志賀直哉

志賀直哉の「剃刀」は27才のとき、「清兵衛と瓢箪」は29才のとき、「小僧の神様」は36才のときの作品なんだねぇ。もう私はそんな年とっくにすぎたよ。しかし「濠端の住まい」は41才、「晩秋」は43才、「万暦赤絵」は54才ですよ。そう言われてみると、確かに「剃刀」「清兵衛と瓢箪」は若さに満ちあふれとるし、「万暦赤絵」はいかにも年寄りじみてるし、「濠端の住まい」「晩秋」は四十路のおやじが書きそうだ。「小僧の神様」は年齢不詳(?)だが、三十台半ばといわれれば、はぁと思い当たる節もあるようなないような。じゃあおまえ年の順に並べてみろといわれてもできないようなできるような。

しかし若いと言えば中島敦は若いよねぇ。ほとんどの作品が32~33才。「山月記」も「李陵」も「名人伝」も。

いやしかしねぇ。

筒井康隆も読み返してみてるが、まあなんていったら良いのか。明らかにあまりにもひどいのもあるよねぇ、筒井康隆は。

坑夫

夏目漱石の「坑夫」というのを高校生のころに読んだが,あまり有名な小説でないので,それ以来見かけたことがなかった.漠然とどこかの炭坑のようなものを想像していたのだが,青空文庫で読み返してみると,この東京から北の方へむやみに歩いて松原が延々と続くというのは,どうやら川越街道の描写のようだ.とくに「松原が延々」というのは志木から川越の手前あたりのことに違いない.川越街道は「栗よりうまい十三里」で東京から 52km だから,夜通し歩けばだいたい三芳町あたりまでくるだろう.もしかして夜中に寝た八幡様というのは上福岡の鶴ヶ岡八幡神社だったかもしれん.

板橋街道というのが出てくるが,これはつまり中山道のことだが,これとは別もののようだ.中山道とは別に北へ行く街道と言えば,あとは水戸街道があるが,水戸街道や中山道は川を越えたり田圃を過ぎたりしてわりと変化がある.その点,川越街道は,志木を過ぎて柳瀬川をわたってからはほとんど何も変化がない.まず間違いないだろう.

さらに行くと,牛込神楽坂のようににぎやかで,東京と同じふうな人がいる町で,汽車のステーションがあるというところにでる.これは川越のことだろう.

それから汽車で足尾銅山に向かったとある.川越から足尾銅山へはずいぶん乗り換えがあるが,まあともかく,川越街道あたりで若者を勧誘して足尾銅山につれていく商売をしていたというのは大いにあり得る.

レンズ豆

レンズ豆はレンズに似ているからレンズ豆というのではないのである.レンズがレンズ豆 (lentil) に似ているのでレンズ (lens) というのである!レンズ豆はなんと創世記に出てくる.アブラハムの子イサクは,リベカと結婚し,妻リベカは双子の子エサウとヤコブを生むが,創世記 25:27~34(新共同訳)

二人の子供は成長して,エサウは巧みな狩人で野の人となったが,ヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした.イサクはエサウを愛した.狩りの獲物が好物だったからである.しかし,リベカはヤコブを愛した.ある日のこと,ヤコブが煮物をしていると,エサウが疲れ切って野原から帰って来た.エサウはヤコブに言った.「お願いだ,その赤いもの(アドム),その赤いものを食べさせてほしい.私は疲れ切っているんだ.」彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである.ヤコブは言った.「まずお兄さんの長子の権利を譲ってください.」「ああ,もう死にそうだ.長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると,ヤコブは言った.「では今すぐ誓ってください.」エサウは誓い,長子の権利をヤコブに譲ってしまった.ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた.エサウは飲み食いしたあげく立ち,去って行った.こうしてエサウは長子の権利を軽んじた.

最近読んだ某という本では,アメリカのエグゼクティブは大量の活字を読む速読術を身につけていて,一週間で聖書の三倍の文章を読む,とか書いてあった.そりゃあ嘘だろう.嘘ではないかもしれないが,新約だけのことを言っているのかもしれない.旧約は新訳の約三倍あるからね.

ミスターマガジン休刊

なんとミスターマガジン休刊!そ,そそそれでなのか.それで「王道の狗」も最終話だったのか.それで「天切り松闇がたり」も最終話なのか.「突破者太陽傳」も面白かったのに終わるのか.「ドーラク弁護士」も「ERET」も終わってしまうのか.ああなんていうことだろう.

なんてひどい話だ.ミスターマガジンだけは欠かさず買ってたのに.主に「王道の狗」を読むためだったけど.モーニングは買わなくてもミスターマガジンだけは買っていたのに.ひどいっ.しかし,「王道の狗」の最終回があまり不自然でなかったのは救いだ.それほど唐突さを感じなかったのも救いだ.もしかすると,編集部は「王道の狗」の最終話まではとがんばったのかもしれない.それでも,話を多少はしょることはあったかもしれんな.こんなにクオリティの高い雑誌を休刊するなんて.もっとくだらない低俗な雑誌はいくらでもあるというのに.ひどいひどいひどすぎる.そもそもそんな雑誌を一番楽しみにしてた私の立場はどうなる.

タルコフスキー

タルコフスキーという映画監督がおもしろいというので,いくつか借りてみた.「惑星ソラリス」はずいぶん前に見たので今回は借りなかった.話せば長いことながら,富田勲の「宇宙幻想」というアルバムを中学一年生の頃聞いた.その最後に富田勲が編曲した「惑星ソラリス」があった.で,スタニスラフ・レムの原作「ソラリスの陽の下に」(のハヤカワの和訳)を読んだり,ビデオを借りて見たりした.原作の方を先に読んだから,というのは,僕が高校生の頃までビデオレンタルというのはほとんどなかったからだが,映画がそれほど優れたものだとは思わなかった.だけど,その映画の監督だと言えば多少は期待がもてるというもの.

さて,「僕たちの村は戦場だった」と言うのをまず見たのだが,これはずいぶんダークな映画だ.12才の少年斥候兵が戦後ドイツ軍に絞首刑になったことがわかるというオチ,少年とその妹が無邪気にみずべで遊ぶラストシーン.みなきゃよかったと思った.それから,「アンドレイ・ルブリョフ」という二本組の長編だが,これは途中であまりにも退屈なのでみるのをやめた.

ポーランドの森を思い出した.僕は1994年くらいにポーランドに国際会議で出かけたのだが,会場が森の真ん中の少年自然の家みたいなところだった.お金がかからないようにと気をきかせてくれたのだが,僕たち日本人ならワルシャワの一番高いホテルに泊まってもぜんぜん平気だっただろう.その方が観光もできてよかったのに,森の中じゃ退屈きわまりなかった.ポーランドの子供たちが屋内プールで泳いでいるところを眺めてもおもしろくない.楽しみは夜パブでビールを飲むくらいだった.毎日,食べたこともないようないろんな種類の雑穀を食べさせられた.森と言っても日本の雑木林のようなウラジロやヨモギやそういった下草がほとんどなくて,白樺みたいな木の幹がすっとのびていて,どこまでもどこまでも歩いていける恐ろしい空間だ.迷い込んだら出られなくなるだろうな.