Heidi, translated by Louise Brooks 1885

「ハイディ」だが、
Heidi’s Lehr- und Wanderjahre が出たのが 1880 年。
続編の
Heidi kann brauchen, was es gelernt hat が出たのが 1881年だった。

[初フランス語訳](http://www.e-rara.ch/sikjm/content/titleinfo/5337916)
は 1882 年。
原著の版元 Gotha: Perthes が出版していて、訳者は不明。
Heidi’s Lehr- und Wanderjahre のみの内容。

[英訳は1885年](http://www.e-rara.ch/sikjm/content/titleinfo/5320749)。
訳者は Louise Brooks。
出版社は Couples, Upham, and Company,
The Old Corner Bookstore, 283 Washington Street, Boston.
巻末の広告の価格がドルで書かれているので、間違いなく、
イギリスではなくてアメリカのボストンだ。
こちらは前編と続編両方の合冊になっている。
これがおそらく最初の英訳。
そしてハイディを世界的に有名にした本なのだろう。

> From the pleasant village of Mayenfeld a path leads through green fields, richly covered
with trees, to the foot of the mountain, which from this side overhangs the valley with grave and solemn aspect.

冒頭だけだが、ドイツ語原文と比べてみると、そのまま自然に訳されていることがわかる。

> Vom freundlichen Dorfe Maienfeld führt ein Fußweg durch grüne, baumreiche Fluren bis zum Fuße der Höhen, die von dieser Seite groß und ernst auf das Tal herniederschauen.

[「ハイディ」邦訳疑惑](/?p=17598)参照。

ヨハンナ・シュピリ初期作品集

ヨハンナ・シュピリ初期作品集

* 価格 1800円(税別)
* ISBN 978‐4‐7734-1000-6
* 著者 ヨハンナ・シュピリ(訳・田中紀峰)
* 発売日 2016/2/27
* 四六判(130mm×188mm) ソフトカバー 292ページ
* 発行 夏目書房新社
* 販売 垣内出版

初版第一刷の誤記・誤り等

p. 4 (p. 49 も同様)

> できるだけうまく話してみまし

→ みまし

p. 55 (p. 232 も同様)

> DAHEIM UND FREMDE

→ DAHEIM UND IN DER FREMDE

p. 85 (p. 240 も同様)

> AUS FUÜHEN TAGEN

→ AUS FRÜHEN TAGEN

p. 210

> 直訳すれば「地上の小さな寝床に憩え(zur Ruh ein Bettlein in der Erd)」

Paul Gerhardt の[Nun ruhen alle Wälder](https://de.wikipedia.org/wiki/Nun_ruhen_alle_W%C3%A4lder)
に見える句だが、

> Nun geht, ihr matten Glieder,
geht hin und legt euch nieder,
der Betten ihr begehrt.
Es kommen Stund und Zeiten,
da man euch wird bereiten / zur Ruh ein Bettlein in der Erd.

該当箇所を訳すと

> さあ、行け。おまえたち、疲れきった手足よ
行って横たわれ
おまえたちが望んだ寝床に。
時がやってくる、
そこに、地上の寝床に休む準備をしよう

「bereiten zu 物」で「物を用意する」、の意味。
だから、できるかぎり直訳すると「地上に用意された休息の寝床」となるか。
だから本文中の「直訳すれば」は余計か。
man euch の euch は再帰代名詞だと思うが、特に訳さなくてよいか。

p. 220

> Freude die Fülleあふれる喜びと
> Und selige Stille 至福の静けさ
> Darf ich erwarten 私は待っている
> Im himmlischen Garten, 天国の園で
> Dahin sind meine Gedanken gericht’. 私の考えが裁かれるのを

Darf ich erwarten は「私は待っていてもよかろうか?」のように推量疑問、もしくは
「私は待っていたい」のように願望として訳すべきだろう。

Dahin sind meine Gedanken gericht’ は「そこへ(dahin)私の思いは向けられている(sind gerichtet)」と訳すべきだった。

p. 287

> アルトゥールとリス

Squirrel は「リス」ではなくて女の子の名前である。
無理にドイツ語読みすれば「シュクヴィレル」とでもなろうか。
Arthur も「アートゥア」などと記した方が良いかも知れない。

p. 288

> 1890 Cornelli wird erzogen

「コルネリは育てられる」
これとその前の

> 1889 Was aus ihr geworden ist

「彼女は何になったか」
は別の年に出た別の本。
「彼女は何になったか」は 1887年の

> Was soll denn aus ihr werden?

「彼女はどうなるべきか」の続編 (Fortsetzung)。

これら三つの本の説明がごっちゃになっている。

その他

表紙に書かれている

Frühe Erzählungen von Johanna Spyri, die Verfasserin des «Heidi»

だが、これは(出版社に頼まれて)「ヨハンナ・シュピリ初期作品集」というタイトルを私が独訳したものであり、それ以上の意味はない。
原著名は Verirrt und Gefunden (1872) ですが、のちに Aus dem Leben (1900) と改題・微妙に改訂されて再出版されている。

Verirrt und Gefunden と Aus dem Leben の違いは、
次のテキスト(ただし Ein Blatt auf Vronys Grab のみ)の差分を取るなどして確かめてみてください。

* [Ein Blatt auf Vronys Grab 1883](http://tanaka0903.net/libroj/Vrony_1883.txt)
* [Ein Blatt auf Vronys Grab 1900](http://tanaka0903.net/libroj/Vrony_1900.txt)

思うに、ゲーテに Aus meinem Leben, Dichtung und Wahrheit という自伝があり、
またヨハンナによって書かれた夫の伝記 Aus dem Leben eines Advocaten (ある弁護士の人生から)があることから、
ヨハンナ自身によってその死の直前に Aus dem Leben と改題されたこの書名には、これが自伝の代わりであることがほのめかされていると思われる。

参考

* Johanna Spyri geb. Heusser projekt gutenberg DE
* Johanna Spyri projekt gutenberg
* [e-rara Johanna Spyri 文献](/?p=18475)
* [堅信礼の贈り物](/?p=18643)
* [「ハイディ」邦訳疑惑](/?p=17598)
* [シュピリ ヨハンナ](/?p=14107)
* [デーテの言い訳](/?p=17566)
* [フローニ他](/?p=18305)
* [Heidis Lehr- und Wanderjahre](/?p=17564)
* [ラガーツ温泉](/?p=8919)
* [ラガーツ温泉2](/?p=8928)
* [ひたすらハイジを観る。](/?p=1113)
* [Johanna Spyri](/?p=17402)
* [アルムおじさん一家の謎](/?p=10140)
* [Geißenpeter](/?p=9782)
* [unten と oben](/?p=8940)
* [アルムの小屋のトイレの謎](/?p=1115)

神鹿、死刑

昔、神鹿を殺すと死刑になった、といわれているのだが、ちょっと信じられない。
常識的に考えて、あり得ないことだ。

信長が神鹿を殺した者を密告させて、処刑したという記録があるそうだ。
しかしこれはおそらく、奈良の鹿を組織的に密猟した者がいて、処罰したという意味であろう。
たまたま過失で鹿を殺してしまって、それでただちに死刑になるはずがない。

だいたい誰が死刑を執行するのだろうか。
春日大社の宮司?
そんなはずはない。
東大寺か興福寺の僧兵?まさか。

江戸時代の奈良奉行や京都所司代、あるいは寺社奉行ならば幕臣だが、
幕府の役人が鹿を殺した程度で人民を処刑するはずがない。
鎌倉時代の北条氏、室町幕府ですらそんなことをするとはとうてい思えない。

鹿の密猟というのは寺社領でなくともよくあったことだろう。
その首謀者は、場合によっては死刑になることもあっただろう。

最近体調が悪いのは、
心臓の具合が悪いとか、
年をとったからということもあるかもしれんが、
たぶんアーチストという薬を飲んでいるせいだ。

[服用を忘れたときに、2回分をいちどに服用すると血圧が下がりすぎて、めまい、転倒をおこすこともあります。飲み忘れたときは、その分は抜いて、次回から正しく飲んでください。](http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/kusuri/1428/m0u/)

アーチストは血管を広げて血圧を下げ、これによって心臓の負担を軽くしている。
しかしながら、よく立ちくらみするようになった。
しばらくすると体が慣れたのか立ちくらみすることはほとんどなくなった。
しかし電車に長く立っていると気分が悪くなってきて、冷や汗が出てくるようになった。
たぶんアーチストのせいだと思う。

座っていれば特に問題ない。
短い時間なら問題ない。
歩いてるのは全然平気。しばらく山歩きしても、息が切れるとかそんなことはない。

でまあ、電車やバスではできるだけ座るようにしているのだが、
本来は私のような人間が優先席に座ってよいはずだが、見た目は健常者なので、席を譲ってもらうのは難しい。
アーチストの量を減らしてもらいたいとも思うが、それで心臓に問題が出ても困る。
でも減らしても全然平気なのかもしれない。

血圧というのは多少高いくらいが体調は良いものだ。
がんがん遊びたくもなる。しかしそれはもうできない。
いつもなんか眠い感じもするが、無理せず寝るようにしている。
私は日本が認めた重病人なのだからなー。

通勤というのがまあ問題なわけですよね。特に都心方向への。
多少金がかかっても仕方ないので指定席でいくか、あるいは逆に各駅停車で行くようにしているが、
ときどきどちらもできないことがあって、そんなときたまたま座れると良いが、座れないときは、
ときどき途中下車して休憩しなくてはならないだろうと思う。
実に面倒だ。

そんなふうで私はいつも生命の危険を感じて生きているわけだ。
私のような人間は早く田舎に引っ越して店番かなんかして、毎朝墓参りなんかして生きていくのが体には良いのだろう。
そうしてただ無為に、死ぬまでの間生きていく。もう、それで良いのではなかろうか。

皮膚が弱くなってきている気がする。
これも薬の副作用かと思ったがなんともいえない。
私は汗かきなのだが多少汗をかいてほっといてもたいしたことにはならなかった。
しかし今はこまめに下着を替え、体を洗ったり拭いたりするようにしている。
まあ、普通の人がふつうにやってることをやるようになっただけなのだが。

「虚構の歌人」に載せた自詠の歌の一つに致命的な文法上のミスを発見してしまった。

恥ずかしい。しかし印刷したものは直せない。
まあ、人間は過つものだよな。

> しぬばかり 酒飲むことも ありけむや いまはおぼえぬ わかかりし日に

> 世の中の 人とたはぶれ 酔ひしれて 歩くはおそろし 老いにける身は

年取ったせいでなんとなく昔より文章が書けるような気がしたのと、
これ以上年取ると頭ぼけてくるから急がないとってのと、
死に損なったので、
慌てていろいろ書いたりしたのだが、
まそれも一段落して、
すでにこれまでに書いたものをかき集めただけでも、
後世の人は私がどんな人だったかってことはわかるはずで、
これからさらになんか書いたからって世の中に何かをよけいに残せるわけではない気がする。

小室直樹も「ソビエト帝国の崩壊」より後は書いても書かなくてもよかった。
50歳前に死んでいても小室直樹は小室直樹だったはずだ。
むろん一時期テレビに出てたことや、その後の著作活動なんかも、
彼を有名にし、世の中に彼の評価が定着する役にはたったわけだけども、
本質的な部分は、「ソビエト帝国の崩壊」と、そのあとの「アメリカの逆襲」あたりまで読めば十分なわけだ。

そうしてみれば、私がこれから多少頑張ったところで、
或いは本の部数が多少増えたところで、大したことはなくて、
むしろいかに何もせず、自分が楽に生きるかってことを目標に生きたほうが良いのではないかという気がする。

周りの人が間違っているように見えても、
また実際これまでずっと間違った判断をしていて、
自分が属する組織や社会を悪い方向へもっていこうとも、
それを指摘したり、改善しようとしたり、戦う必要はない。
それは私の仕事ではないし、私に向いてもいないし、そもそもする必要がない。
人のペースに巻き込まれて無理に酒を飲む必要もない。
自分が一番楽な生き方をすれば良い。
ある意味それが今の私がやるべき仕事だと思う。