふちなみの-はなはさかりに-なりにけり-ならのみやこを-おもはすやきみ (夫木和歌抄)

おもはすや-たならすゆみに-ふすたけの-ひとよもきみに-はなるへしとは (頼政)

「思はずや手鳴らす弓に伏す竹の一夜も君に離るべしとは」。 「伏竹(ふせたけ)の弓」とは木と竹を貼り合わせた合成弓で、木と竹が合わさって離れない、という意味に使われているらしい。 なんて難しいんだ。

みのほとは-わかみなからも-しるものを-うきこころとは-おもはすやきみ (寂蓮)

とまあ、こんな感じなので、「思はずや」が一番無難かなと。 だが「思はめや」ももしかしたら間違いじゃないかも。 初句に倒置でもってきた頼政の用法は反語ではないよなこれ。 他はだいたい反語的なのだが。

ついでに:

飲みのみて屋根うつ雨の音高し傘はなければ借るべかりける

いやだなこれじゃまるで安い演歌だ。 そうだ、「氷雨」か(笑)。

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