亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘政治’ Category

自衛隊機の夜間飛行差し止め

05.25.2014 · Posted in 政治

自衛隊機の夜間飛行差し止め 厚木基地の第4次騒音訴訟で初判断 横浜地裁

近隣住民の一人として言わせてもらえば、 まったくなんの意味もない判決だ。 22:00から6:00まで戦闘機は今現在ほとんど飛んでいない。 少なくともうちの近所では。 自衛隊機だけで米軍機を差し止めないのでは意味がない。

二重の意味で意味がない。

P3Cみたいな静かな飛行機は別に飛んでも良い、と思う。 偵察機や対潜哨戒機なんてのはもともと静かなんだよな。 プロペラの音はのんきだし、ジェットエンジンでもすごいしずか。 輸送機は図体はでかいがプロペラで割と静か。 新聞社のヘリコプターのほうがずっと迷惑。 ファントムもまあ許す。 しかし、最近になって飛び始めたスーパーホーネット。 あれはキチガイだ。 次から次にうるさい戦闘機が開発されて、 どんどん騒音がエスカレートしていくのであれば、 そりゃだまされたと思うわな。 今でさえ引っ越したいのにもっとうるさい戦闘機が配備されたらどうしようって思うわ。

だから、戦闘機は飛ばしてもいいから、 ある一定の騒音の基準をきめて、それを越えないでほしい。 スーパーホーネットF18とか論外。 どんくらいうるさいかというのはなかなか比較できないんだが、 福岡で箱崎天満宮の上をジャンボが低空飛行するくらい、と言えばよいか。 しかし、 スーパーホーネットはほんとに常識外れにうるさいので、 民間機のジャンボと同じかどうか私にはよくわからん。 というかうまく比較できない。 箱崎ではさすがにうるせーなとは思った。 だが福岡空港の便利さを考えると仕方ないのかなとも思う。 こんな日本でも最も人口密度の高いところに米軍の飛行基地があること自体間違っている。 もし、この騒音がなくなったら、どれほどたくさんの人のQoLが向上し、 不動産の資産価値が上がると思ってるのか。 頭おかしい。 も少し国土を有効利用してもらえないだろうか。 日本は狭いようで広いんだからさ。 どんどん地方過疎化して人が全然住んでないところが増えてるのになんでいまだにこんな都心の近くで戦闘機飛ばすかね? ともかくまず、マスコミは、 町田上空あたりをスーパーホーネットが飛ぶときの取材でもしてくれよと言いたい。 わざわざ沖縄いくより近場で取材費節約になるだろ(笑)。 あのうるささは実際体験してみないとわからん。

しかし今の訴訟のやり方には失望する。 何の問題提起にもなってない気がする。 マスコミも頓珍漢なこと言ってるし。 勝訴とか敗訴とか控訴とかどうとでもなれって感じ。 気がめいる。

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暴力装置2

11.22.2010 · Posted in 政治

続き

「暴力装置」の起源と系譜。 なるほど。つまり、マックス・ウェーバーはマルキストではないが、レーニンやトロツキーに言及することで、 「暴力」という言葉を使ったのだから、 もとはといえば、共産主義用語なんだな、きっと。 いや、つまり、当時の状況として、共産主義思想にかぶれた学生たちに向けた演説なわけだから、 彼らにわかりやすいように、左翼用語に言及して、それとはまったく違う意味合いで、 「暴力」を再定義して見せているんだよね。

小室直樹も言及しているってところが面白いね。 小室直樹は、完全に、ウェーバーが「暴力」と言った意味で「暴力装置」という言葉を使っていて、 たまたま、左翼の用語(「訳語(?)」)を(意図して?あるいはわざと?)借りただけだと思うのだが。 というより、なぜ小室直樹が「暴力装置」という左翼用語に言及し、それをわざわざウェーバー風に解釈しなおしたのか。 それがわからん。他人の著書の解説だったからではないのか。

ウェーバーがトロツキーの用語に言及したからといってウェーバーがマルキストなわけでないように、 小室直樹が左翼用語に言及したからといって、左翼思想に「影響」を受けたわけではなかろう。

はっきり覚えてはいないが、小室直樹が海賊ドレイクを例えに、近代以前には国家が暴力を独占していたわけではない、 ということを他の著書でも言っていたと思う。 たぶんカッパブックスのどれか。

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暴力装置

11.21.2010 · Posted in 政治

国家というものが、「暴力」を独占する唯一の存在だと言ったのはたぶんマックス・ウェーバーで、 『職業としての政治』だと思う。

と思ったら、それをすでに記事に書いている人がいた。 ウェーバーは、 「近代主権国家を合法的な暴力行使を独占する組織と位置付けた」 のである。 どういう場で言ったかはわからないが、文脈的には失言だったのかもしれない。 しかし、ここまで話がでかくなったら仕方ない。 堂々と、反論すれば良いのに。

いちいち、補足する必要もないと思うが、マックス・ウェーバーと共産主義、もしくは共産党とは何の関係もない。 というか、『職業としての政治』のもとになった演説は、第一次世界大戦でドイツが敗北して、 共産主義にかぶれた学生たちに向けて警句として放たれたものだ。 ウェーバーはばりばりの反マルキスト、右翼、帝国主義者、国粋主義者、大ドイツ主義者だった。 ビスマルクの信奉者だったと思う。たぶん。 共産党の議員たちは、純粋に、政治学を専攻した人間として、擁護してくれたのだと思う。 でも多くの代議士には、そのくらいの常識もない。 そういう意味では、一番まともな政治家は共産党員なのかもしれん。

ていうか、国会議員やジャーナリストは『職業としての政治』くらい読まんのか。 岩波文庫で、簡単に手に入るのだぞ。

暴力を飼い慣らすために国家というものができて、国家よりも上位の政治システムはまだ出来てないのだから、 国家が暴力を行使する権利を独占するのは当たり前であり、 そのために、文民統制というシステムがある。 その最高司令官が内閣総理大臣だ。 良くできたシステムだ。 それを、否定したいのか、なんなのだろうか。 たとえば頼朝は暴力を独占した。幕府というものだ。なんの正統性もない。しかしうまく機能したのは、 頼朝が、政治の本質を把握してたからだろう。違うかな。

まあしかし、菅直人が、自衛隊の最高司令官だという自覚がなかったのには、苦笑した。

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