亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘映像’ Category

10.02.2016 · Posted in 映画

「君の名は。」が大ヒットしたというのだが、 一部の年齢層の一部の客が見に行って、延べ100万人超えたというだけのことだろう。

よくわからんのだが、 試写招待券はともかくとして、先行上映券や前売り券、平日鑑賞券なんかをばんばんばらまけば、 興行成績というのはかなり盛ることができるのではなかろうか。 実質どのくらい収入があったのだろうか。

私も某演劇を無料で見せてもらったことがある。 知り合いのコネさえあれば、見ようと思えば、人気の無い公演ならばいつでも見られるようだ。 そういうからくりはきっとあるはずだ。 映画館だってホテルだって、開店休業よりは、たとえもうけはほとんどなくても、 少しでも客を入れたほうがマシだと思うだろう。

100万人と言えばなんとなく気分で多いように思うが、 実は大したことないのではなかろうか。

シン・ゴジラは、やらせ無しでガチンコで客を呼んだのではないかと思う。 誰かそういう裏話をしてくれないだろうか。 知っている人はもっと詳しく知っているはずだ。

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タルコフスキーのソラリス

09.30.2016 · Posted in 映画

原作では中程に出てくる「バートン報告」が冒頭に持ってこられているのがきわめて興味深い。

先に、「バートン報告」こそが「ソラリス」の核であり、その前後は付け足した、などと書いたのだけど、 タルコフスキーはそれに気付いていたか、 或いはレムから直接聞いたのかもしれない。 その「ソラリス」のキモであるバートン報告を省略することなく、むしろフィーチャーしようとしたのは良い。 が、こんな台詞棒読みの謎シーンにしてしまっては、まったく生きてこない。 前振りになっていない上に邪魔ですらある。 レムの原作を読んだことがある人、特にまじめに読んだことがあるひとは、 おやっと思って、そして腹を立てると思う。

主人公クリス・ケルヴィンはリトアニア人のドナタス・バニオニスが演じる。 クリスの妻のハリー役はナタリア・ボンダルチュク。 彼女がソラリスをタルコフスキーに紹介したという。 スナウト役はエストニア人のユーリー・ヤルヴェト。 クリスの父ニック役はウクライナ人のニコライ・グリニコ。

この他、後半でクリスの夢の中に若い頃の彼の母親が出てくる。この女性の意味もよくわからない。 そしてこの夢を見た後、ハリーは置き手紙をしていなくなる。

冒頭はクリスの父ニックの家。叔母のアンナがいる。 車でバートンとその息子が到着する。 この家には少女と馬と犬がいる。 この少女はアンナの娘(クリスの姪)であるらしい。 クリスはバートン本人からバートン報告と調査委員会のビデオを見させられるのだが、 そもそも原作ではクリスとバートンは出会ってないし、 バートン報告のビデオなどないし、 ニックもアンナも、馬も犬も出てこない。 宇宙に旅立つ息子に「親の死に目にも会わないつもりか」などと父が怒ったりもしない。

バートンの息子は馬にびっくりする。 タルコフスキー映画によく見られる雨や水辺の映像。 もちろんこれらはレムの原作にはまったくないものだ。 バートンは息子を連れて帰る。 その際に東京の首都高をぐるぐる走るシーンが入る。 今 youtube にアップされている東宝の日本語吹き替え版では、 このバートンと会ったシーンは完全に削除されている。 しかし首都高のシーンはツタヤで借りたDVDで見たことがあるので、 私がかつてみたソラリスはも少し違った編集がされていたものとおもわれる。

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09.26.2016 · Posted in 映画

ハリウッド映画やアメリカドラマでは、よく夫婦が離婚する。 離婚した状態で物語が始まる。 或いは別居中である。 仕事はできるが夫としては頼りない男が主人公で、 ヒロインは別れた妻で、 子供は妻に取られてて、 困難を克服して夫婦はふたたび仲直りする。というストーリーになっているのがすごく多い。 ナンデヤネン。

一方で、主人公が軍人の場合には(退役軍人をのぞく)、彼は理想的な男であり、良き夫であり、 妻とも子とも仲が良い。 しかし軍人なので家を離れがちであり、 しばしば愛する妻に電話した後に死んだりする。

この扱われようの違いはなんだとおかしくなる。

アメリカでは、軍人は頼りない夫であってはならない。 そんなストーリーはタブーなのだ。

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ネタバレはあります。

08.08.2016 · Posted in 映画

CGや特撮がしょぼいのはシャレもあるだろうから、そこは批判しないようにしようと思ってたが、 だいたいは良かった。 それなりにきちんとしている。 この映画のCGをハリウッド映画なんかと比較して叩くとかむなしいだろ。

ただ、いろんな路線の電車に爆弾積んでゴジラにぶつけるCGはダサかった。 いろんな電車がプラレールかなんかみたいにとびちっててなんであんなことするのかと思った。 あれは何か、鉄オタへのサービスのつもりなのだろうか。 電車ぶつけても先頭車両の爆薬くらいしか効かないだろう。

で、呑川をさかのぼってくるサンショウウオだかなんかみたいな形態のゴジラは面白かった。 ああこれがネタバレかと思った。

自衛隊とゴジラの戦闘シーンはよかった。 たぶんこの映画の一番良いところはここだ。 多摩川を挟んで自衛隊とゴジラが対決してゴジラが勝っちゃう。 米軍との戦闘もまあまあだった。 しかしゴジラの背中からビームが何本も出るのは「イデオンかよ」と思って引いた。 ゴジラの口から出すビームが「なんだ巨神兵かよ」と思った。

でまあ電車をぶつけるのはどっちらけだった。 ビルに仕掛けた爆弾でゴジラが下敷きになるのもどうかと思った。 それで口から凝固剤を流し込むのだが、血管注射するならともかく口から入れても入るかしれないし、 入っても胃があるなら胃酸で変質してしまうだろうし、 注入している間ゴジラがおとなしく気絶しているのがもう全然間抜けで、 自衛隊や米軍に対してあんなに強かったゴジラがなんでこんななのかと思う。 でそのタンクローリーみたいなのが瓦礫の山の中をどうやってゴジラまで近づくんだよ、 近付けたのは奇跡に近いんじゃないかと思う。 ともかくこのヤシオリ作戦というのがとてつもなくひどい、と私には思えた。 北の丸の屋外に指令本部みたいなのを設置して、なんか迷彩の網みたいなのをかぶして、放射能防護服着てるのだが、 なんでそんなことする必要があるのかと思った。 別に指令本部は立川にあっても良いんじゃないかと思った。 立川じゃなくても良いから北の丸よりもずっと離れた地中とかにあっても良かったはずだ。 そういうご都合主義が多すぎた。

首相官邸のすったもんだとかは別にどうでもよかった。 石原さとみも言われているほど大根役者ではなかった。 ノリとしては政治ドラマというより警察ドラマに近い。 政治臭もあるのだが、そんなに良い出来とは思えなかった。 例えば「ブラックホークダウン」みたいな、胃に穴が開きそうな緊迫感は無い。 あれも結局はアメリカマンセー臭さがあるんだけど、ああいうふうに、実際に戦争してる国が作る映画とはまるで違う物だ。 アメリカの属国とかいう言葉も、言いたかったんだろうが、軽い感じがした。

あと、主人公が最初から事故原因を巨大不明生物だと見抜いていたのが不自然過ぎる。

東映のデビルマンを1デビルマンとすれば、 シン・ゴジラは1000デビルマンくらいはある。 でもいろいろ不満な点はあるので、10000デビルマンではない。

深読みすると、 シン・ゴジラは冒頭で行方不明になる牧悟郎なる科学者が生み出したものであり、 その「倒し方」も牧悟郎が残した「暗号化資料」にすべて明記されていて、 すべては牧による自作自演であり、シン・ゴジラは牧が作った「使徒」なのであるから、 これに忠実に沿って実行されたがゆえにヤシオリ作戦は成功したのだ、と解釈できなくもない。 「私は好きにした、君らも好きにしろ」という牧の置き手紙もそういう意味。 だとしてもやはりあの「倒し方」は納得いかない。

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スピード2

09.30.2014 · Posted in 映画

ふつうに面白い。 何も考えずに楽しめる。

マッドサイエンティスト的な役回りのシステムエンジニアが悪役で、 SWATが主人公というのところに、ややいやらしさ、 エンジニアやオタクというものに対する偏見を感じないこともない。

何かの原作があるというより、 もともとアクション映画用にシナリオを書き起こしたものだろう。

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カサブランカ

09.29.2014 · Posted in 映画

いくつか問題がある。 古い映画なのでテンポが悪い。しかしこれは仕方ない。

オチが気に入らない。 敵(ヴィシー政府の軍人)が実は愛国者だったでは、面白くも何ともない。 すべて丸く収まったように見えるのはアメリカ・フランス側の人間だけだ。

悪くはないが、 総合的に判断すると、アメリカが戦時中に作ったプロパガンダ映画としては良く出来ている、 というしかない。

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トータル・リコール

09.29.2014 · Posted in 映画

トータル・リコール(シュワルツネッガーのほう)をみた。 この映画は何度もみているのだが、初めて通してみてみた。 良く出来た話だと思う。 特に最後まで夢なのか夢じゃないのかわからないしかけ。 途中、あ、やっぱ夢なんだなと思わせといて、 やっぱ現実かもしれないと思わせる絶妙の駆け引き。 味方かと思うと敵、敵かと思うと味方。 自分までもが実は敵だったというひっかけ。 いやーよくできてるなと思う。

Philip K. Dick という人の短編SF小説 We Can Remember It for You Wholesale が原作になっているという。 つまり原作は映画ほどのボリュームはなかったということだ。 映画の字幕では inspired by と書かれているので、 ざっくり下敷きにしたくらいというのが当たっているのだろう。

原作は明らかに夢では無いという設定でできている。 リコール社で注射された narkidrine という薬のせいで、主人公は削除された記憶を徐々に取り戻す、という設定。

映画のほうでは主人公は自ら記憶を取り戻すことはない。 主人公は単に昔から何度も火星にいる夢を見る、そこにはいつも同じ女性がいる、というだけだ。 リコール社で薬を打たれると火星にいた記憶がよみがえったようにも見えるがそのこと自体が夢だと解釈できなくもない。

最後まで夢かどうかというネタばらしはない。 映画を作ったスタッフの意図でそうしたのだ。 原作は原作として尊重しつつ、より込み入ったしかけに作り替えたのである。 ここまで手をかけておいて最後にやっぱり夢でしたとか、逆に現実でしたなどとネタばらしをするような、 野暮はしまい。 そういうヒントはすべて注意深く消してあるからだ。

ハリソン・フォードの逃亡者にしても原作のテレビドラマはもっとあっさりしたものだっただろう。 それを映画化するにあたってシナリオをみっちりと練り直したのだ。 一人の人間が思いつくには話ができすぎている。 同じことはシャイニングにも言えるだろう。 これが日本だと、原作に手を加えたり、連作にしたりしても、原作を超えることはおろか、 原作の味わいまでも壊してしまうことが多いように思う。 なので、脚本家は原作をなるだけ忠実に、そのおもしろさを殺さないように映画化してもらいたい、 そう願うようになる。

ハリウッドでも、リメイクしすぎてつまらなくなることは多いのだが、 そうではない、それよりか微妙に手前の、ほんとうに面白い作品もたまに出るので、そこが面白いなと思う。

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smart tv box

09.08.2014 · Posted in 映像

やはり現時点においても、最も効率の良いユーザーインターフェイスはPCのキーボードとマウス、 そしてGUIとしか言いようがない。 その次に来るのはゲーム機のコントローラーか。 スマホというのは、PCの代用というよりはテレビのリモコンがやや進化したものと言ったほうが当たっている。 あれが便利だと思うのは錯覚だろう。 一種のバカチョンデバイス。

昔のハードディスクレコーダーの時代から、AV家電のユーザーインターフェイスはタコだった。 それに比べれば今のリモコンは長足の進歩を遂げた結果なわけだが、 もとがあまりにもひどすぎたから良く見えるだけで、 未だにテレビ周りのインターフェイスはひどい。 テレビは年よりが見るものだから、あまり複雑な機能がついていると操作できないというのはあるだろう。 ならばテレビを捨ててすべてPCで視聴したいところだが、 既得権益というやつのおかげでPCでテレビを見るのは非常に不便である。

つまり、ユーザーインターフェイスを良くしようという努力が、 意識的にも無意識的にも妨げられているのであって、 こういうバカなことをするから日本はアップルに先に ipod や iphone や ipad なんかを作られてしまうのである。 頭悪すぎる。 たぶん技術者というよりか、経営者とか業界とかがバカ過ぎる。 改善の余地がありまくりすぎる。

まず、この au 製と思われる smart tv box。 ネットワーク的には普通の光回線には及ばない。 そりゃそうだろう。テレビの視聴や録画が優先されていて、 しかも3チャンネルもあるんだから、インターネットが割を食うというわけだ。 それは値段相応なので仕方ないとも言える。 本体の基本性能はまあまあだ。 若干不満はあるが、よく頑張ったといえる。

ひどいのはリモコンだ。誰がこんなものを設計したのか。 特にひどいのは十字キーで、ちょっとずれると上下左右を判定してくれない。 頭が悪すぎる。 少しはゲームコントローラーを見習えば良いのに。 あと、ホームボタン、戻るボタン、再生ボタン、早送りボタンなど、 使用頻度が高いボタンが極めて操作しにくい。 頭が悪すぎる。 できればリモコンだけでも買い換えたいのだがどうにかならんか。 で、スマホのアプリでも操作できるというのに少し期待したのだが、 このアプリの出来も全然よろしくない。 レイテンシーが悪すぎるというか。 とにかくすべてが不満だ。

ユーザーインターフェイスも地上波を優先しすぎていてむかむかする。 CMを切り抜くなどの編集機能が無いのかあるいは貧弱すぎる。

近頃は hulu とか apple tv なんてのが出てきたらしいからそっちに切り替えようかと思うが、 番組内容は catv と同じかそれよか貧弱。 vod なのは良いが、 catv も普通は hdd に予約録画して溜めておいたやつを見るわけだから、 大差ない。

便利なので以前よりかたくさん映画を見るようになったが、 使えば使うほどひどさが見えてくる。

ていうか、ビデオレンタル屋は結局ツタヤの一人勝ち状態に落ち着いたわけだが、 そのツタヤですら、あと10年もつかどうかだろう。 何でもネットでみりゃ済むんだから。 地上波放送はさすがになくならんだろうが、 ネットでコンテンツ拾って見ればいいんで、 私としては邪魔なだけだ。 速やかに衰退してほしい。

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ジブリ

08.09.2014 · Posted in アニメ

ディズニーチャンネルなど見ていると、 どうしても、なぜジブリはディズニーになれなかったのだろうと考えてしまう。 「もののけ姫」や「千と千尋」を出してた、一番体力のある頃に、 もう少し経営を多角化しておけばよかった。 ディズニーみたいにCGも使い、ゲームも作り、実写も作り、 ジブリチャンネルみたいなものも始めていればよかった。 しかしそうしなかったのは、宮崎駿や高畑勲というワンマンがいたからだろう。

ジブリは「もののけ姫」や「千と千尋」でCGを使いこなしてみせたのにそれを棄てた。 文芸的な、手描きセルアニメにこだわることによって、 ディズニーや他のアニメ制作会社と差別化を図ったつもりだろうが、 自分で自分を縛ってしまったのだ。 CGが使えなければ当然ゲームも作れない。 ゲームというものに対する反感や憎悪を感じる。 子供はぎりぎりアニメはみても良いがゲームは悪だ、そう思っているのに違いない。 だからジブリ美術館のような方向へと走っていった。

時代に逆行して手描きセルアニメばかりやってれば制作コストは増大し、 古典芸能に、伝統芸能みたいになっていくしかない。 そういう文芸部門は残しつつ、新しい部署や新しい人材を育てていけばよかったのだ。 宮崎駿や高畑勲が引退するのを待つまでもなく。 しかし日本の企業は、そういうトップダウンの経営判断が苦手だ。 鈴木敏夫ですらそれができなかった。 日本のゲーム会社がみな過去の成功体験にとらわれて世界企業に育たなかったようなものだ。

ドワンゴはそんなよどんだ日本社会の救世主のようにも見える。 しかしジブリはすでにだいぶ体力を失った。 宮崎駿は老いて、彼以外にはとくにめだった監督がいない。 監督というよりか、原作と脚本が地味すぎる。 一般受けするはずがない。

なぜここまでこじらせなくてはならなかったのか、というのが結果論ではある。 ぎりぎりまで「マーニー」に期待していたのかもしれない。 「マーニー」がこけたせいでやっとジブリのメンバーもあきらめがついて、撤退できたのかもしれない。 まさか監督を一子相伝しようとしたのか(特に血縁という意味ではなく)。 なぜそこまでしてジブリを一色に染めたいのだろう。 なぜそんなにしてまで孤立主義・純血主義なんだろう。 ジブリという会社で作品を作ることとジブリという会社を経営することとは別なはずだ。

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ゴッドファーザー追記

04.19.2014 · Posted in 映画

今では映画が一つあたるとシリーズ化するのが当たり前のようになっているが、 ゴッドファーザーの頃はそうでもなかったらしく、 続編を作ることにいろんな抵抗があったようだ。 二作目は一作目の前の話と後の話でサンドイッチする形で作られており、 一作目に相当する時期のちょっとした逸話も挿入されている。 もしマーロン・ブランドがヴィト役を引き受けていたらもっとその部分を膨らましただろう。

興行的にはともかくとして、またこの作品が結果として非常に優れているということもおいておいて、 この二作目はおそらく作る必要のないものだった。 少なくとも一作目から必然的連続的に出てくる話ではない。

コッポラはのちに地獄の黙示録を作ったように、 キューバ革命を描きたかったのだろう。 いや話はほんとは逆で、当時同時進行していたベトナム戦争が、 かつてのキューバ革命をコッポラに思い出させたのだろう。 彼の関心はアメリカという国の大義名分というものではなかったか。 あるいはアメリカ人を負かしたベトナム人やキューバ人に興味があったのかもしれない。 マフィアの話を書きたいのでもなかったかもしれない。 コッポラはヴィトやマイケルになんとかして表の世界、 つまり知事や上院議員などの仕事に就かせようとする。 裏社会の話は彼にはどうでも良い気がしていたのではないか。

コッポラにはゴッドファーザーという持ちネタがあったから、 ある意味それに引きずられて、 続編という形で作ることになる。 キューバのバチスタ政権と結んで、 フロリダ州マイアミを拠点して大儲けしていたユダヤ系のマフィアがマイヤー・ランスキー、彼はHyman Rothのモデルである。 友人のベンジャミン・シーゲルは同じユダヤ系でMoe Greeneのモデルである。

コッポラは一作目から二作目へ話を橋渡しするためにモー・グリーンを使った。 一作目でモー・グリーンとロスはヴィトの商売仲間であり、 ヴィトはモーがラスヴェガスでホテルやカジノを経営するための資金を提供し、 その代りできの悪い息子のフレドをモーに預けている。 モーは一作目で死に、ロスは二作目から出てくる。 モーはイタリア系マフィアのナンバーツーでコルレオーネ家に敵対する黒幕のEmilio Barziniと親しかった。 バルジーニは麻薬に手を出さず、政治家を独占しているヴィトの勢力を切り崩そうとしていた。 それは割と映画の中で丁寧に説明されている。 マイケルは父ヴィトと相談の上でラスヴェガスのモーを圧迫し、ヴィトの死後モーやバルジーニを殺害する。 ロスはハバナでヴィトと商売をした仲であったが、 やはりヴィトの死後、友人モーの件を遺恨に持って、マイケルを殺そうとする。 だがそのモーとロスの関係がいまいち弱い気がするんだよなあ。

上院議員のPat Gearyはものすごく緻密に描かれているのに対して、ロスはいまいちとってつけたようだ。 コッポラという人はよほど政治家(政治、戦争、革命etc)に興味があるように思える。

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