亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘ドイツ語’ Category

05.01.2016 · Posted in ドイツ語

「シュピリ」だが、アマゾンではまったく動きがないのに、図書館ではまだ徐々に所蔵が増えている。

東京都だと杉並区が4館で他よりも少し多く、ほほうなるほど、杉並はやっぱりアニメ好きですか、って感じがする。

埼玉はなぜか所蔵館が多く、なかでも川越が若干多い。 これまた宮崎駿の影響を感じさせなくもない。

思うに、アマゾンで中身を見ずにいきなりこの本を買う人はそんなにはいないだろう。 いるとしたら研究者かなにかだろう。 とりあえず読んで見るには立ち読みか、図書館で買ってもらうか。

反応はほとんど無いに等しいが、何となく今回は多くの人に読んでもらえてる気がする。 サイレントマジョリティの存在を感じる。

宮崎駿は確実に歴史に名を残す人で、彼を理解しようと思えば、 「アルプスの少女ハイジ」までさかのぼってみないわけにはいかない。 原著と比較したときにその多くの違いに人は気付くだろう。 そこからさらにヨハンナ・シュピリという作家について疑問がわいてくるに違いない。 私はますますシュピリという人は童話やメルヒェンを書きたくて書いたわけではなく、 編集者にそそのかされて書いたんじゃないかという気がしている。 シュピリのおもしろさは、メルヒェンから逸脱した、彼女の「地」の部分にあると思う。 その不純物を漉し取ってしまうと、まったく味けのない作品になってしまうのだ。 シュピリはほんとはもっとシリアスな話を書きたかったのだが、 そんな売れない本はとか出版社に言われて仕方なく童話を量産したのではなかったか。 シュピリが自伝を残さなかったのも、そういう、人には言えない事情がたくさんあったせいではないか。 私の直感では明らかにそうなのだが、 その証拠固めをするのは骨が折れる仕事だ。 今より100倍くらいドイツ語を読んで、ドイツ語と格闘しなきゃいけない。 今更ドイツ語にそこまでのめり込んでどうするという気がする。 ていうか本場のドイツ人が研究しろよと思う。

ともかく、 無名の新人(筆名では。まあ、実名でも全然名は知られてないが)が多くの人に読んでもらうには今回の狙いは割とあたったように思う。 私だって宮崎駿以外が「ハイジ」を作っていたらまったく興味を持たなかっただろうし、 宮崎駿学の文献の一つを提供したのだと思っている。

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e-rara Johanna Spyri 文献

04.25.2016 · Posted in ドイツ語

初版の年ではなくて実際に出版された年の順

Bremen : C. Ed. Müller’s Verlagsbuchhandlung

Gotha: Friedrich Andreas Perthes

Stuttgart: Carl Krabbe

Barmen: Hugo Klein

Basel: Allgemeine Schweizer Zeitung

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ヨハンナ・シュピリ初期作品集

04.24.2016 · Posted in ドイツ語

ヨハンナ・シュピリ初期作品集

  • 価格 1800円(税別)
  • ISBN 978‐4‐7734-1000-6
  • 著者 ヨハンナ・シュピリ(訳・田中紀峰)
  • 発売日 2016/2/27
  • 四六判(130mm×188mm) ソフトカバー 292ページ
  • 発行 夏目書房新社
  • 販売 垣内出版

初版第一刷の誤記・誤り等

p. 4 (p. 49 も同様)

できるだけうまく話してみまし

→ みまし

p. 55 (p. 232 も同様)

DAHEIM UND FREMDE

→ DAHEIM UND IN DER FREMDE

p. 85 (p. 240 も同様)

AUS FUÜHEN TAGEN

→ AUS FRÜHEN TAGEN

p. 210

直訳すれば「地上の小さな寝床に憩え(zur Ruh ein Bettlein in der Erd)」

Paul Gerhardt のNun ruhen alle Wälder に見える句だが、

Nun geht, ihr matten Glieder,
geht hin und legt euch nieder,
der Betten ihr begehrt.
Es kommen Stund und Zeiten,
da man euch wird bereiten / zur Ruh ein Bettlein in der Erd.

該当箇所を訳すと

さあ、行け。おまえたち、疲れきった手足よ
行って横たわれ
おまえたちが望んだ寝床に。
時がやってくる、
そこに、地上の寝床に休む準備をしよう

「bereiten zu 物」で「物を用意する」、の意味。 だから、できるかぎり直訳すると「地上に用意された休息の寝床」となるか。 だから本文中の「直訳すれば」は余計か。 man euch の euch は再帰代名詞だと思うが、特に訳さなくてよいか。

p. 220

Freude die Fülleあふれる喜びと
Und selige Stille 至福の静けさ
Darf ich erwarten 私は待っている
Im himmlischen Garten, 天国の園で
Dahin sind meine Gedanken gericht’. 私の考えが裁かれるのを

Darf ich erwarten は「私は待っていてもよかろうか?」のように推量疑問、もしくは 「私は待っていたい」のように願望として訳すべきだろう。

Dahin sind meine Gedanken gericht’ は「そこへ(dahin)私の思いは向けられている(sind gerichtet)」と訳すべきだった。

p. 287

アルトゥールとリス

Squirrel は「リス」ではなくて女の子の名前である。 無理にドイツ語読みすれば「シュクヴィレル」とでもなろうか。 Arthur も「アートゥア」などと記した方が良いかも知れない。

p. 288

1890 Cornelli wird erzogen

「コルネリは育てられる」 これとその前の

1889 Was aus ihr geworden ist

「彼女は何になったか」 は別の年に出た別の本。 「彼女は何になったか」は 1887年の

Was soll denn aus ihr werden?

「彼女はどうなるべきか」の続編 (Fortsetzung)。

これら三つの本の説明がごっちゃになっている。

その他

表紙に書かれている

Frühe Erzählungen von Johanna Spyri, die Verfasserin des «Heidi»

だが、これは(出版社に頼まれて)「ヨハンナ・シュピリ初期作品集」というタイトルを私が独訳したものであり、それ以上の意味はない。 原著名は Verirrt und Gefunden (1872) ですが、のちに Aus dem Leben (1900) と改題・微妙に改訂されて再出版されている。

Verirrt und Gefunden と Aus dem Leben の違いは、 次のテキスト(ただし Ein Blatt auf Vronys Grab のみ)の差分を取るなどして確かめてみてください。

思うに、ゲーテに Aus meinem Leben, Dichtung und Wahrheit という自伝があり、 またヨハンナによって書かれた夫の伝記 Aus dem Leben eines Advocaten (ある弁護士の人生から)があることから、 ヨハンナ自身によってその死の直前に Aus dem Leben と改題されたこの書名には、これが自伝の代わりであることがほのめかされていると思われる。

参考

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Aus dem Leben と Verirrt und Gefunden と Ein Blatt auf Vrony’s Grab

04.16.2016 · Posted in ドイツ語

Aus dem Leben (Projekt Gutenberg) (1900) はテキストデータ化されているのだが、元の書籍の写真(PDF版)は見つからない。

Verirrt und Gefunden は初版は1872年だが、このPDF版は1882年の第2版。

Ein Blatt auf Vrony’s Grab は初版は1871年だが、このPDF版は1883年の第4版である。

細かく差分を見て行くとこの三つの版は少しずつ、微妙に異なっている。 それでどれが一番古い形なのか、 まあ普通に考えれば 1882版なのだろうが、1883版のほうが古いような気がする箇所もある。 1900版では明らかに標準ドイツ語への書き換えが行われている。 Fluth を Flut と綴ったり、thut を tut としたり。 treulich Hülfe を treuliche Hilfe としたりしている。 また zum ersten Mal を zum erstenmal としたり、 大文字や小文字を変えたり、 コンマやコロン、セミコロンの打ち方を細かく変えたりしている。 ただしこの辺りのことはヨハンナ自身ではなく編集や校正がやった可能性が高い。

1882版と1900版では

Wir waren nahe Freunde.

となっているところが、1883版では

Wir waren nahe befreuendet.

となっている。 どちらも「私たちは仲良くなった。」と訳せば良いわけだが。 また 1882、1883版では

Warte nur, balde, balde / Schläfst auch Du!

となっているところが 1900版では

Warte nur, balde / Ruhest du auch!

になっている。 1900 のほうはゲーテの詩のままであるが、 昔のは少し改変してある。 それをヨハンナは気にして、 後からゲーテのオリジナル に戻しているらしいのである。 しかし子供の頃のフローニが口ずさんだ歌としては 1883 のままのほうがそれっぽくみえる。 実は私がこのゲーテのオリジナルを見つけたのはまったくの偶然だった。 たまたまゲーテの詩集を読んでておやっと思ったわけだが、それくらいこの詩は有名だということになる。

引用符は » と «、または › と ‹ に揃えてある。 実は原作は引用符がきちんと閉じてないところがあって、それは 1900版でも直ってない。 訳すときに割と困った。 仕方ないのでそこだけは私が直した。

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クララ

04.16.2016 · Posted in ドイツ語

びびりなのでときどきドイツ語原文を読み直したりしているのだが、

»Ja,« erwiderte sie, »sehr lange und tief krank war ich an Leib und Seele.«

「ええ、」彼女は答えた、「とても長く深く、私は体も心も病んでいた。」

この部分、本の中では

「ええ、とても長い間、とても重い、体と心の病気を患ってた。」

と訳している。 会話中に erwiederte sie とか sagte sie(彼女は言った)のような短い言葉が挿入されることが非常に多いのだが、 これはヨハンナの癖というよりは、 ドイツ文にはよくあることのように思える。 現代日本文としてはやや違和感あるし、文脈上書かなくてもわかるので、全部省くことにした。 しかし、

»Klara,« sagte ich nun, »hast Du die Krankheit durchmachen müssen, an der wir Marie damals so elend sahen?«

の nun ような語が付加されている場合には、省かずに

「クララ、」私はまた言った、「あなたはもしかしてマリーが苦しんでた頃からもう心身を病んでいたの?」

などと訳した。 ところでこのクララという女性なのだが、 もちろん「ハイディ」に出てくるクララとは名前が同じだけなのだが、 どうもヨハンナの友人というよりはヨハンナ自身がモデルなのだろうと、 私にはますます思えてきた。

数年間、心も体も病んでいて、音信不通で、しかもある詩人に失恋していた。 何千もの「知性の泉」の水を汲んで飲んでみたが、何の役にも立たなかった。 友人に聖書を薦められても納得がいかなかった。

ヨハンナが結婚してチューリヒで暮らしはじめ、 子供が生まれるまでの間、ヨハンナ自身がそういう状態だったのだろうと思えるのだ。 親しい女友達の「私」とは、 コンラート・フェルディナント・マイヤーの妹、ベッツィー・マイヤーであったかもしれない。 ベッツィーのほうがむしろ、ヨハンナよりは信心深かったかもしれない。

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フローニ他

04.01.2016 · Posted in ドイツ語

知り合いに 『ヨハンナ・シュピリ初期作品集』を読んでもらい、いろいろ感想を聞いたので書いてみる。

私はこの本ではできるだけふりがなをふらないつもりでいた。 というのは『定家』ではふりがなのおかげで校正でひどい目にあったからだ。 『定家』は illustrator で版組されていて、 ふりがなもすべて手作業で(しかも書き終えた後で追加で)ふってたので間違いが半端なかった。 『シュピリ』は in Design で組み版されているのでそういう間違いはまったくなかったのだが。

また、もともと原作が若者向けのわかりやすい話であったはずだから、 わざわざルビをふらなきゃならないような難しい単語や言い回しは(少なくとも本文中は) 使わないようにしようと思った(しかし童話のような文体にする気はなかった)。

難しくて読めない単語があったというから聞いてみるとそれは「敬虔」だった。 なるほどこれは確かに子供には読めない。 調べて見るともとの単語は fromm であったり religiös であったりする。 「信心深い」とか「信仰心の厚い」などと訳するべきだったかもしれない。 ただ「敬虔」のほうがドイツの敬虔主義的なキリスト教の信仰を表すにはふさわしい気もする。

いずれにしても、『定家』では最初の数ページでギブアップした人も、 今回「シュピリ」は、本文は最後まで読めてくれたようで、多少堅苦しい言い回しはあったようだが、誰でも読める本になってると思う。 普通の翻訳ものに比べて解説が異様に長くてこ難しいのは訳者の趣味なので勘弁してもらいたい。 ドイツ語の引用が多いのはドイツ語をひけらかしたいとか厳密を期したというより、むしろ訳者が自分の訳に自信がないからだ。 私にしてみれば、ゲーテの詩集が原文の引用なしであんなに出ていることの方が不思議だ。 小説ならそんな必要はないかもしれんが。 確かに私もドイツ語なら原文が多少気になるが、 アラブ語やロシア語の原文をいちいち引用されては迷惑な気もする。 普通翻訳というのはそんなものだろう。

「フローニの墓に一言」をkindleで出版したのは2014年1月のことだった。 ここでは、ハインリヒ・ロイトホルトがアルムおじさんのモデルである、 などと書いているがこれは間違いだ。 「若い頃」に出てくるヨハネスがハインリヒ・ロイトホルトをモデルにしたものであるとすれば、 ロイトホルトは「怖い大工」ではなく、少年の頃からふにゃっとした詩人タイプであったはずだ。

「ハイディ」は処女作「フローニ」を土台として構築されたメルヒェンであると考えてほぼ間違いなかろうと私は今も考えている。その考えは2014年以降、 他の初期作品も訳し終えてみて変わってない。 「ハイディ」はヨハンナの他の子供向け作品と比べると宗教色が濃厚である。 初期作品よりはずっと薄められているが、例えば1878年に出た Am Silser- und am Gardasee 《小さなバイオリンひき》(ジルス湖とガルダ湖のほとりで)、 Wie Wiseli’s Weg gefunden wird 《ヴィーゼリの幸福》(ヴィーゼリの道はどうやって見つかるか)などの作品が完全な童話として構成されている(ただし主人公は片親だったり孤児だったり、家が貧乏だったりして不幸な子供のことが多い)のに対して、ハイディには暗い死の影が落ちている。 それはやはり、生涯童話作家になりきれなかったヨハンナが、フローニを下敷きにハイディを書いたからだと思われるのだ。 「ハイディ」を書いた動機は、ハイディという少女を描きたかったというよりも、 フローニを不幸に死なせてしまったアルムおじさんの魂を救済するため、 またフローニという不幸な娘の霊を慰めるために、 ハイディという、ある意味聖なる少女をアルムおじさんのもとに遣わしたいという衝動であったのに違いない(というより、書いているうちどうしてもそっちのほうに話がひっぱられていった)。 つまりフローニの夫を悔い改めさせることによってフローニの物語を完結させたかったのだと思えるのである。ここでハイディは牧師役でもあるし、天使役でもある。 フローニを弔うという意味でやはりハイディはフローニの続編とみなしてよいと思うのだ。 ヨハンナは単に宗教的な作品を書きたかったのではない。おそらくは実在のモデルに基づくフローニという人を哀れんだゆえに宗教的になってしまった。 しかしフローニの話から書き始めるともう話が複雑でかつ暗くなってしまって児童文学にはならない。ハイディを児童文学として書きたかったヨハンナは、その代わりに、 ハイディの母アーデルハイトや父トビアス、そしてアルムおじさんについてのなにやら思わせぶりな噂話をデーテに語らせている。 そして読む人が読めばわかるような仕掛けがしてあるのではなかろうか。 ハイディの続編、クララが山に来て立つという部分は明らかに当初の執筆動機から逸脱している。しかしながらクララが立たないことにはハイディは成り立たないことになってしまった。 ハイディが世界に通じる一個の仮想物語(メルヒェン)になり得たのは、そうしたいという出版社の意図と助言があったからだろう。ヨハンナ自身の意志もあったかもしれないが。

「フローニ」を読まねば「ハイディ」はわからんよということに多くの人がだんだんに気付くに違いない。

「彼らの誰も忘れない」に出てくるロベルトとザラの関係は、アルムおじさんとハイディの関係に近いかもしれない。

ある人は頭からどんどん読んでしまったが、 またある人は、時代背景が難しくてなかなか読めないといって進まない、らしい。 確かに、たとえばグリム童話で、継母に森に捨てられた兄妹が魔女に騙されるという話、 これなどは時代背景などいらない。 そういう(現実世界とは切り離された架空の)世界観の中にさっくりと読者を連れ込めれば良い。 アニメの「ハイジ」もまた同様な手法を採っている。 19世紀末のスイスの時代背景やドイツ文芸事情なんてものをいちいちアニメを見る子供にわからせてはいられない。 ヨハンナはゲーテファンだったからゲーテの話から始めます、という悠長なことは言ってられない。

ズイヨーはハリウッドやディズニーの手法を取り入れたのだと私は思う。 アメリカは歴史が短く文化が貧困な国だから、 ヨーロッパから盛んに原作を輸入して、アメリカンにアレンジして、実写化し、アニメ化した。 ヨーロッパの歴史的伝統的でドリーミーな要素をよりこってりと濃縮し、 一方ヨーロッパ固有の暗くて重い宗教観をそぎ落とすという脚色手法を取り入れた。 キリスト教を絡めるとイスラム諸国に売れなくなるなどとズイヨーの会長は言っているようだが (高橋茂人,日本におけるテレビCMとTVアニメの草創期を語る(TCJからズイヨーへの歴史))、

イデオロギーは,みなそれぞれ違う。それを出すべきではないと思う。「ハイジ」には深層に流れているものがある。それはキリスト教思想なんだ。しかしそれを正面きっては出せない。世界に広く作品を売ろうとするなら,キリスト教のほかイスラム教の国もあり,例えば中近東では売れなくなってしまう。

高橋茂人が当初からそこまでワールドワイドにアニメを売ろうとしていたとは考えにくい。 ヨーロッパの市場はそれなりに大きいから、 ヨーロッパ人に受けるようにキリスト教的な要素を盛り込もう、という戦略もあり得たはずだ。

ハイディをヨハンナの作品群の中の一つに戻す。 ヨハンナを当時のドイツ文学界の中の作者の一人に戻す。 そして当時のスイス、ドイツ文芸界、ドイツ語圏の社会情勢の中で、では、 ヨハンナとは、ハイディとは何だったのかということを示してみせたことになっただろうか。 いろんな本を効率良く読もうという忙しい人は、本をいちいち頭から読んだりしない。 その概略だけさらっと知りたいと思うだろう。 解説から読み始めるかもしれない。 ところがそういう読み方をする人にはこの本は時代背景が難しすぎてなかなか読めない、 ということになる。そりゃそうかもしれない。 私もそんなに簡単に読める本を書いたつもりはない。 しかしできるだけいろんな人に読んでもらいたい。 だからこんな本になった。

ロッテンマイヤーはスイスの少女に聖なる幻想を持つ人だった。 一方デーテやハイディは生の、野生のスイス娘だった。 デーテ対ロッテンマイヤー、あるいはハイディ対ロッテンマイヤーのやりとりは、 もしかするとヨハンナと編集者の間のものであったかもしれない。 つまりロッテンマイヤーみたいな潔癖でかつスイスに幻想を抱いているドイツ女がいて、 編集者として、もっとこんな風なストーリーにしましょうよ、などとヨハンナに提言する。 ヨハンナはそれに対して半信半疑に従ったり抵抗したりする。 もしかすると、ヨハンナの多くのかなり退屈な童話群というのは、 Gotha Friedrich Andreas Perthes にいたロッテンマイヤー女史みたいな人の要望に沿ったもので、 ハイディはそんな編集者への反発を反映したものかもしれない。 などと空想するのは楽しい。

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「ハイディ」邦訳疑惑

09.28.2015 · Posted in ドイツ語

矢川澄子訳『ハイジ』は

のどかに広がる昔ながらの小さな町、マイエンフェルトから、一筋の小道が、木立の多い緑の牧場をぬけて、大きくいかめしくこの谷を見おろす山々のふもとまでつづいています。

で始まる。 野上弥生子訳だと

スウィスのマイエンフェルトといふ古風な、気もちの良い村から、一すぢの路が緑いろの牧場を抜けて、うねうねと遠く山の麓まで曲つてゐます。

となる。 原文

Vom freundlichen Dorfe Maienfeld führt ein Fußweg durch grüne, baumreiche Fluren bis zum Fuße der Höhen, die von dieser Seite groß und ernst auf das Tal herniederschauen.

を忠実に訳すならば、

親しげな村マイエンフェルトから一本の小道が緑の木立が多い野原を通って、谷を見下ろすほうへひらけた、大きくいかめしい高地の麓へ続いている。

とでもなろうか。 多少の意訳は当然あり得るとして、原文には「昔ながら」とか「古風な」などという言葉は一言も出てこないのである。 実際マイエンフェルトには当時ちょうど鉄道が通って駅ができた。 産業革命の波がようやくスイスの山奥まで到達しつつあるときだった。 だから、昔ながらの古風な村ではあり得ないのである。

1919年の英訳(ELISABETH P. STORK)によれば、

The little old town of Mayenfeld is charmingly situated. From it a footpath leads through green, well-wooded stretches to the foot of the heights which look down imposingly upon the valley.

小さな古い町マイエンフェルトは愛らしいところだ。そこから小道が、緑の、木立の多い、谷を堂々と見下ろす高地の麓へ伸びている。

とでもなろうか。

「スウィスの」と補ったのは良いとして、「うねうねと」などは原文のニュアンスにはない。 どちらかといえば「まっすぐつっきっている」とでも訳したいくらいだ。 「のどかに広がる昔ながらの小さな町」というのも訳者の勝手な想像というしかない。

あきらかにどちらの邦訳も英訳の影響を受けている。 矢川澄子訳の方は一応ドイツ語原文にも目を通しているらしい。

牧場という言葉も、原文、英訳ともに出てこない。 Flur を注意深く訳すならば「野原」もしくは村の外に広がる畑のことであり、 必ずしも牧場とは限らない。 牧場と訳しても間違いではないが。

アニメよりずっとまえ、邦訳よりも前の、英訳のころから、 スイスの外の世界の人は、スイスという国は、浮き世離れした、時間が止まったメルヒェンの世界だというふうに考えたかったわけだ。『ハイディ』はそのイメージにぴったりだったから受け入れられたし、受け入れがたい部分は勝手に解釈してきたというわけだ。 下界のフランクフルトとアルプスは対極的な存在でなくてはならない。 古代ギリシャの神話のように、現世から神話の世界へと転生する話に再解釈された。 後編でクララの足が治るのも、天上界に転生したので治ったのと同じ意味にとらえられた。 ヨハンナ・シュピリの作品の中でも最も非現実的なこの『ハイディ』という作品しか、世界は受け入れてくれなかった。ヨハンナはきっと悔しい思いだったのに違いない。

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wenn, sollte dann

08.21.2015 · Posted in ドイツ語

いつもの長文(というより、長いセンテンス)の時間です。

Wenn wir Menschenkinder kaum ertragen können, die Fehler und Flecken zu sehen, die uns und unsere Mitmenschen entstellen und erniedrigen und um so schärfer sehen, je mehr uns an den Menschen gelegen ist, sollte dann nicht unser Herr und Gott immer noch schärfer sehen und es noch genauer mit uns nehmen?

全体的に見ると

wenn もしなんとかならば, sollte dann であるべきだ

という形になっている。sollte はここでは助動詞。sollen の過去形とみると意味がおかしい。

「もし、私たち人の子が、ほとんど耐えることができなかったら」その目的語は「誤りや汚点を見ること」である。そのあとの die は「誤りや汚点」を受けていて、

die uns und unsere Mitmenschen entstellen und erniedrigen

私たちや私たちの同胞を損ね、貶める

und (die) um so schärfer sehen, je mehr uns an den Menschen gelegen ist

厳密に見れば見るほどににますます人々にとって重要になる

となる。 gelegen はここでは明らかに形容詞(ふさわしい、重要な)であり、かつ、

人3 an 物4 gelegen sein

だれそれにとって何々は重要である、というイディオムになっている。 また

je 比較級、um so 比較級

もイディオムである。

それでまあ、直訳すれば、「私たちや私たちの同胞を損ね、貶める、しかしながら厳密に見ればみるほどに重要になっていく誤りや欠点を、私たちがほとんど直視できないとしても、私たちの主と神はいつも厳密に見ているのだから、私たちもやはり厳密に受け止めるべきではなかろうか。」とでもなるだろうか。 最後のあたりが少し自信がないが、主語は es ではなくて unser Herr und Gott であり、es は目的語だろう。 いずれにしても、訳してみると、べつにこんなに馬鹿丁寧に訳す必要のあることではない。 てきとうに意訳しておけば十分だろう。

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dagegen

08.03.2015 · Posted in ドイツ語

Fanden nun Vater und Mutter ihren besten Trost und die befriedigende Nahrung für ihr inneres Leben in den Worten des alten Bibelbuches und solcher Schriften, die desselben Sinnes waren, so war es dagegen den Bedürfnissen ihrer Natur gemäß, aus den Worten der Dichter und Weisen zu schöpfen, die ihren Blick weiteten, ihr Denken erhellten und ihr ganzes Wesen festeten, daß sie, der eigenen Kraft bewußt, gerüstet dem Leben entgegentreten könnte.

なんと長い、そしてコンマの多いセンテンスだろうか。 これは A, so B, daß C と言う形になっていると解釈できよう。

A の部分は

父と母は古い聖書などの書物の言葉の中から、彼女のために、元気と心の糧を見つけた。 それらはおよそ同じような意味合いだった。

B の部分は

しかしそれゆえにそれらの宗教的な文句は彼女自身の好みに反していた。

彼女の好みというのは aus den Worten der Dichter und Weisen zu schöpfen という zu 不定詞句が Bedürfnissen ihrer Natur gemäß にかかるとみて、

詩人や賢者の言葉から生まれ出て、 彼女の視野を広げ、 彼女の考えを明解にし、彼女の本質を確立してくれるもの

である。 そして C の部分は

自分自身の力を自覚し、 すでに自分なりに理論武装していた彼女は、人生に立ち向かっていけた。

となるだろう。

前半部分の父母の宗教的な好みと、 後半部分の彼女の詩的な好みが対比されている、と見るべきだ。 dagegen があるのでそれがわかりやすい。

「, so」や「, daß」などでセンテンスが大きく切れている、 ということに着目すべきだ。

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Ich möchte nicht das Kind sein!

07.28.2015 · Posted in ドイツ語

Ich möchte nicht das Kind sein!

直訳すれば、「私はあの子供でありたくない」だろうか。 敢えて英訳すれば

I might not be that child!

とでもなろうか。 で、英語版では

I am glad I am not the child!

「私があの子供でなくて良かった」。

矢川澄子訳は

あの子の身にもなってごらんよ!

となっている。なるほど。

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