亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘kindle’ Category

怒涛の電子復刻

05.06.2014 · Posted in kindle

なんというか。 完全に忘れ去っていたはずのものをいきなり目の前に突き付けられて、 懐かしいというか、忌まわしいというか、なんとも言えない気持ちを味わわされるのだが、 これはfacebookでほとんど忘れかけていた小学校の頃の知合いに友達リクエストされるのに似てる。 デジタルって怖いね(笑)。

これもゴマブックスなのかあ。 なんかすごいなゴマブックス。 昔からあるよな、この会社。 それが今は電子書籍でほぼ最前線突っ走ってる。いろんな意味でアレではあるが。 どんな会社でどんなひとがやってるのか気になるな。

で出版業界も、版権クリアできて、電子化が可能で、担当者がやる気さえあればどんどん電子書籍で復刻されるようになってきて、その多くが無料配信されていて、 すごいことになってきている。 もう読んでるヒマがないくらい。

auブックパスでは手塚治虫はみんな月額500円読み放題の中に含まれているのだが、 アマゾンでは1冊300円くらいでわりと強気なのが面白い。 ていうかアマゾンだと漫画を0円で配信するのは逆に難しいのかもね。

電子復刻してもらわないと今ではほとんど入手不可能な漫画もあって、 多少高くても買ってもいいと思っても、そういうものはなかなか採算とれないから、 出版社も手を出さないよな。 「まんだら屋の良太」なんて五十巻以上あるはずなんだが。 電子化されればいつでも好きなだけ読めるのだが。

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龍ノ口

04.26.2014 · Posted in kindle

いま発作的に、「江の島合戦」というのを書いているのだがその取材を兼ねて江の島、鎌倉に遊びにいく。 江ノ電の江ノ島駅からすぐに龍ノ口というところがあり、その隣が腰越、その隣が小動岬、 その隣が七里ヶ浜、その隣が稲村ケ崎、その隣が由比ヶ浜、由比ヶ浜のどんづまりが材木座海岸。 材木座海岸から滑川をさかのぼり、 大町大路と若宮大路が交差する下馬という交差点まで、 これが今日の散歩道だったのだが、距離にして10kmちょいくらいだろうか。 全然普通に歩ける。

一つ確かめたかったのは、龍ノ口というところから狼煙をあげるとそれが平塚から見えるかどうか、 であった。 龍ノ口の山の上にはかなり目立つ真っ白な仏舎利塔が建っている。 なんでもインド首相のネルーから送られた仏舎利を収めているそうだ。 仏陀の骨ってどんだけあるんだ。 後光明天皇が庭にぶちまけた気持ちがよく分かる気がする。

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そんで平塚のほうを眺めてみたが、ぼんやりしててよくわからん。 拡大してよく見ると島か、海に突き出した桟橋のようなものがみえる。 これらは茅ヶ崎であるらしい。 だから茅ヶ崎まではまあ肉眼でも楽勝で見えるだろう。 早朝でガスってなければ平塚だって見えるだろう。 夜に火を焚けば当然見えるだろう。 というか茅ヶ崎で誰かが中継すれば平塚には届くだろう。 むしろ龍ノ口の仏舎利塔がどのくらい離れて見えるかを確かめたほうが話は早かったはずである。 書き直すのも面倒なのでそのままにしておく。

龍ノ口は有名な刑場だ。 ここで、蒙古人の使者が次のような辞世の詩を残したという。

出門妻子贈寒衣 問我西行幾日帰 来時儻佩黄金印 莫見蘇秦不下機

ウィキペディアの元寇#第七回使節 にこれ以上ないくらい見事に現代語訳されている。

さてこれは李白の次の詩に基づくものだと考えられている。

出門妻子強牽衣 問我西行幾日帰 来時儻佩黄金印 莫見蘇秦不下機

意味も言い回しもほとんど同じ。 オリジナリティはほとんどゼロだ。 辞世の詩というにはちと恥ずかしいレベルだと思う。 杜世忠はしかしモンゴル人であるというから、この程度の漢詩が作れるのは、 かなりインテリだったということか。

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材木座あたりのかつての大町大路はこんな感じなのであるが、 かなり寂れてはいるものの、かなり最近まで商店街であった雰囲気が残っている。 道の幅も昔の街道ならこんなもんだろう。

連休間近で人ごみをできるだけ避けて歩いたつもりだったが、 やはり鎌倉は人が多い。 とても困る。 何度も訪れたのでもうだいぶ詳しくなった。 やはり面白いところだ、鎌倉は。 外国人にもそのへんはよくわかってるらしく、 いろんなやつがたくさんたかっている。

切通というのは鎌倉七口といって鎌倉の出入り口、のちの城郭で言えば見附のようなものだといわれているが、 単に谷地と谷地を短絡したもののように思えてならない。 むろん主にこの切通で敵の侵入を防いだのだろうが、一度に七か所も防ぐことができるのだろうか。 かなり謎である。

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だめんず・うぉ~か~

04.15.2014 · Posted in kindle

auブックパスを解約しようかどうか悩む。 結局私は「日本外史」とか「新編国歌大観」とか「群書類従」とか「本居宣長全集」しか読まない人なのだ。 それに読み飽きたら「源氏物語」とか江戸時代の戯作とか読み始めるだろう。 その後は明治初期の尾崎紅葉とか二葉亭四迷を読み始めると思う。 今出版されているような本はファミレスで出される食事のようなもので、 完全にコストや味が計算されたものであり、うまいとかまずいとか以前のものだ。 そりゃくいものだから腹が減ってればうまいだろうが、 読書というのはもう少し高級だ、少なくとも自分にとっては。

私の外食というのはたいてい個人経営の立ち飲み屋か居酒屋だが (さもなくば富士そばか吉野家かなか卯)、 それもまた計算されてない味というものがあるからだろう。 キンドル作家の書くものにも似たようなものがあると思う。 編集されず流通にも載ってないものの中から自分の好みの小説を探すのは楽しい。 (素人バンドやAKBなんかが流行るのも同じ理由だろうか) まあそれと対極にあるのがテレビや雑誌などのマスメディア、 auブックパスもしょせんはその一種だ。 ただauブックパスにもたまに異様に素人くさい本が混じっていて、 それは最初から電子書籍として作られていて、 例えば「鎌倉何千寺巡り」とかそんな感じのもの。 うーん。 出版関係者がどさくさに紛れて書いているのかなあ。 その手のであまり良いのはない。

マンガも手塚治虫とか土山しげるとかラズウェル細木とかの読み放題を読み尽くすとあまり読むものがない。 だめんずウォーカーは面白かったが、だんだんマンネリ化しているので最初の一巻だけ見ればよかった。 雑誌は最初すごいなと思ったがすぐに飽きた。 ああいうものが図書館のロビーにあってもわざわざ読まないのと同じだわな。 携帯端末だからヒマなとき読むかと思ったが読まなかった。 そもそも三年くらいまえから通勤途中にマンガ雑誌読む習慣もやめて、 それと同時に自分で執筆するようになったから、 読書習慣そのものが、なんか潮目が変わったのだと思う。

だめんずなど読んでると思うが、これは私が書いたフローニとほとんど同じだ。 おおかみこどもの雨と雪とも同じだ。 細田守がなんであんな嫌がらせみたいなアニメ作ったかと不思議でならなかったが、 フローニを書いてだめんず読んだ後だと納得できる気がする。 思えば私が居酒屋巡りしたりたまにスナックや熟女パブなどに行ったときに出会う女性にも、 そういう人はたくさんいるのである。 興味ぶかいのでよく観察する。 そして生命保険の話などして盛り上がる。 キャバクラでは若すぎて全然話がつまらん。 ヨーロピアンパブやフィリピンパブはどうかと言われるとこれまたよくわからん。微妙だ。 別に取材に行くわけではないが、なんとなく最近は取材している気分になる。

母子家庭の母のほとんどはだめんずであろう。フローニであろう。 本人に落ち度なく母子家庭や家庭内暴力で困っている人もいるだろうが、 かなりの割合で、女性自身がダメな男を愛してしまい、子供を産んでしまうからだろうなと思う。 心理的・本能的に女性はそういう男を好きになってしまう性質を持っているのではなかろうか。 我が子を愛するようにできの悪い夫を愛してしまうとか。 よくわからない。 本能的に固い男を選ぶ女もいるようだが。 生物学的にいろんな戦略の女がいるほうがヒトという種全体としてうまくいくということだろうか。

フローニは未だに一冊も売れてない(無料配布も大したことなかった)。 読むに値する本だと思うのだが(笑)。 ただまあだめんずが単行本になり軌道に乗るまでにもずいぶん時間がかかったようだから、 いきなりほいほい売れるはずもない。 私が今仕事をして給料をもらえているのも就職して組織の一員となっているからだ。 私が組織に属さずいきなりネットで仕事を始めても客がつくはずもない。 いきなり小説書いてネットで売って売れるはずもないのだ。 ガチンコで仕事しているわけじゃあない。業界の中で泳いでるだけだ。

まあしかしヨハンナ・シュピリのああいうえぐい話をも少し翻訳して合冊にして再版したい気持ちはある。 あれはあれで書いてて面白い。

「酒場放浪記」もそうだが、ただ居酒屋巡りしてブログにかいてそれが秀逸ならば売れるのではない。 ちゃんとプロデュースする人がいてディレクターがいて、 マスメディアとして作り込み売り込んでいるからああいうものがある。 画面には吉田類一人しかスタッフは出てこないが。 そういう舞台裏を忘れさせるのが良いコンテンツなわけだが。

一番売れているのはエウメネス。 内容も自負してはいるが、売れている理由は単に古代ギリシャものというのと、 エウメネスを主人公にしたマンガがあるから。 割とギリシャものは反応が手堅い、ってことをエウドキア出して思った。 売ろうと思えばあんなにペルシャとかインドの話をうだうだ書かなかったと思う。 ギリシャファンの神経逆なでしてるわな。 ギリシャを描きつつ、 ギリシャやローマよりペルシャやインドの方が偉大だって作者は言いたいわけだから。 いや、私はギリシャやローマも好きですよ、好きじゃなきゃ書かないわけで。 しかし塩野七生とかそこから一歩も踏み出てない。 あきれて物も言えないくらい。 イタリアの中に埋まってそこから外の世界を見ている感じ。 イタリアからイェルサレムや神聖ローマ帝国を眺めている感じ。 そういうのを居心地良く感じる人は多いんだろうな、日本人にはなぜか。 ギリシャの良さの多くはペルシャやエジプトやシリアやメソポタミアに由来する、 ヘレニズム文化とアジアは切り離せないと言いたいわけで。 現代のギリシャとトルコが切り離せないように。 西洋人やその影響を受けた日本人はそこが不自然だよね。 安彦良和「クルドの星」とかおもろいよね、「アリオン」は駄作だったが。

あとたぶん売るためには百人一首の講評などを書くべきだろう。 その準備はしている。 ちゃんと魚のいるところに餌をまかなきゃダメだ。 魚のいないところでいくら釣り糸垂れてても無駄だ。 商売としてもそうだが読者がいないんじゃ仕方ない。

最後にどうでも良いことを書くが、 最近のKDP界隈で関係者どうしが絡んだ話をネタに小説に書く傾向というのはいかがなものかと思う。 まあ私はそんな若くないし。 二十代くらいにネットに投稿したり(fjというネットニュースね)、 ブログ書いたり(当時はウェブ日記といっていた)してたころはそういうインタラクションはあった。 だから今の人もやりたいのだろうと思い、遠くからながめている。 それで世界が広がるならやる価値はあるかもしれないが、 私小説とか暴露小説に毛の生えた程度で、 狭い世界で遊んでるだけならほかの努力をした方がいいわな。 fjもウェブ日記も結局閉じたコミュニティだった。 今も残っている2chとかアルファブロガーとかはも少し広い世界で創発的に生まれたものだと思う。

私はもっと本格的な小説が読みたい。 ラノベとかBLじみたものではなく。 しかし中年親父の蘊蓄歴史小説みたいなジャンルで書く人がいても良さそうなもんだが、 意外といないもんだなあ。 いたら多少うざくても読んでやってもいいのに。

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旧作

03.13.2014 · Posted in kindle

久しぶりにエウメネスを読んでみたのだが、 比較的新しい作品なんでたかをくくっていたのだが、 すでに相当古びてしまっていて驚いた。 新作を書いたり旧作をリメイクしたりするうちに自分の文体というものがどんどん変わっていく。 たくさん書けば書くほど変化する。 一年もして昔書いた物を読むと他人の文章のように感じる。 そもそも乗りが今と違う。 自分が書いたものによって自分自身が変わっていく。 そりゃそうだわな。 書くという行為によって自分は変わる。自分と作品は相対的なもので、 自分が作品を作るように作品が自分を作る。 どうしたらよかろうか。

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世界史

03.13.2014 · Posted in kindle

エウドキア無料キャンペーンだが、40位あたりをいまだにふらふらしている。 明らかにいつもと違う。 いつもは、そろそろ100位圏から離脱しているころだ。 理由はたぶん、カテゴリー世界史で1位だからだろう。 世界史はほとんど売れてない。動きがないから、1冊でも売れると上位にくるんじゃないか。 無料で1位なら落としてみようかなんて人が割と途切れなくいるのではなかろうか。 だからいつもとは違う人が落としてくれているのじゃないかと思う。

こういうマイナーなカテゴリーで1位になるというのは宣伝効果としては悪くない。 まあしかしそれがわかったところでどうしようもない。 無料キャンペーンが終わったあとも目立ち続けられればいいんだけどね。 一つのジャンルに特化するというのは一種の営業でもあるわけだね。

すでにやられているのかもしれないが、 ランキング上位に居続けるように、 定期的に身内買いするみたいな宣伝はあるかもしれんね。

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連作

03.12.2014 · Posted in kindle

フローニはなんとか mykindle でアップデートを利用可能にしてもらった。 まあ、三年後くらいには全部一度アップデートしたい。 あまり焦っても仕方ない。徐々に。

川越素描みたいな長編に最初から最後まで付き合ってくれる人はあまりいないと思うが、 個人的には非常に重要な、というか、愛着のある作品なんで、 なんか無限に時間がかかりそうな気がしてきたけど、きちんと仕上げるつもり。

長くなった理由は、太田道灌の話と現代の話をわざと同時並行的に描いたからだが、 これも三島由紀夫が『豊饒の海』を三部作で書いたりしたように、 連作として分けて書いたほうが、読みやすかっただろうなと思う。

安藤レイも長いが、これも病中手記とアンドロイドもののSFを混ぜて書いたからだ。

読者にしてみれば、読みにくい嫌な作品だろうなぁ。 思うに、読者を獲得するまでは、エウメネスとかエウドキアみたいな単発の短編か比較的短い中編、あるいは連作の一部を書いていけばいいんだと思う。 手直しもしやすいしね。

エウドキアの無料キャンペーンは思ったよりは出た。 勢いはないがだらだら出てる感じ。 しかしいまだにリアクションは不明。 まあ、マイナーだからな。 十字軍がなぜ起きたかってことがわかる良書だとおもうが(笑)。 普通の人は、戦争に至った理由よりか、 イェルサレムのソロモン神殿では足首まで血に浸かって歩いた、とか、 そんな即物的な話のほうが好きなんだろうとおもうよ。

あれ、十字軍の時代にソロモン神殿なんてあったっけ。 ないない。 しかし、ウィキペディアにもそう書いてある。

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自分で自分の書いたものを読みなおしてみて

03.07.2014 · Posted in kindle

将軍放浪記。 かなり書き直すか追記する必要がある。 たぶんこれを読んで分かる人は南北朝の専門家だけで、 普通の人にわかるようにするにはもっと詳しく丁寧に書かなくてはならないのだが、 南北朝を丁寧に書き始めると何十倍にも膨らんでしまうので不可能。 とりあえず多少手直しして放置か。

墨西綺譚。 指摘されていたように、あと三倍くらいに膨らませないと、 ふつうの小説にはならない。 出版停止して完全にリライトする。

特務内親王遼子2。 悪くない。ていうか続編かかなきゃ。

紫峰軒。 悪くないが誰に読ませるために書いたのか。 割と最近書いたものなので安心して読める感じ。

安藤レイ。 悪くない。しかし長い。 淡々とした病中手記として読むなら悪くないのかなあ、というくらい長い。

エウメネス。 やっぱりこれが一番安心して人に読んでもらえるかな。 さらっとも読めるし、ある程度深読みもできる。

超ヒモ理論。 紫峰軒に近い。 もしかしたらタイトルで損してるかも。

将軍家の仲人。 西行秘伝くらい難易度高い。 ある意味西行秘伝より難易度高い。 退屈だがやはりある程度新井白石の伝記みたいなものは必要。 いじりようがない。 多少語尾をいじったりしたくなるが、基本これで良いと思う。

ところが、ここからが陰謀めいている。良仁の兄・後光明天皇は英邁だが奇矯な人だった。天皇であるのに剣術を好み、朱子学に傾倒した。大酒飲みで酒乱でもあった。仏教を嫌い、仏舎利を庭に投げ捨て、天皇家の火葬を廃した。父後水尾院にも似た、極めて異様な天皇だ。京都市民には敬愛されたが、突然、跡継ぎを残すまもなく病死した。享年わずかに満二十一才。そのため急遽良仁が即位して後西院となる。結果的に、徳川和子が後水尾天皇の后となったときと同じように、徳川の娘が入内した形になった。

明子には皇子・八条宮長仁親王があった。長仁は紛れもなく家康の血を引いた親王であって、かつ後西天皇の第一皇子であったから、天皇に即位することもあり得た。長仁は成人してまもなく死去したが、一時的にも、家康の血を引く天皇が即位する可能性は十分にあった。というより、家綱が長仁より先に死んでいら、征夷大将軍でかつ天皇になっていた可能性もある。

天皇家と武家の関係。 長仁親王が征夷大将軍と天皇を兼ねることは十分にあり得た、 というあたりがこの小説の肝なのだが、たぶんここまでついてきてくれるひとはあまりいないと思う。

スース。 なんとも言いようがない。 ダメではないが、良いとも言えない。

巨鐘を撞く者。 前半部分の蘊蓄が長いよな。

その他。

司書夢譚と川越素描。 長いんだよね。 すんごく長い日常茶飯事みたいな話の中に歴史小説が埋め込まれているパターンなので、 まあ読みにくいわな。 司書夢譚は為永春水辺りでみんな飽きる。 護良親王の話も長いしたぶんみんな興味ない。 しかし承久の乱とか三種の神器とか護良親王とかの話はほんとはもっと読んでもらいたいんだよね。 川越素描の中に埋もれている赤塚姫の話だけ抜き出して読みたいという人はたぶんいると思う。 太田道灌の話だから。 室町時代後期、戦国時代初期の関東の話は面白いんだよね。 でもこれは個人的な思い入れからやはり今の川越の話とか音楽の話もしたいわけで、 たぶんこのまま放置することになると思う。

デーテ。 うーんこれどうしよう。

古今集。 これはこれでもういいかなと思う。

現在公開してないけどそのうち公開したいもの。

オマルハイヤームの話とか、ゴットフリードとかバルドヴィンの話とか、両シチリア王ロジェールの話とか。 調べ直して完全にリライトしなきゃいけない。

歌詠みに与ふる物語。明治天皇と高崎正風の話。 どう書き直せば公開できるようになるか見当もつかない状態。 書きたいことは書きたいんだが。

昔と今とじゃ文体がかなり変わってきている。 昔書いたやつを今に合わせるの大変。 ストーリー自体を改変したくもなって大変。 そのうち最近書いたやつも過去の作品になっていき、 そのすべてがリライトしたくなるとしたらもう作業量的に爆発するから、 やはり昔のはそのまま放置するしかなくなる。 だからできるだけリライトしなくて良いような書き方をするしかない。 できるかしらんが。 つか何年か書いてみないと自分の文体ってフィックスしないよな。

いろんな雑多なものを書いたのは、私の書いたもののうちどのあたりが読者受けするかテストしているからだ。 どれかが受けるということが分かればしばらくはその辺だけ書くと思う。

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脚注とか。

03.04.2014 · Posted in kindle

昨日はまた飲みすぎた。 いまだにアルコールが体の中に残っている。 こんな飲み方をしてはいけない。

フローニも脚注を使おうとしたらmobiでもepubでも書き出せずに一太郎フリーズ。 脚注のせいかと思い、エウドキアでもやってみると普通にできる。 わけわからんが何か謎のエラーらしい。

しょうがないのでフローニの脚注は今のままで一太郎の機能は使わないことにする。

脚注の設定ではページごとと巻末にまとめてが選べる。 脚注専用の領域を指定できないのが痛い。 mobi で出力すると結局一番最後にまとめて脚注が出力される。

フローニの表紙と挿絵がもうじき上がってくるので改版することにする。 ええっとつまり更新に関してお客様に通知 てのを初めて依頼してみようかと思う。

フローニの改版と同時にエウドキアの無料キャンペーンをやるつもりです。 エウドキアを校正しながら、まだまだ文章はいじれるってことに気づいてしまう。 こういう女一代記みたいなものは、75年間もあって長いから、すきますきまにいくらでも小話を挿入できてしまう。 このままどんどん書き足して長編小説にもなるかもしれん。 きりがない。 カラオケでいうところのビブラートとかこぶしのようなディテイルを付け足したりとか。 それやってると永久に終わらんし、誤植も入り込むし、 ぎっとぎとな文体より、シンプルなほうがましという人もいるかもしれんし、 この辺でやめないと。

藤原通俊という人は、歌があんまりない。 もともとあまり詠んでないのか、失われたのか。 後拾遺集をみてもそんな面白いのはないから、 誰かが意図的に隠ぺいした、というわけではなさそう。 歌の目利きではあったが自分ではあまり詠めなかったということか。 白河院も「大井川古き流れをたづねきて」くらいしか有名なのがない。 この人も実はあまり自分では歌は詠まなかったのかもしれない。 だが勅撰集編纂には普通でないこだわり方をした。 すこし不思議だ。

自分の書いたものをいくつか読み返してみると、 全然今書いている文章と違っていて我ながら驚く。 「エウドキア」と「将軍家の仲人」は全然違う。 なるほどなあと。 書いてるときは作中の人物になりきって書いてるから書けるのであって、 一度離れるともう書けない。 漢詩も和歌もそうだが、その世界に入りきってないと詠めなくなる。 なんかよくわからんがある集中力が持続している間しか作れないんだが、それに似たところはあるわな。 絵を描くのもそうだわな。

これ、前半部分で新井白石の説明長すぎるよね。 たぶんここで読者は飽きるだろうなあとか。

将軍放浪記は蘊蓄多すぎだよね。 蘊蓄を物語に落とし込みきれてない感じ。 調べたものを全部書いてるよなあ。

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貫之と定家

02.28.2014 · Posted in kindle

知り合いに大塚英志についてこないだブログに書いたでしょとか言われて、 最近たくさん書き散らしているのですっかり忘れていたが、 たしかにそんな人の話を書いた。 その知り合いというのは私の話の中にもちょくちょくモデルとして出てくる。 直接そのまんまではなくて、 彼のパーソナリティの一部がある人物のパーソナリティの一部として使われていたりする。 そんで彼といろいろ話をしたのだが、 私はkindleで旧作を含めて割とたくさん数を出している方だと思う。 また、ジャンルも割とあれこれ試しに書いてみて、1年経ってみて、 彼の話など聞きながら客観的に分析してみたのだが、 やはり、小説というのは売れるのはラノベである。 中学卒業高校受験くらいの知識で読めるものがストライクゾーンである。 大学受験だと難しすぎる(源氏物語を原文で読めるやつなんていないし、 今年のセンター試験の問題とかあり得ない(笑))。

蘊蓄本や解説本、歴史小説を書くのはよい、 本を読むことで中学か高校で昔習ったなというような曖昧な知識を掘り返して知識欲を満たしてくれるような本は売れるが、それより難しい本は、要するに売れないと。

そこでまあ聞いてみたのだが、 では、 紀貫之と藤原定家はどちらが有名か、 というと、紀貫之の方がずっと有名らしい。 でも定家は小倉百人一首とか作ったよね、とかいうとそれはそうだが、 紀貫之は古今集と土佐日記でそっちが有名だ、ということになるらしい。 そう言われればそうなんだが、 ずっと和歌のことを調べていると、なんだか紀貫之より藤原定家の方がずっと重要な気がしてくる。 世間一般の感覚がわからなくなる。

西行とか和泉式部はすごい歌人なんだが、たぶん世間一般でいうと、 ものすごくマイナーなんだよね。 そういうところいくら書いても売れない。 本屋とか図書館にいくらそういう本が並んでたしても、たぶん売れてない。

一人で書いて一人で売るということはDTPみたいなもんであって、 一人の人間が作家となり編集となり営業をこなさなくてはならないのだが、 それはけっこう難しい。

で、うちのブログとかみてると吉田松陰で見にくる人が割といる。 じゃ吉田松陰で書けばどうかと言うと、 吉田松陰なんて誰も知らないよと。 そこで、 坂本龍馬ならみんな知ってるけど、龍馬の和歌なんてみんな松陰のまねだよ、というと、 なら松陰と龍馬という本かけば売れるんじゃないかという話になり、まあそうかもしれんねと思う。 「龍馬を斬る」みたいな本書いてみたいが、 ブログに書いたネタかき集めただけですでに本になりそうではある。 もしかしたら売れるかもしれんが、いろんなところから怒られそうで怖い、正直な話。 龍馬が新葉集の影響を受けているというのは、まああり得ない。 新葉集なら私はよく知ってる。 宗良親王の話(「将軍放浪記」)も書いたし。 龍馬の歌とは何の関係もないと思う。 みんな新葉集も宗良親王も知らんでよく言うわと思う。

あるいは貫之と定家とか。 そういう本書けば売れるんじゃないか。 そういう売れ筋の本をいくつか書いておけば私の売れない本もついでに読んでくれるかもしれん。

女子校と男子校が毎年正月に百人一首のカルタ取りの勝負をする、 そこで百人一首の歌を一つずつ紹介する、というラノベ書いたら売れるんじゃないかという話になり、 そういうマンガすでにある、「あかねさす」じゃなくて「ひさかたの」じゃなくて「ちはやふる」 ってやつらしい。 全然しらんがたぶん私が書こうと言ってるやつとはあまりネタはかぶってないだろう。

ちはやふる かみよもきかず たつたがは からくれなゐに みづくくるとは

業平か。 業平ネタならいくらでも書けそうな気がする(もう書いたけど)。 「あかねさす」じゃなくて「ひさかたの」じゃなくてなぜ「ちはやふる」というタイトルにしたかということは別に深い意味はないのだろう。 「ちはやふる」が一番タイトルにふさわしかった、ただそれだけだ。

で、「古今和歌集の真相」は私の意に反して割と人気があったんだが、 彼もおもしろかったという。 難しくなかったかというとまあ読めたという。 彼は和歌も日本史も普通レベルだと思う。 どうも知らずに自分の得意分野でかつストライクゾーンなものを書いていたらしい。 「将軍家の仲人」とどっちがおもしろいかというと、 新井白石とかおもしろくないですよとか言われる。 大塩平八郎(「巨鐘を撞く者」のこと)は有名だろというと、 たしかに有名だがあまり興味ないという。 なんかいろいろ売れない方向にこれまで努力を重ねていたらしい。 企画会議は重要だ。

で、「古今和歌集」のどこがおもしろかったかというと、なんとなく全体的にだという。 本読んでしばらくたてばそんなものかもしれんがそれではわからんからと根掘り葉掘り具体的にどこがおもしろかったのかと聞くと、どうも藤原高子のどろどろした話とかがおもしろかったらしい。

そうなんだよね、たぶん。 読んだ後にああおもしろかったと思わせることは重要だと思うよ。

それで「百人一首」は短いからもう腐るほど解説本はあるんだが、 私なりに書いてみる価値はあるかなとすこし思い始めた。 あーそういえば丸谷才一も書いてたなあ。 このブログでは割と丸谷才一の批評とかしてて、 「古今和歌集」にも書いてたりするんだが、 丸谷才一論とか書いても誰も読まないよね。

実は俵万智はすごい歌人だと私は思っていて、 以前にもプーさんの鼻とか書いてるんだが、 「ほんとはすごい俵万智」なんて本書いたら売れるんじゃないかとかどきどきするんだが、 同世代のまだ生きている人の評論なんて書くと怒られるんじゃないかと思って書けない。 俵万智は不倫からシングルマザーに突っ走った彼女の生き様がおもしろい。 それを赤裸々に歌にしてるところが彼女の歌のすごさなんだが、 単に現代語で和歌を詠んだひとくらいにしか思われてない。 そこを敢えて書いてみるのもおもしろいかもしれない。

現代歌人の評論なんて書ける人はいないよ、私以外は(笑)

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シュピリ ヨハンナ

02.13.2014 · Posted in kindle

アマゾン見てると、ヨハンナ・シュピリの著者名が、スピリ、シュピリ、シュピーリとばらばらで、ヨハンナもJとか書いてあったり、中黒をつけたり付けなかったり。 アマゾンに問い合わせたが名前(著者ページ)の統一はできないとの回答。

それでまあ私としてはアマゾンの日本人名と青空文庫の表記に合わせて「シュピリ ヨハンナ」としたが、こんなふうに書いている人は他にはいない。 だから私の本のページから「シュピリ ヨハンナ」のリンクをたどっても他のシュピリの著作にはたどり着かない。

しかも困ったことに、本家の青空文庫はこれで統一されているのだけど、 青空文庫からkdpで出したやつは、 「エドガー・アラン ポー」(もとの青空文庫の表記は「ポー エドガー・アラン」)になっている。

もう知らんとしか言いようがない。

amazon.com は当然英語綴りで Johanna Spyri。

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