ヤハウェと火山

フロイトは、ヤハウェは明確に火山神だと言っているのだが、エジプトにもシナイ半島にもパレスティナにもシリアにも火山はなく、この付近で唯一火山があるのは、アラビア半島西部、およそメディナの辺りだ。

2009年5月25日に、サウジアラビアのアルアイス地方で、群発地震が起きて、火山が噴火する可能性があるので、住民が避難した、ということがあったらしい。アラビア半島には休火山しかなく、有史以来、噴火したという記録はほとんど見られないようだ。しかし現代でも住民が避難するくらいだし、噴火口跡はたくさんある。3500年くらい前に実際に噴火があってもおかしくはないわけである。海(アカバ湾?)が割れる(たとえば地震による津波)くらいの天変地異があってもおかしくない。

ヤハウェの記述は明らかにアドナイとは別のものであり、この二つの神が融合してイスラエルの宗教になったのだろうと、フロイトは言う。さらに、イスラエルの12氏族のうち、モーセやアロンなどの指導層が属したレビ族は、後の時代まで氏名がエジプト語由来のものが混ざることから、エジプト人そのものであり、ユダヤ人ではないのだという。古代エジプト語とヘブライ語はそうとう遠い言語であるから、この二つの民族は、最初、言葉が通じていなかった可能性が極めて高い。

レビ族なるアメンホテプ4世の一族のエジプト人(彼らは、宗教改革に失敗してエジプトを追われた)が持っていたアトン信仰と、アラビアの火山地帯に居住していた(もしくはたまたまエジプトに寄留していた)と思われるユダヤ諸族のヤハウェ信仰が、合わさってできたものが後のユダヤ教なのではないか。かつ、アトン信仰というのはおそらくシリアのフェニキア人のアドニス信仰に由来するのだろう。

句点省略の異同について。

しつこくもまだ調べている。
中島敦『斗南先生』で比べてみる。
一つは「ちくま文庫」の『中島敦全集Ⅰ』。

> 「これから床屋へ行って来る。今、道で見てきたから場所は分っている。」と言い出した。

省いてない。
次に集英社文庫『山月記・李陵』の同じ箇所。

> 「これから床屋へ行って来る。今、道で見てきたから場所は分っている」と言い出した。

省いている。奥付には底本は筑摩書房『中島敦全集』とある。
もひとつついでに青空文庫の当該箇所、

> 「これから床屋へ行って来る。今、道で見てきたから場所は分っている。」と言い出した。

省いてない。底本は岩波文庫、親本は筑摩書房『中島敦全集Ⅰ』とある。
ま、ともかく、ある程度の「書式の修正」が加えられることがあるわけだから、
用心しないと、もともと著者が省いていたのか、校正で省かれたのか、わからぬわけだ。

集英社文庫は他の箇所も徹底的に省いている。中島敦という人は面白い人で、省いたり省かなかったり。
律儀に必ず省くとか省かないとか決めずに書いている。
それにはある種の法則性というかポリシーがあるのだろうと思うし、実際、私もそんな書き方をしているように思う。

ふと気づいたのだが、

> その「お髯の伯父」(甥たちはそう呼んでいた。)の物静かさに対して、上の伯父の狂躁性を帯びた峻厳が、彼には、大人げなく見えたのである。

のように、丸括弧の最後に句点を打っている箇所がある。なるほど、ここは打ちたくなる箇所ではあるが、私なら打たないだろうと思う。

丸括弧の最後の句点の省略について。

たとえば、

> 私はこれこれと思った(たいへん困ったことではあったが)。

とは書くけど、

> 私はこれこれと思った(たいへん困ったことではあったが。)。

とは書かない。たぶん、英文でもそうだ。
丸括弧の場合には、センテンスの中にセンテンスが埋め込まれた形になり、
どちらも独立したセンテンスであるから、最後に句点なりピリオドを打つのが理屈しては正しいが、
句点が二つ並ぶのはいかにも目障りだから、括弧の中の句点を省くのであろう。

しかし、セリフに使うカギ括弧の最後の句点を省くのは、やや意味が違う。
昔、小学生の頃、句点と閉じカギ括弧を原稿用紙の同じマスに書くよう指導されたことがあるような気がする。
複合した記号のように解釈していたということかな。

まれには、

> 私はこれこれと思った。(たいへん困ったことではあったが)

とか

> 私はこれこれと思った。(たいへん困ったことではあったが。)

と書くこともあるかもしれん。あまりよろしくはないが。

句読点の省略と新聞社について

思うに、夏目漱石が最初に作品を発表したのは朝日新聞であり、森鴎外は読売新聞だ。
司馬遼太郎ももとはと言えば産経新聞の社員。
このように、新聞社関係の人間は、カギ括弧の終わりの句読点を省く傾向がある。

一方、永井荷風や中島敦らが最初に活動したのは文芸誌か同人誌であろう。

新聞社では活字を節約するために、句読点の省略ということをやった可能性が高い。
せこいが年間で0.何パーセントか、コストを削減できたに違いない。
逆に文芸誌や同人誌などは、たかだか句読点の一つや二つ省いたからと言って、
採算がどうこうなるというわけではなかっただろう。
学者の文章というのも、やはり、句読点を省かなかったのに違いない。

子母沢寛も松本清張ももとはといえば新聞社の人間である。
そして、新聞社というは、影響力が大きいものであって、そのために句読点が省かれるようになった、
また、みながそれを真似するようになった。

そんな気がする。

もしそうだとすれば、今の時代に句読点をいちいち省略するのは、ばかげたことだと思う。

『墨東綺譚』を読むに、やはり句点は省かれていない。
「そうか。」「今晩。」「ご存じ。」など、短い会話文でも、かならず、省略しない。短くても改行する場合が多いが、いつもではない。
朝日新聞に掲載されているが、永井荷風は当時すでに文豪だったから、句読点を削られるようなしうちはなかったのに違いない。
やはり、初期の頃の執筆の癖というものが、その後もずっと残り、途中で変わることはない、と考えるのが自然だろうよ。