家飲みメイン。

いい加減金がなくなってきたので、家飲みメイン。
topvaluの麦の薫り。
まずくはない。
よくまあ、10年前には、まずい偽ビールか、さもなくばホッピーくらいしか無かったのに、
ここまで進化したわな。
だが酒税は間違っているよな。
単純にアルコール分に課税すればいいじゃん。
偽物よりも本物飲もうよ。
酒は文化だろ。
偽物よりも本物が儲かるようにしてあげようよ。
そして私らも本物がほんとは飲みたいわけだよな。

空気読む客。

[よしもとばななさんの「ある居酒屋での不快なできごと」 – 活字中毒R。](http://b.hatena.ne.jp/entry/www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20090808)

ふーむ。
私なら、持ち込みしても怒られないなじみの店に行って、こういうことはやると思うな。
そういう店はふつう店長がオーナーで、融通がある程度効く店だよな。
初めての店で、しかもチェーンの居酒屋で、こっそり持ち込みの酒を飲むなんてことは、
まあやらんわな。
てかそういうこと、武勇談ぽくブログに書くとかどうよ。

私も、この年まで、いろんな店でいろんなことやってきたわ。
もしかしたらすげー経験値かもしれん。

[客の空気を読むのが、店の仕事じゃないの?](http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51271236.html)

いや、なんつーか、そうじゃないと思う。
私は居酒屋の経営なんて、やったことないから、店の人間がどう思うかなんてわからんのだが、
個人経営の店であれば、
もうけがある範囲で好き勝手やればいいんじゃないの。
客を友達扱いしようが、慇懃無礼に客扱いしようが、なんでもいいんじゃないの。

つーかね。
私もよくやるほうなんでね、持ち込みって。
でもそれは、
長いこと通って通い慣れて、ついわがまま言ってしまったとかそういう後ろめたさはあるんだよね。
金はらって接待されてます、みたいな飲み方じゃ酔えないんだよね。
そういう飲み方する人たちもいるかもしれないし、
したけりゃすればいいんじゃねえの。
しかし、だからと言って、お使い頼まれたり皿洗ったりしてあげるような飲み方もしたくないしな。

居酒屋ってさ、
知り合いと一緒に行って楽しむ場、じゃないんだよな。
家族でもなく仕事の同僚でもない、なんの利害関係もない人たちと、
いっしょに酒を飲む場、なんだよな。
仕事仲間や家族と酒飲んでもストレス発散にはならんのよ。
だから、見ず知らずの他人と一緒に酒を飲みたくなるんじゃねーかな。
家飲みと外飲みの本質的違いはそこだと思うんだがね。

ていうか、よしもとばななの父親って吉本隆明だよな。
理解不能だよな。
よしもとばななの小説も読んだことないしよくわからん。

> 居酒屋の売りって、「居」だろ?「居ること」だろ?「客としてもてなされること」だろ?

> 空気の読み疲れから、開放されることだろ?

> なんで、客が店の空気読まなきゃいけないの?

いや、違うよ。
それは断じて違う。
客が空気よまなきゃならない居酒屋の方が多いと思うよ。
居酒屋あんまわかってないんじゃないのかと思うのだが。
まあ、趣味の違いかもしれんが。
SとMの違いというか。
でもある種の一部のラーメン屋に比べればMの度合いはまだ少ないと思うんだ、居酒屋の場合。
友達感覚なのが楽しいんだよ、居酒屋って。
一方的な奉仕を求めるのなら、いわゆるレストランってとこに行けばいいんじゃないのか。

ありがちなのは、メニューに無い料理作らせて喜んだりとか値切って喜んだりする客。
肉体労働者がいない店で生牡蠣に白ワイン飲んで喜ぶ客。
いやな店だな。
まあ、そういう店はそういうふうにして稼げば良いんじゃないの。
私は行かんが。

それはそうと、
店長がいつも店員を叱ってる店があって、
確かに酒がまずくなる。
が、しかし、別にだんだん気にならなくなる。
酒がまずくなる一番の理由はたばこの煙の方がだんぜん大きい。
そのほかにもいろいろあるが、
店長が店員を怒っているというのはさほど大きな問題ではない。

富士川と倶利伽羅峠

平家物語を相変わらず読んでいるが、源平合戦というが、
富士川の戦いと倶利伽羅峠の戦いでほぼ決着が付いているんだなあと思う。
一ノ谷、屋島、壇ノ浦などの戦いの方が有名だが、これらはもう平家が都落ちした後の掃討戦にすぎず、
重要性という意味では富士川と倶利伽羅峠にははるかに及ばない。
この二つの戦いによって、
保元・平治の乱であれほど優勢になった平氏の権力はまったく逆転され、
源氏に有利になった。

富士川の方は、甲斐源氏が主力であると言われているし、
倶利伽羅峠は明らかに木曽義仲の功績であって、
となると、頼朝や義経などは、大したことはやってない、という結論に達する罠。
宇治川の戦いは単に頼朝の名代というに過ぎず、
一ノ谷の義経の功績も疑問が多い。
となると実は義経は別に大したことはやってないんじゃないか、
実は虚構なのでは、という気になってくる。
源平合戦というものが、
民間に広まるにあたって、
一人の英雄を必要として、
そのために仕立てられた役者、という気もしてくる。

頼朝に至っては、単に北条氏に担がれて、
源氏の嫡子だ棟梁だと言い張ってたらみんな遠慮してくれただけなんじゃないのか。
源氏にも危機感はあっただろうから頼朝一本で団結しただけなんじゃないか。
実際頼朝の子孫なんてあっというまに使いつぶされてしまうし。

いや、義経や頼朝をおとしめたいのではなく、
富士川の戦いや倶利伽羅峠の戦いをもっと評価すべきなんじゃないかってこと。
歴史の骨格として、保元・平治の乱と同じ重みで押さえておくべきではないか。

ていうかね、
富士川でも倶利伽羅峠でも一ノ谷でも、平氏はそうとうな大軍であったくせに戦略が何もないよな。
どうしてこんなにもろかったのか。
たぶんだけど、集団で戦うということができなかったんだな。
保元・平治の乱といっても別に大軍どうしの戦いではなく、
小競り合いと政略で平氏がたまたま勝っただけだもんな。
源氏は関東北陸東北中部地方に渡る広い範囲に一族がちらばっていて、
その首領たちがそれぞれ戦がうまく、
それぞれ独立して戦えたのだろう。
そういった戦力が、一気に集中して平氏打倒という目標に向いたから強かったのではないか。

保元の乱といってもこれは皇族どうしの戦いで、源平はきれいに分かれて戦ったのではなかった。
しかも単に皇居周辺の局地戦にすぎない。
平治の乱は反清盛、反平氏だったから、
平氏と源氏はきれいに分かれた。
で義朝が敗れて、義朝の子供がほぼ絶滅したのだが、
しかし、頼朝と義経は残ったし、
義朝以外の源氏はほぼ無傷で全国に残っていた。
やはりこれも京都周辺だけの局地戦だし、
その後の鎌倉対京都という、全国規模の、数万数十万単位の軍勢の、何ヶ月にもわたる戦争とは、
明らかな違いがある罠。

蛭が島

源頼朝が流されたのが伊豆の狩野川の中州の蛭が島で当時は湿地帯だったというが、
うわー。
蛭がうじゃうじゃいそうで怖いよー。

丹沢には蛭が岳って山もあるしな。
よっぽど蛭だらけだったんだな。
怖すぎる。

卒塔婆流

鬼界ヶ島から和歌を詠み書き付けた卒塔婆を流し、
それが厳島神社まで流れ着いて、清盛にまで達し、
それで恩赦につながったという。
まあ、あり得ん罠。

島に熊野権現をまつったとき俊寛だけは関わらなかった、
というのも伏線というやつか。

それはそうと長野の善光寺が焼けたというのと、平家の滅亡となんの関係があるのかと。
なんかそういうのがやたら多い。