タブレット

kindle paperwhite は、まあこれはこれで良い。

10型の sony xperia は、SDカードが直接挿せて、pdfを読むのには適している。
論文とか結構 pdf でネットに置いてあるから、そういうのをがっつり読むにはこういうのが良い。

7型の regza では少し小さい気がする。だが、ネットにつなぎながら持ち歩くにはこんなほうがよい。

いまでもときどき panasonic の let’s note (windows xp) を持ち歩きたくなることがある。
昔はノートPC 一択だったのだが今はいろいろあって何だ。

ああそういえば、windows 8 タブレットというのもあったのだった。
どうしよう。

玄米

玄米の食感は、精白米とぬか床を混ぜたようなものかと思っていたが、
野菜のようにシャキシャキしてて、まさにモヤシを食べている感じだ。
うまいかと言われれば、大してうまくない。
食うのに疲れる。すぐ飽きる。
炊飯に時間がかかるのも面倒だ。
白米は速炊きできるのだが。

麦ご飯がすきだったのだが、玄米を食べていると白米が恋しくなり、
麦ご飯も食べたくなくなってしまった。

コレステロールを摂りすぎると血管が詰まりやすくなり、脳梗塞、心筋梗塞になる。
コレステロールが少なすぎると、血管が弱くなり、脳卒中になりやすくなる。

永平寺の禅僧みたいな粗食ばかりしていればコレステロールが欠乏することもあるかもしれんが、
現代人が普通に飲み食いしていても獣脂は摂取してしまう。
パンにはバターが含まれるし、お好み焼きには卵が含まれる。
外食すればお通しに肉が出てくる。
なので、コレステロールを摂らないくらいな方が、コレステロール値を適正に保てる気がする。

肉を食うと空腹に耐えねばならぬ。
肉を食わないと米やパンを腹一杯食っても太りにくいのが良い。
主食メインで良いんだと思う。

ガラパゴス

オリンピック種目でもセンター試験でもそうだが、
日本人はこれという確かな目標が定まると、ガラパゴス的にそれに最適化しようとする。
外乱が少なすぎるのだろう。
外乱がない方が、特殊な、独特な進化を誘発しやすい。
それはガラパゴスの良い発現の仕方だが、
悪い方へいくと、要するに将来性の全くない、盲腸のようなものをひたすらはぐくみ育てることになる。

民主党政権が崩壊して不況がやや和らいだように見えるのだが、
結果論で言えば、民主党政権の前の自民党政権のとき円安なのに不景気だったのは、
日本の政治がどうしようもなく行き詰まってしまっていたからだろう。
そして自民党がしばらく野党に転落して返り咲くと、
日本の政治の連続性の良い面が息を吹き返して、経済や民心によい作用をするのだと思う。

民主党は、ようは、小選挙区制を導入して日本に二大政党政治を人工的に作り出そうとして、
みずからをアメリカの民主党のようなリベラルと位置づけて、自民党を相対的に共和党に仕立て上げた。
アメリカの政治はエスタブリッシュメントと、移民や黒人などの対立からできているから、
資本家と労働者、
保守と革新、
共和党、民主党というわかりやすい対立の構図ができ、その間をだいたい8年とか16年くらいのかなり長い周期で調整するので、
うまい具合に機能するのだろう。

ところが、民主党というのは、いつまでたっても人工的に作り上げたリベラル与党というだけで、
何の実態も持ち得なかった。
そうすると、戦前の政治家の生き残りである自民党の「血筋」の良さというものが、こういう不景気には効いてくる。
自民党は野党になるたびに刷新して強くなる。
民主党にはその気配すらない。

世襲議員はダメだとその一点張りしか言えない人もいた。
世襲議員はあまりよろしくないが、それを完全に否定しようとするととんでもないことになるってことは今回よくわかった。

結局日本というのは、自民党という一党独裁が20年とか30年周期くらいにときどき野党に転落して、
そこで政治的調整と混乱を経て、
ふたたび一党独裁に戻る。
そういう政権交代の形を取るのが一番安定していて効率的なのではなかろうか。

確かに自民党政権は未だに何もやってない。
為替操作とかインフレターゲット政策すらまだやってない。
やるかもしれませんとは言ったかも知れないが。
景気が回復しつつあるのは、
自民党政権が復帰したとき、多数議席を占めたとき日本は強いという歴史的前例があるからだろう。

飲食欲

20代の頃は酒がうまかったという記憶がない。
ビールは別にうまくもなかったがまずくもなく、ただ濃い味付けの食事をするときには確かに便利なのと、
そのうち夏の喉の渇いているときにはうまいと思えるようになった。
ビールはどちらかというと酔うためというより腹を早く膨らませるために飲んだ。
食い物で同じだけ満腹になるには食べ過ぎてしまうし、金もかかるからだ。
もちろん酔うことは酔うがそれが心地よいと思ったのではなかったように思う。
日本酒がうまいと思ったことはなかった。
ウィスキーの水割りとかもスナックへいくと他に飲むものがないからしょうがなく飲んだ。
長崎の学生は、ビールと日本酒を丼でまぜて長崎ちゃんぽんと言って飲んだが、
もちろん全然うまくはなかった。
20代の私にとって酒とはそういうものだった。
今から思うと何が楽しかったのかさっぱりわからない。

30代から40代にかけては確かに酒がうまいと思えるようになった。
40過ぎてからある種の日本酒はうまいと思えるようになり、
つまり日本酒のうまいまずいがだいたい分かってきた。

大病を患ってからは、肉を食うのを辞めた。
すると酒も別にうまくなくなってきた。
ビールも酎ハイもただ飲み屋に入ったから義務で飲んでいる感じだ。
前より痩せたから急に酔いが回って自分を制御できないし、
二日酔いになりやすくなった。
いや、二日酔いというのは違う。アルコールのせいで頭痛がしやすくなった。
全然酔う前に頭が痛くなる。これも20代の時と同じ。
昔に戻った感じだ。
あの頃はたぶんこんな風に酒を飲んでも楽しくなかったんだろうなと思い出す。

その上今は、酔ってる間は楽しいかもしれんが、翌日酔いが醒めるとその分なんか鬱になる。
楽しいのとつまらないのがプラスマイナスゼロな感じで、何のため酒飲んでるのかわからなくなる。

となると私が酒をうまいと思って飲めたのは
30代前半から40代前半のわずか10年間だったということになる。
なんというかもう余生を送っている気分だ。
体重が85kgくらいあったが、それだけ体の体積が大きいと肝臓も強い。
どれだけでも飲める気がした。

肉でもなんでもどんどん食べた。
食欲と酒欲(?)というものは連動しているのだろうし、してて全然不思議ではない。

コレステロール値を下げるために、
肉、卵、牛乳などを避けて炭水化物と魚を中心に食べるようになったら、
満腹するまで食べてもそんな太らなくなった。
思うに、体内のコレステロールの八割は体内で合成される。
ステロール、ステロイドは油脂から合成される。
つまり、体内の余剰な脂質からコレステロールが作られるのだから、
コレステロール値の低い食物を食べるのではなく、魚以外の動物由来の肉を食べなければ、
体内でコレステロールは生成されにくい。
コレステロールの原料が足りないとおそらく脂肪が使われる。
よって、肉、卵、牛乳、それから派生するバターや生クリームやチョコレートやアイスクリームなども含めて、
一切食べなければ、
糖質を多少過剰に摂取しても、脂質やコレステロールが不足している状態には変わりなく、
糖質は脂肪として蓄積するよりまずエネルギーとして消費されるから、
従って痩せるのではなかろうか。

米と肉の両方、
或いは、少量でも肉を食べてしまうと、
どんなに米を減らしても太ってしまうのではなかろうか。
すくなくとも自分の体を使った人体実験ではそうなった。

世代の断絶

宣長の歌

> 書読めば昔の人はなかりけりみな今もある我が友にして

僕らの世代が、昭和を、超克すべき過去だと思っているのは、つまり、自分も昭和世代であり、
自分より上の昭和世代から、搾取され、強制され、抑圧されたと感じているからだ。
相対的に、明治や江戸時代にあこがれを感じるのかもしれない。

おそらく日本史上最悪の時代というのは日中戦争が始まってから、高度経済成長が始まる前までであり、
この時代に体罰とか、或いは年功序列とか、或いは終身雇用のような、悪しき昭和の残滓とでも言えるものが、
一般化したのである。
紙巻き煙草のようなものもそうで、私の祖父の時代にはまだキセルやパイプなどで刻み煙草を吸う方が一般的だったのが、
紙巻き煙草になってからは路上でも飲食店でも勝手に煙草を吸うようになったのである。

戦前にはまだ平家物語や今昔物語やら太平記が普通に読まれていて、
だから芥川龍之介が古典を題材にしたりした。
つゆのあとさきを読むと、江戸時代の戯作を現代風にアレンジして大当たりした作家などが出てくる。
要するに、近世の日本の文芸と、西洋から輸入された近代文学とを適当にまぜあわせると、
割と簡単に小説というものができあがった時代なのではないか。

今の日本で近世文学を復刻するのはとてつもなく難しい。
せめて雨月物語とか春暦あたり、できれば日本外史あたりまでを、高校で教えられないのか。
明治大正の小説を今更いくらいじくり回してもしょうがないのではなかろうか。

もっとひどいのは歌学、歌論というもので、
これは今日絶えて久しい。
最近比較的まともにこれを取り上げたのは丸谷才一くらいではなかろうか。
戦前だと佐佐木信綱。
その後和歌というものはどうなってしまったのだろうか。
今の新聞歌壇などは見るに堪えない。
俵万智はすばらしい歌人だが、彼女の歌をまともに論評してあるのを見たことがない。
万葉集から俵万智までをきちんと解説したものがない。

世代は断絶している、といえばそれで良いと思っている。
そんな結論は誰でも簡単に出せる。
歴史的必然性や連続性を見いだすことのほうがずっと難しい。
知識も必要だ。