清朝末期の改革

1894年の日清戦争から1911年の辛亥革命までの清朝末期の改革は、よく調べるとけっこう面白いのかもしれん。キーワードは、戊戌維新、百日維新、康有為、梁啓超、光諸帝、変法維新、章炳麟、etc。西太后は当時の中国社会そのもので、「もし西太后がいなければ」という仮定は無意味だと思う。西太后が居なくても他の皇族が担ぎ出されただけだろう。1898年、光諸帝が康有為や梁啓超らにうまく立憲君主制を作らせていれば、1900年の義和団事件も1911年の辛亥革命も未然に防げたかもしれない。そうするとそもそも日露戦争も起きなかったかもしれないし、そうなると韓国は一時的に日清の保護下に置かれたかもしれないが、韓国併合はなかったかもしれないし、そのうち日清韓同盟が力を付けていけば、遼東半島もロシアから取り戻せたかも。というか日本が遼東半島を割譲して三国干渉を招いたのがまずかったのかなぁ。とかいまさらどうにもならんことではあるが。

呉智英「犬儒派だもの」比較的新しい本だが、世田谷中央図書館にあった。すばらしい。
冒頭「声に出して笑いたい誤文・悪文」で長尾真の岩波新書「「わかる」とは何か」がやり玉に挙げられている。きわめて普通の工学書で、それ以上でも以下でもない。が、彼はどういうわけか京大総長になった。たぶん理系人間が京大総長になったのが気に入らなかったのだろう。岩波新書か何かに科学論めいたことを書かされて、わざわざ批判の矢面に立って、呉智英に馬鹿にされるとはあわれなことだ。どうも工学者は偉くなると哲学をほいほい語り出すのだが、専門となんの関係もなく実にナイーブだ。岩波新書なんてものに書くから読者も期待して読む。岩波の編集者も偉い人だからとほいほい書かせる。書けば中身に関わらず買うやつは買う。
そして皆が不幸になる。

Linus の Just For Fun(和訳)を読むと、世の中にはやはり文系と理系の厳然とした違いがあるなと思う。フィンランド人でも日本人でも違いはない。背が高い低いとか太ってるとかやせているというのは外見だから、見てすぐにわかる。しかし、文系理系というのは脳の中身のことなので、見ただけではわからん。そんな区別はないものだと言いたがる人もいる。しかし状況証拠から見ればやはり明らかにあるように思われる。

理系文系の違いは、理系は数学や物理に美しさを感じるということ。数学に心地よさを感じる人たちが集まった集団が理系。まあ、そういって間違いない。芸術学部の連中は、なるほど彼らは確かに美しさということに敏感であるし、関心が高いのであるが、数や数式が美しいとは決して考えない。いや、数を美しいと感じないからこそ、それ以外のものを美しいと感じる能力が発達しているのだと思う。数を美しいと感じる人は逆にそれだけで満足できてしまい、それ以外のものをわざわざ追求しないのだろう。

Linus が成功したのはタイミングが良かったからだろう。Linus と同程度の才能と意欲を持つ人間はいくらでもいたが、成功するには何か新しい流れが生まれるその現場に居合わせなくてはならない。Linus のような人材はつまり理系であり、オタクである。そういう人間を芸術学部の中で育てるのは不可能だ。そういう人材が欲しければ募集を工夫するしかない。カリキュラムでどうにかなるレベルを超えている。

康有為

たまたま康有為というマイナーな人の伝記があったので思わず借りてみる。

読んでみたが大して面白くない。改革してみたが、地方の役人や官僚がまったく言うこと聞かなくて、みんな西太后の言うことばかり聞くので、日清戦争の敗戦で始まった変法自強運動も三ヶ月で頓挫してしまった、というのがあらすじ。

なんていうか西太后は国を滅ぼした悪女のように言われるが、西太后がもし康有為のような改革をやろうとしても、同じように失敗したんじゃないか。官僚と役人と民衆が言うこと聞かなきゃ改革なんてやっても無駄だ。無駄だとわかってたから彼らの好きにさせただけなのかもしれん。光緒帝も別に無力でも無能でもなく。

西太后というのは東条英機みたいなもんかな。彼も別に無能でも悪人でもなかっただろう。

大清帝国はだからだめなんだと言ってみるのは簡単だが、現在の日本も似たようなもんだ。改革しようとしても官僚や民衆が言うこときかない。その点小泉君はよくやっとる。
彼の改革は遅いと民衆はいうようだが、私からみればずいぶん速い。ていうか改革はゆっくり遅いくらいでちょうどいい。役に立てばいいんで、即効性なんて必要ない。少子化というか、少人口化は私はむしろもっと進行した方がよいと思う。日本人は日本に五千万人もすんでりゃ十分だろ。要らなくなった田舎は自然に還せばいい。生活はずっと快適になるだろう。でも年金は困る。だから税金を注入すればいい。財源は間接税でいいじゃんか。福祉は別に考えればよく、消費税と絡ませる必要はなんもなし。結果的に北欧のような高福祉の国になるんだろうけど、それで別に何の問題もなし。

なんでそういう簡単なことがすっとできないのかなぁ。康有為も王安石くらい暴れてくれりゃ、或いは金玉均みたいに暗殺されたりすれば、もっと伝記も面白いのかもしれんが、
地味なんだだよねぇ。まあ別に歴史に残らんでも一個人としては、それなりに普通に暮らせればいいんで、その点では康有為は王安石や金玉均よりもお利口さんだったのかもしれんし。

百歳以上生きた宋美齢は日本人は口べただと言ったらしい。また、日本人は短気ですぐ切れる人種だと思われている。つまり日本人というのは無口で短気なわけで、中国人は相対的に饒舌でねばり強いというわけだ。まあ中国人から見れば周囲の蛮族はみんなそんなもんだと思うが。無口で短気で癇癪持ちだから明治維新では一時的にうまく行ったように見えて、その後ひどく失敗した。失敗したんで懲りたかというとそうではなくて、戦後日本なんて戦争中と大して精神構造は変わってない。プロジェクトXで黒四ダムがどうしたとか言ってるようだが、多くの人死にを出すほどの緊急性があったのか。技術的な成熟を待ってやれば一人も死なずに工事できたんじゃないのか。巨人の星のようなスポ根モノが大嫌いだ。そういう、気分や勢いで戦争されても困るし、そのままの勢いで戦後復興とかされても困るんだよね。

日露戦争物語

江川達也が「BE FREE」「ラストマン」「東京大学物語」と来て、今は「日露戦争物語」。
教育モノが好きなんだね。で、今は日清戦争にさしかかったところ。

江川達也が「王道の狗」を読んで影響を受けていたかどうかは微妙。金玉均の描き方がまるで違うところをみれば、おそらくは読んでないか。では「坂の上の雲」を読んでいるかといえば、もちろんそうだろう。司馬遼太郎は「坂の上の雲」を原作とした映画やらを禁じているそうだが、原作というほど似てはいない。しかし秋山真之が主人公なところはそっくりだがなー。

「坂の上の雲」では金玉均についての描写はあまりなかったような気がする。一応全部通して読んだはずだが。

江川達也「日露戦争物語」司馬遼太郎「坂の上の雲」安彦良和「王道の狗」を読み比べるというのはなかなかおもしろいんだが。「坂の上の雲」は超ベストセラーで、「日露戦争物語」もそこそこメジャーだと思うが、ミスターマガジンに連載された「王道の狗」を読んでる人というのはきわめてまれだろう。安彦良和は最初ガンダムのキャラクターデザイナーとして現れ、それからアリオンという空想的というか浪漫的なギリシャ神話ネタの漫画を書いた。はっきり言ってアリオンは大した漫画ではない。ところがギリシャ神話を取材にギリシャに行って、それからトルコでクルド人というのを知って、「クルドの星」という漫画を書いたのだが、これがなかなかの傑作。またトルコで日本近代史というものに開眼したのだと思われる。日本神話にも関心を持ち神武天皇とか大国主の命の話も書いているが、こちらはどうにもこうにも。さらに幕末から日清戦争までを書いた「王道の狗」は傑作だと思うが、ノモンハン事件あたりを書いた「虹色のトロツキー」はかなり異常で難解。割と好きなのは「三河物語」で、大久保彦左衛門と一心太助が大阪の陣に徳川方で参戦するという話。これはメディア芸術祭か何かで賞をもらってたようだが、知名度はほとんどないんじゃないか。

「王道の狗」は前振りをざっくり省略すれば、自由民権運動で投獄され脱獄した主人公が金玉均の用心棒となり、その遺志をついで日清戦争後も朝鮮でゲリラ活動を繰り広げるというもの。「日露戦争物語」みたいに読んでわかった明治時代、みたいな書き方にはなっていない。

なんかとりとめのない話になってしまったな。

で、金玉均もそうだが陸奥宗光がまた。PHP文庫に岡崎久彦「陸奥宗光」というのがあり、また新潮文庫に角田房子「閔妃暗殺」というのがあるのだが、読んでも読んでもようわからんのだが、その中でも江川達也の描写というのはなかなか的確でわかりやすいなあと思った。彼はそうとうに努力していると思う。

ただ、江川達也の書き方だと、陸奥宗光も金玉均も、日本と清が一戦交えることで、清、朝鮮でそれぞれ日本の明治維新のような改革が進んで、日本、清、朝鮮の三国によって西洋による東洋の侵略をくい止めることができる、と考えていたことになる。それでいいんだろうか。

雍正帝

宮崎市定の「雍正帝」という本を読むと、

康煕帝はどこまで漢文化に対する理解があったかは別として、しきりに文化事業を起こして大きな書物を編纂させた。その十中八九は徐乾学が編纂の総裁官であったというが、そのたびごとに弟子を編纂官に任用し、事業が終わると部下は恩賞を受けて大官に抜擢され、或いは試験官となって地方に赴く。芋蔓式に目に見えない広範な組織が出来上がるわけである。

とある。康煕時代の文化事業といえばまず康煕字典だが、そもそもなんのために康煕字典というものが作られたかということなど考えたこともなかった。康煕帝は文武両道に秀でた名君だとみんなが漠然と考えるところだが(陳舜臣もそう考えたらしい)、満州から移り住んで間もない康煕帝が自分の意志で漢和辞典なぞ作ったはずはなかった。学者連中が自分の学閥を肥え太らせるために、喧嘩は強いが無教養な天子様からお金をせびったのである。

開けられないブラックボックス

ビックコミックのアフター0というのでありとあらゆる電磁放射や圧力を100%はねかえす箱というのが出てくるんだよね。で、誰もがそのブラックボックスを開けられない。その箱の中には花崗岩の石版が入っているのだが、核分裂で発生する熱で数千万年のうちに中の石版がどろどろにとけるというんだよね。で、開けた瞬間に中から溶けた花崗岩が飛び出してくるという。しかし、外界からのいかなる信号もはねかえすのに、どうやってその箱を外から開けられるのかと。また、外から電磁波が入らないということと中から熱が出てこないというのは別問題な気もするし。SFとして成立してないような気が。

地獄の黙示録特別完全版を全部見る。難しい映画だと思っていたが、通してみると非常に説明的というかオムニバス形式というか、いれかわりたちかわりいろんな人がいろんな立場でベトナム戦争を語っているのだった。「サーベイ映画」と言ってもいいかもしれん。

「猫の恩返し」はけっこうおもしろい。

「ギブリーズ episode 2」もわりと好き。

丸谷才一は小林秀雄が嫌いらしい。私も別に好きではないが。

丸谷才一「桜もさよならも日本語」という本があり、昭和7年と昭和58年の某新聞の社説を比較しているところがあり、戦前に比べて戦後はだいぶ日本語の文章が読みやすくなったと言っている。戦前の文章や結婚式の祝辞などはたとえて言えば祝詞のような意味不明の美文なのに対して、戦後の文章は虚飾と儀式性を廃した実用的な文章だという。

しかし私から見ると戦後の社説も戦前に負けずおとらず虚飾に満ちており、意味不明に思える。

相互依存の進展する現在の世界では、国家間の利害が衝突する機会が増え、その分野も広がる。密接な関係にある先進工業諸国の間では、なおさらその可能性が大きい。

こんな文章に何の意味があるのだろうか。情報量が0だ。まだ近所のスーパーの折り込みチラシの方が情報量があるだろう。こんな文章を書くやつは馬鹿じゃないかと思う。春秋戦国時代の国際関係だって似たりよったりじゃないか。戦前の軍国主義が盛んだった昭和7年くらいの社説が空虚なのは当然だし、そんなものと比較すること自体が恣意的だと思う。単に戦前と戦後を比較したいのであれば、もう少し前の大正時代の社説と比べてみてはどうか。下手をすると、大正の方が今よりまともかもしれない。

丸谷才一という人を私は非常に尊敬しているし多大な影響を受けてもいるのだが、ときどき急にワケのわからないことを言い始めるという気がする。

※追記 丸谷才一は祝詞に何か恨みでもあるらしい。國學院大學教授だったときによほど嫌な思いをしたのだろう。

そもそも祝詞は意味不明でも虚飾に満ちてもいない。祝詞は昔から繰り返された決まり文句であるというだけで、意味はある。アワビの干物を何個、アジの干物を何個、米や麦やヒエやアワを何升、献上します、ということを言ってたりとか。つまり今でいう目録のようなものだったり。レトリックというものからは一番遠い。きわめて素朴な文章である。
そういうことを丸谷才一が知らないはずはないのだが。

お中元とかお歳暮とか年賀状とか年始参りとか父の日母の日とかクリスマスとか、もろもろの近所づきあいとか、結婚式のスピーチとか、葬式とか香典とか香典返しとか、昔は(そして今も)やらなくても良いことが日本には多すぎた(今も多すぎる)んだよね。
そして当たり前だとあきらめてたんだよな。しかし決して当たり前でもなんでもなくて、ほったらかしとくと国が死んでしまうんだよ。ともかく、政治家に結婚式や葬式にわざわざ来てもらうのはやめれ。

某新聞の「**」も救いようのない駄文なんだこれが。文芸は文芸できちんとやってもらってかまわんが、報道とも文芸ともつかない自慰行為を惰性で続けるのはやめてほしいよなあ。もう21世紀なんだからさ。紙面を減らすか広告を増やすかして値段を下げてくれた方がまだいいんだけど。あるいはスタパ斉藤に社説書かせるとか。なんでもいいからもちっと工夫してほしいね。