投票所混雑

投票所が混んでたというのは私も感じた。
ある種の熱気も感じたが、投票率が案外低くて驚いた。
思うに、混むのは、投票方法が複雑になるとか、あるいは、投票するとき長く考えるためだろう。
これまではとくに考えずに機械的に投票する傾向があったのではないか。
今回はみんな投票間際に悩んだ。
そのため行列ができてしまったのでは。

そんな悪い傾向ではない。

投票率が戦後最低とかで騒ぐのもおかしい。
59.32%は確かに低いが、
小選挙区比例代表になってから、59%台はすでに二回ある。
投票率が低いのは、おそらく小選挙区制だからではないか。
つまり、小選挙区だと、誰が勝つか投票する前から明らかなことが多い。
だから投票所にいかずに済ます、とか。
あと、やはり、マスコミの予測報道が相当正確になってきたせいもあると思う。

今回も、行かなくても誰が当選するか自明だったせいと、
誰にも投票したくない棄権が多かったからだろう。

無効票も多かったというのもやはり同じ理由だろう。

投票率が上がれば、とくに若者が投票に行けば世の中は変わる、とか、
主張するやつが多いのだが、
そういうやつは、多分、投票率が高ければ民主党が勝つとか公明党に不利だとか思ってる連中だろう。
あるいは、若者の政治離れ、みたいに、若者に責任を負わせたがるやつら。

もっとちゃんと分析して、
システムとして投票率があがるようにしろよ。
「若者よ、投票へいこう」なんてただの精神論にしか思えない。

それから、戦後まもなくと現在では有権者数が三倍近く違う。
ものすごく増えているのだ。
つまり、有権者に占める高齢者が増えている。
有権者に定年退職はないのだ。
そうするとどうしても若者は年寄りに頭を押さえつけられている感じになる。
自分たちが何やっても無駄だみたいになる。
ますます若者が選挙にいかなくなる。
若者が選挙にいかないよりもそちらの方がより深刻な問題だろう。

業界標準業務システム

自分ではやろうとは思わないが、
kvmサーバ構築して、ドメインとって、wordpress導入して、
適当にテーマいじってあげるだけで十分に商売になる時代だ罠。
ていうか、それってまさにサイト構築の業務なんだわな。
自分でやらんでも知識さえあれば、営業や開発はスタッフにやらせて、あるいは外注して、
自分はマネージメントとか。
ありえん話ではない。

社会的に必要とされているということと、それを自分の仕事にしたいこととは微妙に違う。

アプリ開発が儲かるとか開発コストが劇的に安くなったとか、
なるほどそれは素晴らしくよいことだがじゃあそれを仕事にしたいかといわれれば。

wordpress も movable type とせりあってたころがおもしろかった。
業界標準となってみると逆に興味を失う。
なんなんだろう。

大いなる怠慢

思うに、歴代天皇の中で歌のうまい順に順位を付けるならば、
やはり一番歌のうまい天皇は、後鳥羽天皇だと思う。
その次に誰がうまいかと言えば、
これが難しいのだが、花山天皇か、後水尾天皇か、或いは、
順徳天皇、後醍醐天皇、亀山、伏見、光厳天皇なのではなかろうか。
それに続いてやっと、孝明天皇とか明治天皇のような、近代の天皇があがると思う。

私は、近代、というか近世の孝明天皇や明治天皇の歌を高く評価する。
というより私は明治天皇のファンである。
しかし、では、明治天皇が後醍醐天皇や後水尾天皇より上か、並ぶか、と言えば、
やはり違うのではないかと、思わざるを得ない。

そして、後鳥羽天皇はやはりダントツで一位だと思う。
丸谷才一の偉大な業績の一つは、後鳥羽天皇を見いだしたところであり、
やはり丸谷才一という人はすごいなと、思わざるを得ない。

丸谷才一以外の人は、つまり戦後の文人たちは、日本が民主化されたというのに、
こういう作業を何もしていない。
明治や大正の歌人や文人にはできなかったかもしれないが、戦後の文人は当然やるべきだった。
大いなる怠慢というべきだ。

野田総理を惜しむ

今回の選挙は正直これまでで一番棄権したかった。
前回民主党が勝ったのと同じ乗りで今度は自民党が勝つ、というのがわかりきっていたからだし、個人的に私はずっと自民党に入れてきたが、私は野田首相が好きだったから、今回に限ってできれば民主党を支持したかったからだ。

野田さんが好きだという人も少なからずいるようだが、選挙にはまったく影響しなかったようだ。

野田総理も結局は民主党の敗戦処理をまかされるだけの人に終わったわけだが、
まあ良い負け方をしたという意味ではまた目の出るときもあるのだろう。
能力のある人を使い捨てにして欲しくない。

選挙というものは欠陥システムだし、日本の民意は馬鹿だと再認識した。
今まで抱いていたかすかな幻想さえすべて消え失せた。

付言すると、日本にはドイツのネオナチに相当するような極右というものはいない。
いたとしても政治的にはまったく無力だ。
今回程度の右翼的な動きが現れるのはまったく自然だし、
今までいなかった方がおかしい。
よその国では当たり前な、国旗を掲げて集会というのが皆無だったのだから、いままでは。
バランスを取るという意味ではいたほうがいいくらい。

だが、そういう動きを見ると脊髄反射的に大正デモクラシーがとか、
大政翼賛がなどと言う人がいるのだが、
大正デモクラシーをどのくらいわかっててそんなことを言ってるのだろうか、
どの程度の分析を下地にしているのだろうかと疑う。

こんなに政権がぐらぐら交替して首相が一年程度で辞めていく政治が良い政治なわけがない。幕末維新の頻繁な改元みたいなもの。もっと安定した状態に収束していく仕組み作りが必要なのではないか。それにはまず遠回りなようだが、民意形成プロセスのどこに欠陥があるかを分析するところからやらないといけないのではないか。さもなくば国民が選挙を信用しなくなって性急な手段に走る危険性がある。

アメリカでも政権交代すれば政策が根本からがらりと変わる。
しかしその周期は八年以下ではない。
日本では四年かもっと短い。
その短い四年間の中で毎年首相が交替する。異常だ。
もしこれが電子回路なら誤作動か誤設計しかありえない。
変わること自体は悪くないとして、
日本が二大政党政を目指すと極めて短い周期で振動する、ということがわかったのではないか。
もすこしなんとかしてほしい。