Turin と Trino

1849年のノヴァーラの戦いを調べていたのだが、ピエモンテには Turin (州都)のほかに Trino という地名もある。
紛らわしい。実に紛らわしい。特にイタリア語で Turin は Torino と書く。ほとんど同じではないか。

セルジューク戦記主な登場人物

[主な登場人物](http://p.booklog.jp/book/32947/page/805486)は書きかけて放っておいたのだが、とりあえず書いてみた。『セルジューク戦記』は今のところ私の書いたものの中ではもっとも複雑な話で、自分でももう忘れていた。

これとは別にセルジューク族の系譜があり、それらを併せると百人は軽く超える。登場人物をみんな数えたら(名前の出てこない人や参照されているだけの歴史上の人物なども入れて)二百人はいくだろうと思う。むちゃくちゃ話を広げたからな。

ガエータ、ナポリ、カプアなどの地名が出てくるのだが、それも忘れていた(笑)。

ポー川

ふと地図を眺めていて気付いたのだが、オーストリアのギュライ軍は、ポー川が氾濫して水田が水浸しになったから、
ノヴァーラで足止めを食ったのではない。
なぜかというに、ミラノからトリノまでは、ポー川を渡らなくてもたどり着くことができるからだ。
ギュライが渡れなかったのは、ノヴァーラとヴェルチェッリの間に流れている、
ポー川の支流のセージア川でなくてはならない。

また、水田が水浸しになったのは、ピエモンテ軍がわざと川を決壊させていたからだ。
おそらくピエモンテ軍は大雨で水かさが増しているのを知っていて、オーストリア軍を挑発したのだろう。
或いは、四月から五月にかけて、アルプスの雪解け水で、田んぼは勝手に水であふれるのかもしれん。
ピエモンテ側では予測の範囲内ではなかったか。

それから、ナポリとテアーノとガエータの位置が間違っていたので、直す。
いじりまくりだな。

ピエモンテの鉄道

[Turin–Genoa railway](http://en.wikipedia.org/wiki/Turin%E2%80%93Genoa_railway)によれば、トリノからジェノヴァまでの路線は、
国費によって1853年に完成している。

[Turin–Modane railway](http://en.wikipedia.org/wiki/Turin%E2%80%93Modane_railway)によれば、スーザからトリノまでの路線も、
1854年には完成している。

[アレッサンドリア駅](http://en.wikipedia.org/wiki/Alessandria_railway_station)は1850年に開業している。

[カザーレ駅](http://en.wikipedia.org/wiki/Casale_Monferrato_railway_station)は1857年に開業している。

[ノヴァーラ駅](http://en.wikipedia.org/wiki/Novara_railway_station)は1854年に開通している。

[ヴェルチェッリ駅](http://en.wikipedia.org/wiki/Vercelli_railway_station)は1856年に開通している。

ナポレオン三世は、スーザからアレッサンドリアまで来たのだろうか。
船でジェノヴァまで来て、そこから鉄道でアレッサンドリアまで来たのかもしれない。
どちらかわからん。
おそらくフランス軍はその両方から来たのだと思う。だから、アレッサンドリアが集結地に選ばれたのだ。