Homeland + Tom Crancy’s Jack Ryan Amazon Prime Video

プライムビデオのジャックライアンを見たのでホームランドも見始めたのだが、 ジャックライアンのキャラクター設定にけっこうゆらぎがあって誰が善人で誰が悪人かってのがかなりぼかされていて、 たとえばスターウォーズなんかのキャラクター設定と比べると曖昧な感じがする。 スターウォーズだと善人がいて悪人がいて、元善人が悪人になり、改心して善人に戻るとか。 暗黒面なんてものがあるわけだから、どうしてもそういう勧善懲悪的なものになるわね。

それがジャックライアンには希薄で、ホームランドだともっとそうで、主人公も性格的に破綻してて、脇役もみんなどこか壊れてて、 そういうものが、ドラマのシリーズものだからよけいに、だらだらと演じられていくのだが、それでも見続けられるのはどこか面白いところがあるからだろう。 たぶんホームランドはフィクションの形をかりたドキュメンタリーみたいなもので、 CIAの仕事というのも、誰の判断が正しく誰が間違っているかわからない状況で試行錯誤の連続なのだろうし、 それを正義と悪、国家とテロリストという対立軸でドラマに仕立てるのは明らかに嘘なわけだ。 私たちはついこういうものを謎解き物として見てしまうのだが、謎解きや正解などはないのだ。 判断は当たることもあれば外れることもあるし、外れたからといって見る側が作者の意図に負けたということにもならないし、 まして見抜いたからと言って勝ったことにもならない。 だれかが作ったストーリーであることを拒絶しようとしているようにもみえる。現実とはまさにそうしたものだ。 テロリストとの戦いというものの実態、退役軍人の実態、そうした生のものを描こうとしてて、それがストーリーとかキャラクターの魅力以前の、 人気の秘密だろうと思う。

ジャックライアンは同じくCIA分析官とその上司というのがメインキャラで、明らかにホームランドを下敷きにしているけれども、 プライムビデオの新規顧客を獲得しようという意図がもっと前面に出ている。 ホームランドはどちらかといえばドラマとして当てようという考えよりも、作りたいものを作ろうとしたというのが先ではなかろうか。

たぶんプライムビデオのほうは、「トムクランシーのジャックライアン」というタイトルを使うことにまず金をかけているはずだ。 制作にもそうとう金がかかっている。 たとえていえば、ホームランドはタモリ倶楽部でプライムビデオのほうはブラタモリといったところか。

アメリカというのは、アラモの砦にしろパールハーバーにしろ、先に手を出させて反撃するのは正義、みたいなところがあって、 それはもとをたどればイエスの受難に行き着くのだろう。 自国民保護という名目で世界中に海兵隊を送り込み現地人を殺傷するのはイエズス会がやっていることと何も変わらない。 そういうものを反省するゼスチャーを示しつつ同じことをやりつづけている。

シン・ゴジラ

改めて(何度目だ?)シン・ゴジラを、メイキングなども含めて見てみたのだが、要するに、前半部分は東日本大震災に絡めた戦後日本への恨み節であって、タマ作戦はエヴァそのまんまだし、後半ヤシオリ作戦はタモリ倶楽部になってしまっている。

その主張は、日本はスクラッチアンドビルドしなきゃ良くならない。そのための自作自演がゴジラだ、というわけだ。

夏休み中ずっと、タモリ倶楽部をYouTubeで見ていたが、シン・ゴジラのどこがタモリ倶楽部かってことはすでに「ネタバレはあります。」で書いたのでくどくど繰り返さない。わざわざ新幹線や在来線が集中する東京駅でゴジラが立ち往生するというシチュエーションがあり得ない。

しかしまあこれを「庵野秀明監督最新作の日本映画」としてしてみたとき非常に良く出来ていると言わざるを得ない。庵野監督は、金と人と権限を使えばここまでちゃんと作れるのだということを実証したのは素晴らしかった。

キューティーハニー

結局ストーリーは、四人のボスキャラを倒し、ラスボスがビオランテか小林幸子、最後は愛が勝つ、というのはうーんどうかと思うが、まあ、なんとか中だるみせず、最後まで見ようと思えば見れる作品だと思う。中だるみ感を出すということはそれなりの安定感があるということだろう。

シン・ゴジラにも出てくる市川実日子が良い味出している。そのほかシン・ゴジラとの共通点も多い。CGがときどきしょぼくなるところなども。

式日

主人公とヒロイン以外はほとんどでてこない。

主人公の「カントク」は明らかに庵野秀明がモデルであるが、実際の俳優は岩井俊二という(庵野よりはずっとイケメンな)映画監督である。

ヒロインはこの映画の原作者である藤谷文子。彼女は俳優のスティーヴン・セガールの娘で日本人の母とのハーフ。藤谷文子は小説家でもあり、俳優でもあるわけだ。

この配役がまず、非常に屈折している。

物語の舞台の宇部市は庵野監督の生まれ故郷でもある。庵野が安野モヨコと結婚する以前に、故郷に帰省したときの実話として見ることも可能。描写はかなり私小説的だし、実際そうなのかもしれない。

カントクとヒロインの間に緊張感があってじょじょに接近していく前半部分は割と面白い。映像も美しい。31日間の物語で、1日ずつカウントダウンしていき、31日後に何が起きるのか期待させたわりには、結局カントクはメンヘラ女のヒロインにあいそを尽かすこともなく愛し合ってしまうし(しかもその恋愛描写はあまりにも不自然!)、最後の日は大竹しのぶがヒロインの母役で出て来て母と娘が和解するというあまりにも平凡なエンディング。ひねらないのがひねりなのだろうか?

ましかし、これは割と見るに値する作品だと思う。