亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘映像’ Category

映画と原作

04.19.2014 · Posted in 映画

もともとの出典はわからぬが、ウィキペディア「宮崎駿」には、

この時期、『となりのトトロ』『もののけ姫』『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』などの原型となるオリジナル企画を構想しているが実現には至らなかった。宮崎の才能に惚れ込んだ鈴木敏夫は『風の谷のナウシカ』の映画化を目論み、徳間書店の企画会議に諮った。が、「原作のないものは、無理」という理由で却下された。 『コナン』の時より宮崎に注目していた徳間書店の『アニメージュ』誌編集長・尾形英夫は、オリジナル企画実現のため「原作付き」のハクをつけることを考案、『アニメージュ』1982年2月号より『風の谷のナウシカ』の連載が始まり、やがて多くの読者の支持を集めるようになる。

と書かれている。 原作がなければ映画は作れない、という通念が存在しているのかどうか、ということが長いこと気にかかっていた。 だもんだから、「川越素描」の中では、

私ね、以前に、加奈子にノベルゲーの台本を書いてみてはどうかって、アドバイスされたことがあったのだけど、そのとき気づいたの。私が書きたいのは台本ではなくて、小説なんだってことが。それもラノベとかじゃあなくて、ばりばりの長編小説で、登場人物が百人くらい出てきて、主人公もどんどん代わっていくようなもの。それで、まず私は原作を小説で書くわ。それを台本に落としていくの。たとえば、黒澤明監督の映画にも、山本周五郎の原作があるようなものよ。私は手加減なしに小説を書くから、それを加奈子か一成に、台本に翻案するのを手伝ってもらいたいのよ。そういう条件で良ければ、引き受けるわ。

俺はそれで、全然かまわんよ。オペラの脚色ってのは、つまり、原作をばっさばっさと切り取って、歌劇にできる部分だけを残す作業さ。難しく考えることはない。大丈夫、俺が手伝う。なんとかなるよ。それでいいかい。

などと登場人物に語らせている。 「ナウシカ」は明らかに、原作などなくてもアニメは作れるという反例である(むしろマンガの後半はアニメから派生した外伝のようにも見える)。 宮崎駿はどちらかと言えば原作を無視して勝手に話を作ってしまう人である。 ルパンの仕事をたのまれたからカリオストロを作ったのに過ぎない。 「風たちぬ」なんかもかなりひどい。 宮崎駿は原作不要論者にとっての良い見本だ。

プロデューサーという人は人とコストの計算をする人だから、 アニメーターの宮崎駿という人が、 自分の才能だけを頼りとして、損得も役割分担も考えずに作品を作られては迷惑なのだろう。 たとえて言えばチャイコフスキーのピアノコンチェルト第一番を、 楽団も指揮者も無視して、作曲家の意図も無視して、 ピアニストの独断で即興演奏するみたいなものだわな、宮崎駿の場合。 プロデューサーはモノづくりよりは金儲けを本業とする。 その一線はどうしてもある。そこがクリエイターやディレクターとは違う。

プロデューサーとかディレクターとかクリエイターとかをみんな一人の万能の人間がやったほうが良い作品ができるかといわれれば理想的にはそうだろう。 少なくとも普通のコスト管理された量産型の作品ではなく、 稀に見る天才的な作品の場合には。

ただまあ私は原作はあったほうがよいと思う。 きちんとした原作を書くこと自体そんなに簡単なことはではないし、 書いていて面白いことだ。 ゴッドファーザーを見ていても二時間か三時間の映像作品ですべてを描き切ることは不可能だ、 コッポラという天才をもってしても不可能なのだから。 コッポラは明らかにすべてを映像という媒体で説明することをあきらめている。 ストーリーや人間関係を映像で説明しながら、見ているものにだれが黒幕かを推理させようとした形跡はある。 だが1作目ではヴィトに黒幕はバルジーニであるとネタばらしさせているし、 2作目でもやはりあまり説明もなしにマイケルに黒幕はロスであると語らせている。 ミステリー作品ならこんなふうにあっさりネタばらしはしない。 作品の途中でネタばらしするとしたらそれは普通はひっかけであって本当のオチは作品の最後までひっぱるものだ(ただし、見ている者は、マイケルのその判断が正しいのかどうか、あるいは策略としてそう言っているだけなのか、半信半疑のまましばらくは見させられる)。 1作目はまだ丁寧に映像で話を説明しようとしているのだが、 2作目だと、そうできなくはなかったに違いないのにやってない。 プロットだけはあって映像化されなかった部分がある。 さらに明らかに二つの作品に分けたほうがわかりやすいのに、 二つのストーリーを交錯させてわけをわかりにくくしている。 それがコッポラ独特の演出だというが、それはかいかぶりではないか。 たぶんあまりにもわかりにくい話なのでよけいにわかりにくくしてごまかしたのだろうと思う。

で、普通の人は映画なんてのは映画館で一度しか見ないのであり、 映画を小説のように何度も何度も繰り返して見てストーリーやら演出の意図やらを理解しようとする人はいない。 今ならいても昔はそんな鑑賞の仕方ができなかった。 アカデミー賞に選ばれたのもストーリーが面白いというよりはやはり映像や演出の面白さだろう。 そういう意味では映画は明らかに「総合芸術」ではない。 単なる「映像芸術」だ。 理屈抜きに面白いのが映画ということだが、 映像で語りきれなかった部分はやはり原作が担保しなくてはならない。 そのための原作なのではなかろうか。

思えば和歌も似たようなものかもしれない。 言いたいことはあるが、それを短い定型詩であらわさねばならない。 長い詞書をつけたり定型を外れたり、言わんとすることは言わずただ口調だけ整えたりそれらしい言葉だけ並べたり。 だが良い歌はそういう窮屈な制約の中で言いたいことを言い尽くせているものなのだ。 そこをすっ飛ばしていては意味がないと思う。

菜摘としても、原作者の誇りがある。原作や台本をどうアレンジされようが、自分とは関係ない。というより、台本や原作に忠実に脚色・演出することなど不可能だ。それはそれで、勝手にすればよい。原作者が口出しすべきことでもない。原作に対して複数のさまざまな解釈があってよい。

同じ「川越素描」では主人公の菜摘にこんなことも言わせているのだが、 ま、これは一種のあきらめでもある。 原作者はどうせ原作でしか自分のアイデンティティを保てないのだから。 というか作品のつまらなさを原作のせいにされてもこまる。 原作として選ばれるのは名誉ではあるが、 原作は無視してもらってもかまわないからちゃんと面白いもの作れよくらいしか、 期待するところはない。

そういえば、 ゲームやアニメから派生したノベライズという小説もあるわな。 ノベライズはキャラクターグッズみたいなものだからな。 ノベライズは最悪。 売れないライターにはそんな仕事が回ってくるのだろうか。 あるいはクリエイターが箔付けするために小説もどきをゴーストライターに頼んで出すのだろうか。 気持ち悪い。

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Frank Pentangeli

04.18.2014 · Posted in 映画

Frank Pentangeli。 映画の中では明示されていないプロットが明かされている。

フランクの兄ヴィンチェンツォはシチリアから来た。 ヴィンチェンツォもまたシチリアのマフィアである。 ヴィンチェンツォはフランクに、 ファミリーに不利益な証言をすることでペンタンジェリ家の名誉を汚すなと目で訴えた。 マイケルはこうしてヴィンチェンツォを連れてくることによってフランクの考えを変えさせることに成功した。 またフランクがシチリアに残してきた一族はヴィンチェンツォによって守られているが、 もしフランクが一族の名誉を汚したらその庇護もなくなるということを意味したかもしれない。

フランクはもともと公聴会の証人としてFBIに保護されていた(Protective custody)のであるが、 今度は偽証罪のために400年間、つまり死ぬまで刑務所に入ることになった。 トムはフランクに面会して、 コルレオーネ一家がフランクの家族の生活を保障する代わりに自殺してもらいたいということをほのめかす。 つまりはマイケルによって口封じされたことになる。

てことを映画を見ただけでわかるはずがない。

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ゴッドファーザー2

04.18.2014 · Posted in 映画

面白いんだが、よくまあこんな複雑な話を作ったものだと思う。しかも長い。

少し無理があるなと思うのは、マイケルがネヴァダからマイアミへロスに会いに行き、 その後ニューヨークでフランクに面会したときに、 マイケルを襲撃した黒幕がロスであることに気づいてたということだ。 ネヴァダにいた頃から気づいていたのか。 マイアミで直接ロスにあって直感したのか。 それともフランクの反応を見て最終的に確信にいたったのか。 語られていないことが多いのだが、 いずれにせよ、 あれだけのヒントでどうしてロスが黒幕と断定できるのか。 そこにかなり無理を感じる。

ロスのモデルはマイヤー・ランスキーというユダヤ系ロシア人であろう。 革命前のキューバでのしあがったマフィア。 カストロが親米政権を倒すとラスヴェガスの賭博に目をつける。 晩年イスラエル国籍を得ようとするが拒否される。 映画の中の設定と同じだ。

ラスヴェガスのカジノ産業を創始したモー・グリーンというマフィアのモデルは ベンジャミン・シーゲル という人らしい。 モー・グリーンは一作目のゴッドファーザーでコルレオーネ一家の敵役として登場しているのだが、 ロスはモー・グリーンと同じユダヤ系マフィアであって、 それゆえにラスヴェガスに進出してこようとしているマイケルを敵視しているらしいのだが、 これも本作だけを見ている限りではよくわからない。

でまあ、これらの実在したユダヤ系のマフィアと、イタリア系のマフィアが、 ラスヴェガスのカジノの利権を巡って対立したという抗争はあったのだろうし、 それがストーリーの下敷きになっているのだが、 それをあの映画を見ただけでわかれというのはちと難しい。

最初、マイケルの息子のアンソニーの初聖体式を祝うパーティーが開かれていて、 その場にネヴァダ州選出の上院議員パット・ギーリーという人が出てくる。 ギーリーはマイケルにカジノを認可する代わりに賄賂を要求するが、 マイケルは拒絶。 ギーリーはイタリア系移民を嫌う生粋のアメリカ人(アングロ・サクソン?)として描かれている。 次にロスの手下ジョニー・オラと会って、ロスの協力を得る。 次にフランクとあって、ニューヨークでロスの一派のロサト兄弟と和解するよう告げる。 その夜にマイケルはマシンガンで襲撃されるのだが、 この時点で黒幕は、ギーリーなのか、ロスなのか、フランクなのか、 それとも他に誰かいるのかわからない。

ギーリーは後にマイケルの兄フレドが経営する風俗店で女の死体と一緒に寝ていたところを発見されるのが、 理由は語られないが、おそらくコルレオーネ一家にはめられたということだろう。 以後弱みを握られたギーリーは公聴会に召喚されたマイケルを擁護する立場を演じる。

フランクは公聴会に証人で呼ばれるのだが、 彼はマイケルに殺されかけたと疑っており、 マフィアのボスとしてのマイケルの実像を公聴会で話すはずだったが、 フランクの兄が急遽イタリアからかけつけてきて、 それを見たフランクは一転してマイケルの容疑を否認する。 ここがまたよくわからない。 兄がマイケルと一緒にいたからマイケルを恐れたのか。 或いはマイケルに対する信用を回復したのか。 フランクはなぜFBIによってずっと拘留されているのか。 なぜフランクは、ロスが殺されると同時に自殺しなくてはならなかったのか。 ここらへんもきちんとは説明されていない。

その上、マイケルの父ヴィトーの前半生も同時に描かれているので、 ややこしいことこの上ない。

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2001年宇宙の旅

05.11.2011 · Posted in 映像

『2001年宇宙の旅』は今見ればつまらない映画だが、 当時はすごかったのに今はなぜつまらなく感じるか、というところを鑑賞しなくては意味のない作品だ。 『マカロニほうれんそう』や『8時だよ全員集合』にも同じようなことがいえる。 あの頃面白かったものがなぜ今つまらないか。

『2001年宇宙の旅』は、テンポが遅い。あれは、クラシック音楽を聴きながら、宇宙船や宇宙ステーションがゆっくり動くのを眺めるためのもので、 いわばイージーリスニングや環境音楽などの走りだったといえる。 またそもそもSF映画にクラシックを最初に使ったのは『2001年』だっただろう。 『2001年』がなければ『スターウォーズ』も『宇宙戦艦ヤマト』も無い。

猿人の描写なども、着ぐるみを着たお笑い芸人が何度も何度も繰り返しているから、何の変哲もない、 ただのありきたりの退屈な映像に過ぎないが、封切当時、つまりアポロで人が月に行ったのと同じくらいに見た人には新鮮だったのに違いない。 なにしろ大阪万博よりも、7年も前なのだから。 同じ年に『猿の惑星』も出たのが興味深い。

HALが人間を殺す、というのも、Portal の GlaDOS などへの影響を思い起こさせる。

『2001年宇宙の旅』はあまりにも多くの人に影響を与えたから、 一度も見たことがなくても、後世の多くの映像を通じて既に見ているのと同じだ。 それを初めてみてつまらないと思うのでは古典を鑑賞したことにはならない。

なるほど。『2001年』は公開当初から、「退屈で眠気を誘う」と評されていたのか。 New York Timesも、筒井康隆も、星新一も。 また興行成績も悪かった。 ということは、いきなりこれを、1968年に、人類が月に到達する以前に見た人たちは、 一様につまらなく感じたということであり、 また、『2001年』を何の予備知識もなしに、いきなり見た現代の若者たちも、 やはり同じようにつまらなく感じるのだろう。 これはこれで実に興味深い事実だ。 逆になぜ私は『2001年』をそれほど退屈に感じなかったのだろうか。 いろいろな知識を得てから見たせいだろうか。 それとも『2001年』の中に、いろんなSF映画のプロトタイプを観察したからだろうか。 あるいは、映像から、無意識のうちに、原作の小説のプロットを補完していたからか?

うーん。結論めいたことを言えば、『2001年』は「おもしろい」と「つまらない」の両極端の評価があって、 そのどちらを自分が感じるかということは、あまり自明ではない。 だから、やはり、用心して観たほうがよいということか。 評価が分かれない作品というのは要するに凡作なのだろう。

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人生の空から

03.02.2011 · Posted in music video

千春のDVDを見ながら作業しているのだが、 1998年横浜アリーナ。 四曲連続メドレーで最後に「人生の空から」を歌っている。 このとき、43才。 まだまだ高音が出ていたんだなあと。

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ヒックとドラゴン

12.25.2010 · Posted in 映像

期待せずに見たらものすごい名作なのでびっくりした。 ドリームワークスは、もっと評価されて良い。 シュレックは2以後微妙だが。

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忠臣蔵

12.25.2010 · Posted in 映像

たまたまテレビ朝日の忠臣蔵を見ていたのだが、これは良いできだ。 テレビドラマの時代劇でこのクオリティはすごい。びっくりした。 ていうか、このドラマの良さ、一般人には理解できないだろ、たぶん。

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椿三十郎

08.03.2010 · Posted in 映像

おもちゃの刀をいじっていてふと気づいたのだが、 椿三十郎の最後の立ち会いの場面で、 三船敏郎は、左手で左にさした刀を外側に向かって抜き、 右手を左手と刀の間に入れて、 右手で刀の背を押し出すようにして、相手の右脇腹を押し切りしている。

ということは、刀を最初から、刃が下になるように挿していたということになる。 刃が上向きならば自分の右手が斬れてしまう。 通常、刀は刃が上になるように挿す。 剣道でも竹刀には上下の区別がある。目印として上に弦が張ってある。 左腰に竹刀を持つときには弦を下にする。 竹刀を抜いて構えると、弦は上にくる。

鞘に収めたとき刃が痛まないように、刃を上向きにしているのだと、そのように納得していたのだが、 古くは刃を下向きにしていた。 というのは、やはり、刀が湾曲している場合、刃を下に向けた方が安定するわけだよ。 刃が痛むというのは誤差の範囲だと思う。 刃を上向きにしたのはやはり居合抜きなどの理由で、振りかぶったときにすぐに敵を切れるには、 刃を上向きにしておかねばならないからだ。 或いは、左から右へなで切りにするには、刃を外向きにしなくてはならない。 しかし、上向きから左向きに刀を回すのはそれほど困難ではない。

しかし、椿三十郎の立ち会いでは、最初から、刃を下向きにしていたと考えざるを得ない。 わざわざ刀を抜くとき刀を180度回転させてから抜くだろうか。 いやいやあの一瞬の勝負でその時間的余裕はない。

思うに、椿三十郎の立ち会いは、西部劇の一対一の決闘のシーンなどに影響されたものだと思う。 黒澤明が一方的に西部劇に影響を与えたのでなく、黒澤明もやはり西部劇から影響を受けているのだ。 一発の銃撃で勝敗が決まるというのは、レボルバーが開発される前の話ではないか。 単発しか拳銃が撃てなければ二丁拳銃の方が有利だっただろう。 何発でも撃てるレボルバーの方が絶対有利に違いない。 しかし、椿三十郎では、一発で決着を付けるシーンがとりたかったのだ。 だからあんなに近い間合いで抜き打ちの勝負となったのだが、 ああいう立ち会いはそもそも日本にはもともとあり得なかったと思う。 一対一の勝負というものはあっただろうが、そもそも居合抜きというのは不意打ちで敵をたおす技であり、 お互い立ち会うつもりで、 ああいう形で刀を抜かずに最初から間合いに入って向かい合うということは、まずなかっただろう。 剣道の試合の形からしても全然違う。

で、問題なのは、三船敏郎は、最初からああいう近間の抜き打ちの決闘を想定していて、 最初から刃を下に向けていたのかということだが、状況的にはあり得ないことだ。 もしかするともっと遠間で立ち会うことになったかもしれん。

刃を下に向けて他方の手を添えてすばやく斬るというのは、たしかにカムイ伝などの忍者の斬り方に似ているかもしれん。 片手で抜いて片手で素早く斬るわけだが、それでは力が入らないから、もう一方の手を添えて押し斬りにするわけだ。

もう一度コマ送りで確かめてみないとわからんが、もしかすると、刀を抜くとき、 左手で180度刀を回してから抜いたのかもしれん。 ちと考えにくいが。

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千春

05.02.2010 · Posted in music video

松山千春ライブ ~33年の時を越えて~。 千春が BS2 に出てたのでちらっと見る。 もっとちゃんと見れば良かったのだが。

何しろBS2とは言え、放送されるものだから、いつものように、言いたいことも言えなかったのだろう。 トークはややおとなしかったが、やや自嘲気味なところがあった。 NHK 自身、そんなところを説明するわけもない。 一度ライブにはでかけてみなくてはと思った。

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ぽにょ

04.27.2010 · Posted in アニメ

今更はじめてポニョを見る。 海のもののけ姫というか。千と千尋というか。 魔法と妖怪の話。 海の波の上を走って追いかけてくるポニョとかかなりホラーではある。 これが実写だったらもっと怖いよ。 「人面魚が浜に上がると津波が来る」とかわろす。 楳図かずおバージョンとか(笑)。

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