侍従

徳川家康が30才から33才まで、従五位上で侍従という官職についているのだが、
なんだよそれ。
戦国から江戸時代までの官職とか気が狂いそうになる。
そうでもないですか。
だって家康が侍従だよ 。
文官で天皇の側近の侍従だよ。あり得んなあ。
これはつまり、応仁の乱以後の足利幕府が、官位官職を勝手に、無意味に、機械的に割り当てるようになったからだろうな。
嗚呼、律令国家。

出勤

おそるおそる、電車とバスを乗り継いで出勤してみたわけだが、
用心して歩いたせいで、腹が張ってくるほどではなかった。およそセーフ。
ただし上り坂は休憩しながらのぼり、階段はエレベータを使った。
木曜、金曜辺りは、朝起きて、いきなり肺がごぼごぼ言ってたわけだから、
特に木曜日はひどかったが、
それに比べるとかなり改善したと言える。
今日は、さほど、息苦しくもない。
まったく常人の暮らしではないが、今日くらいなら、常人に混じって暮らすことはできそうだ。
このままだんだん腹が張らなくなり、さくさく歩けるようになれば良いのだけど。

こうしてみると、たぶん、火曜日の夜から水曜日の朝にかけて、何か急性の原因があったとみるべきだろう。
かなり特定してきた。

漢籍由来の熟語

相変わらず『日本外史』巻19辺りを読んでいるのだが、
「塗一敗地」(一敗地にまみれる)「尚何足畏哉」(なおなんぞおそるるにたらんや)「衆寡不敵」(衆寡敵せず)などの、
どう考えても頼山陽が自分で考えたのではない言い回しが出てくる。
「塗一敗地」は『史記』、「尚何足畏哉」は『孟子』らしい。
「衆寡不敵」は『魏志』。
「何足畏」は現代の中文で「死何足畏」など、これはたぶん宗教関係の言い回しだと思うが、
頻出する。
「西洋文明なんぞ恐るるに足らんや」とは福沢諭吉の『学問のすすめ』。

しかしたまには「鎧袖一触」のように、『日本外史』に初出の言い回しもあって、いろいろ難しい。