ほぼ完成した。

自分ながら、
どのくらい需要があるかまったく読めない作品になった。
普通、読者というものは、探偵・刑事物、江戸下町情緒もの、アキバ系電脳もの、
それぞれのジャンルに分かれている。
これらのてんでばらばらなものを一つにまとめてしまった。
どっちにしろだらだら加筆修正するのだが、もすこし待ってもらい、
twitter で告知するくらいのタイミングで読み始めてもらいたいと思う。

アキバ系としてはそれほど珍しいものではないだろう。

江戸下町的なものはいくらでもある。

探偵・刑事物としてはかなり異質なものだと思う。
女捜査官ものとしてはわざと読者に肩すかしをくわせている。

著者としてはこれらを組み合わせて今までにない作品を作った気でいる。

電脳都市が江戸の下町の真ん中に存在していることを多くの人は忘却している。
そこにわざと警視庁の女捜査官を送り込む。
そのトリッキーさを楽しんでもらいたいのだ。

文章には、非常に凝ったつもりだ。
文章をそれなりに書いてきて自分なりに練ってきた書き方なんで、五年前の自分には絶対書けない。
どんどんネタばらしすると工藤と山下の恋愛感情の機微も(機微なんで、はっきりとは書いてない)、自分的には割と凝ったつもりだ。
もしここがツボにはまらないとこの小説はつまらないだけだと思う。
舞台はごく見慣れた町並み、
登場人物はすべてごく普通の人、つまらない人、中途半端な人として描写してある。もちろん著者は逆に、その裏にあるアブノーマルさを読んでほしいのだ。
えっ。凡人の日常を描いたものなの、じゃ読まない、と思われる危険性はある。

書いてて思ったが、私はそれぞのジャンルに、つまり漁場にでかけて、
そこにコマセをまいて、釣りをする人間ではないのだ。
私自身そういう読書の仕方をしない。
少なくとも自分には面白いのだけど、どんな魚が当たるか自分でもわからない。
カテゴライズされたとたんに創作物は二次創作となって死ぬ、と私は思ってる。

筒井康隆が言ってたと思うが、小説とは Novel、何か新しいものなのだから、
今まであるものを書いても仕方ない。私には非常に賛同できる考えだ。

潜入捜査官マリナ

marina2

最初は「潜入捜査官エリカ」というタイトルで主人公は梅ヶ谷エリカという名だったのだが、
いろいろググってると、2010年に「悪貨」という小説が出てて、
主人公が花園エリカ。
それが2014年には黒木メイサがエリカ役でドラマ化されている。

どうも潜入捜査官でぐぐるとエリカという名前が良く出るなと思ってたら、これが元ネタだったらしい。
そしてたぶん無意識に私もどこかでそれを見てて、
意図的に真似たのではないが、なんとなく雰囲気でエリカにしてしまっていた。

まこれはまずいので他の名前を考えて、「潜入」捜査官だから、海のイメージを重ねて、
三崎マリナという名前にした。

表紙の絵を変えたりしてるので読むのはまだ待ってください。

新人賞に応募しようかどうか迷っていた。
ツイッターでアンケートとった際もKDPですぐ出すよりはまずどこかに応募したほうが良いという意見が多かった。
しかしまあいろいろ考えた結果さっさとKDPで出すことにした。
どちらかといえば Kindle Unlimited 用に書いた。
100枚ほどの長さだが、最後まで飽きずに読ませれば私の勝ちだ(笑)。
ミステリーは食わず嫌いというか、今度書いてみて、案外こういう探偵物、刑事物も面白いなと思ったのだが、私という書き手に広く興味をもってもらい、
少しでも自分の得意フィールドの歴史小説に読者を誘導するために書いた。
それが今回の当初の執筆動機。

昔、現代小説として試しに「墨西綺譚」というのを書いてみた。
一時期KDPでも出版していたが、今は全面的に手直しするため公開してない。
ていうか「墨西綺譚」は登場人物がやたらと出てくる割に展開が早すぎて読者がついてこれない謎の群像劇になっていた。
言われてみればその通りで、ひまを見て直そうとおもってる。
これに工藤襄という探偵みたいな探偵じゃないみたいなキャラが出てくるのだが、
今回「マリナ」に出てくる工藤は「墨西綺譚」とまったく同じである。
読んだことある人にしかわからんのだが、
「墨西綺譚」は平成15年頃が舞台。「マリナ」は今現在。
だから13年後の設定になるわな。
「墨西綺譚」はレバ刺しが禁止されるよりも前の話なのである。
守口というのも同じ登場人物。基本的に舞台も設定も完全に一致させている。
だから自分の中では「マリナ」は「墨西綺譚」のリライト作業の派生物(一部)ってことになる。

「探偵物語」で松田優作が演じるのが私立探偵の工藤俊作。
ここでも名前がかぶってるが、キャラ的には全然かぶってないと思う。

こういう女刑事物は世間では官能小説か大衆小説と相場が決まってて、
だいたいハードボイルドにお色気、つまりエログロなんだが、
「マリナ」は全然そんなんじゃない。
私立探偵も出てくるが推理物かというとそういうわけでもないと思う。ガンマニアテイストは単にフレーバーとして足しただけ。だからキャラもストーリーも退屈に見えなくはない、見えるだろう、まあふつう、見える。私自身刑法とか警察が詳しいわけではない。だからもともとこのジャンルが好きな人には絶対受けない自信がある。
で普通非公式・非合法な部署とか架空の組織とか近未来法改正があったみたいなのを仮定しないとこういう刑事物は面白くならんのだが、それも私は「マリナ」では禁じ手にしている。裏返せばそんなおもしろおかしい刑事とか捕り物なんて現実には存在しなくて、ミステリーがネタに行き詰まっている証拠なの。
名探偵コナンだってドラえもん化、水戸黄門化してる。ところてんにはところてんの需要がある。
相棒は頑張ってるほうかなあ。
でまあ私の場合意地でそういうツボをわざとはずして読者の期待をはぐらかさないと気が済まない。

あとあんまり書くとまずいところもあってそこはぼかしてある。
だから全体的になんかもやっとしているがあとは読者任せというか。

食卓の賢人たち

アマゾンで買った電気時計とかリモコンとかが続けて不良品で、
返品、交換することになった。
誰かが出品してるんじゃなくてアマゾン直営。
なんかもう自分がクレーマーか何かになった気分になるし。
届いた品が動かないと精神的に消耗する。
たぶんこういうのって店頭販売で不良品が多くてそういうの家電量販店とか秋葉のショップなんかからまとめて安値でアマゾンが買い取ってるんじゃないかな。
そういうのを返品・交換込みでネットで裁いている。
割と簡単に返品が効くんで、アマゾンとしてもそういう商売でいいんだって割り切ってやってんじゃないのかな。
まあねえ。
普通に量販店で手に入りにくいものを安値で買ってるわけだしリスクはあるわね。
高額な国産メーカー品だと返品理由も割と細かく書かされるみたいだが、
そうでないのはかなり適当だよね。
どうせパチモン買うなら一番安いやつにしといたほうが精神的ダメージは少ないかもね。
250円の得体の知れないリモコンとか絶対わかっててやってるよね。
まあ秋葉のジャンク屋みたいなもんだよな、この手のは。
そういやこないだタイムセールで買ったボクサータイプのパンツにもひどい目にあった。
遊びと割り切って買えばいいんだけどさ。

「食卓の賢人たち」は良書だ。
古代ギリシャっぽいフレーバーを文章にふりかけるのに重宝する。
こういうなんということのない、日常の食生活の空気感というのがね、
欲しいわけなんですよ。
フィクションにリアリティを持たすためにね。
てわけでいまだにちょこちょこ書き直してる。

kindle unlimited のおかげでときどき読まれているのがわかる。
以前にはなかったことだ。
そうすると自分でも気になって読み直すと書き直したくなる。
「将軍放浪記」は冒頭テンション高いんだが、途中でだれてくる。
そう、南北朝がどうしたこうした西園寺兄弟がどうしたこうしたとかそういうことを説明しているあたりで明らかにだれている。
以前は気付かなかった瑕疵が今は見える。
ていうか昔はこんな話だれが書こうが読もうがだれるに決まってるからって思ってこっちも書いてるんだが、定家の話とか調べてて、だんだん西園寺さんのことにも詳しくなってきて、
あれっ、こんな雑な書き方してたんだなあ、って自分で気付く。そうすると書き直さないわけにはいかない。

今川了俊なんかが北条時行は死んでないとか言ってて、
まあ彼は今川ですし。足利ご一家の一員なのにわざわざ北朝に不利な証言をしているわけだから、
信憑性がありそうじゃないですか。
ということは、北条得宗家は滅亡したんじゃなくて、
歴史の中にフェードアウトしていった、ってことになる。
頼山陽も「亦不知其所終」なんて書いててそれがまあこのブログのタイトルにもなっとるわけですけどね。龍ノ口で斬られたなんてことは書いてない。
そうすると時行を生かしといてやりたいなあなんて著者ごころがわいてくる。
「将軍放浪記」のストーリーもかなり大きく影響受ける。
ましかし旧作なんでもうこれ以上いじらないことにした。

「将軍家の仲人」もかなり書き換えた。
つまり、話の流れがすっと流れてない。澱んでるところがある。
間部詮房の生い立ちを説明しているところなんかが澱んでる。
つまり昔自分で書いててあまり乗り気でなかったところなんだな。
そゆところをちまちま直している。

すみませんがそんなもんだと思ってください。

西田詮房、十八で百五十俵の小姓となり、間鍋と改め、のちにさらに間部と変えている。
百五十俵はそれなりの御家人なのでたぶん親が死んだか隠居して相続したんだと思うが、
親は西田清貞は甲府藩士で小十人組格とあるから、
推測するにやはり百五十俵十人扶持くらいであったろう。
小十人組頭というのはたぶん下っ端が十人いる中間管理職、みたいなもんだ。
間鍋氏と西田氏。
どちらかが甲府藩士の家柄で、もう片方は浪人か何かで猿楽師もやっていたはずだ。
ま、猿楽師はたぶん西田だろう。
それをいやがって詮房は間鍋に変えた。
間鍋を間部にしたのはおそらく鍋松(徳川家継の幼名)と字がかぶっているせいだと思う。
鍋松は実は詮房がお喜代に産ませた子ではないかという話がここから出てくるのだが、
まあ疑えばきりがないが、どうだろうかね。
そういう話にしてしまうこともできなくはない。
調べ出すときりがない。

でまあ思うにね。
この五年間ほど作家のようなことをやってみたわけだ。
昔のコネを使って紙の本も出させてもらった。
ずいぶん出版業界にも詳しくなった。昔は素人同然だったわけだから。
で、読もうと身構えている人、
探している人はもうほとんど読んでくれたんじゃないかと思う。
私の書いたものを読む読者ってのはそんなにたくさんいない。
そっからさきにはなかなか広がらない。
たとえば、NHKの大河ドラマで主人公が新井白石か、間部詮房かとか、
まあ地味だからやる可能性は低いわな、
でもそんなことがあって、KDPで新井白石書いてるやつがいるっていうんで、
読まれる。読んでみたらなんか普通じゃない切り口でいろんなこと書いてあるってんで話題になる、なんてことはおきるかもしれん。
そういういつ当たるかしれない仕掛けをできるだけいっぱいしかけておく。
そういうやり方しかもう残ってない気がする。
様子見ですよ。

ミステリーでも書いてみようかと思った。
警視庁捜査一課の女性刑事なんかを主人公にしようかとか。
でもまあ、調べてて、私は警察組織になんの興味もないし、
私より警察詳しい人とかいくらでもいるし、
殺人とか詐欺とかやくざとか性犯罪とかそんなものを扱う仕事なんて自分から関わろうなんて全然思ってなくて、書いてて気持ち悪いってことがわかって、やっぱ書くのやめた、ってことになる。
同じように、ラノベとか動物ものとか青春ものとか、或いは漫画とか、売れ筋のもの書いて注目集めて、それで自分の好きなジャンルに誘導するって手も考えたが、めんどくさいなやっぱり歴史物だけ買いてようってところに落ち着いてしまう。
まあ、なんか面白いネタを思いついたらともかく今後も書かないだろうなと思う。

「エウメネス1」を読んだ知人から「砂漠のような風景しか思い描けなかったのが残念でした」というようなことを言われたのだが、
サンテグジュペリの「星の王子様」「人間の土地」なんかをオマージュにして、
砂漠を体験したことのないわたしが、必死にリアルな砂漠を表現してみたんですよ!
それがあの「ゲドロシア紀行」なんです。
喜んでよいのか悪いのか悩んだ。
まあ彼はこんなところ読まないだろうとたかをくくってこそっと書いてみる。
「エウメネス1」はギリシャ感が乏しくてインドとか砂漠ばっかりで、
だからこそアレクサンドロス大王のアナバシス(遠征記)なわけだが、
ギリシャの話が読みたかった人には肩すかしだろうと思う。
「エウメネス2」と「エウメネス3」ではギリシャっぽさを大サービスしたつもりだが、
それでもまあ、ほとんどの舞台はギリシャの外なんで、
だからアレクサンドロス大王はギリシャ以外の土地で活躍した人なんだから仕方ないんだけど、
たぶん読んでいる人は釈然としてないんだろうなって思っている。
ていうかアレクサンドロス大王がいまいち人気がないのは、
ギリシャムードに乏しいからなんだよな、ギリシャ世界にどっぷり浸ることができないの。
そりゃそうだよ。アレクサンドロスなんだから!
アレクサンドロスはむしろイスラム世界でイスカンダルとか呼ばれて超人気が高い。
完全にアジアの王なんだよな、アレクサンドロスは。
そこんところが西欧史観に毒された日本人にはわからんのですよ!

「エウメネス4」はたぶんスパルタがメガロポリスで敗北する話をメインに、
オリュンピアスとエウメネスが初めて出会う話をサブに書くことにしたいなとか、
エウメネスとアルトニスが再会してなんか痴話げんかでもやらせるかなとか、
思っている。
しかしそれと同時並行でガウガメラの戦いがあるわけで、
ガウガメラを「エウメネス5」にもっていきたい。
そしてその続きはいよいよソグド。
ラオクスナカ、アマストリー、ヴァクシュヴァダルヴァ、アパマの話にいける。
それが「エウメネス6」になり、やっと「エウメネス1」につながる。
この辺まででたぶん1000枚は超える。超大作。

で、スーサに戻って来たあと、ハルパロスとのすったもんだがある。
アレクサンドロス大王死ぬ。
まあ、私としてはここらへんで終わりにしたい気持ちで一杯です。

ディアドコイ戦争始まってエウメネスやアマストリーが死ぬまで。
ちょっとそこまで書いてたらどんだけ長編になるのか想像もつかない。

イソクラテス弁論集

この解説がいきなり「カイロネイアの敗報」から始まっているのだが、
私は暫くこの文章をイソクラテスが書いたのかと思って読んでしまったのが、
なんだかおかしい。
あきらかにおかしい。
読み返してみたら解説が始まっていたのだけど、
イソクラテスがデモステネスを褒めるはずがない。

> デモステネスの演説がもつ決断の力強い表現は、都市国家が最後に放った閃光であり、ギリシャの弁論術の最高の達成である。

などというはずがない。
イソクラテスはデモステネスに対して真逆の評価をしていたのに違いないのである。

私に言わせればデモステネスはただのバカだ。

カイロネイアの戦いが終わって酒に酔ったフィリッポス2世がデモステネスの決議文を韻文にして吟じたなどというのは、これも誰が言ったかわからない俗説だし(フィリッポスはデモステネスを嫌っていたが、そこまでするとは思えない)、
イソクラテスがカイロネイアの敗報を聞いて断食して死んだというのも後世の俗説である(イソクラテスがそんな馬鹿なことをするはずがない。イソクラテスの死とカイロネイアの戦いがどちらが先かは不明)。
むろんそういう俗説もあると参考までに取り上げるのはかまわないが、
いきなり解説の冒頭にもってくるとはどういうことか。
ミスリーディングだろ?

この、「イソクラテス弁論集」という極めてマイナーな本を読もうという人は、
ソクラテス、プラトン、アリストテレス、或いはデモステネスと続いた正統派の古典ギリシャ哲学に、多少の疑問をもち、イソクラテスに同情的な人ではなかろうか。
フィリッポスと同時代で、彼の理解者であったイソクラテスの生の声を聞きたくてこの本を読むのではなかろうか。
この本の解説はその期待を完全に裏切る。
この本をさらに読む気が失せるほどに。
この本の著者は、単に学術業績のために、
ペルセウスの英文をたまたま翻訳しただけなのではなかろうか?
イソクラテスに対する「愛」は持ち合わせてないのだろう。

少なくとも、イソクラテスの本なのだからイソクラテスのことを、
客観的に、中立公平に、学術的に論じてほしい。
そして単に今日定説となっていることを羅列して解説とするのではなく、
イソクラテスという人の意義を掘り下げてみせてほしい。
でなければ解説など邪魔だ。

それから、「平和について」と題するイソクラテスの演説も、
これはデモステネスのような主戦論者に反対して言っているのだ、
マケドニアと争うな、テーバイと同盟してマケドニアと戦争するなど大きな間違いだと。
そしてこれは大国ペルシャに対して言っているのでないことも他の演説によってわかる。
ペルシャの脅威に対してはギリシャ人全体の問題として、一致団結して、
適切に対処しろと言っているのだから。
そりゃそうだ。
スパルタ、テーバイ、アテナイ、マケドニア、ギリシャ人が内輪もめしてる場合じゃないよと。
さっさとギリシャ諸ポリスはマケドニアを盟主と認めて外敵ペルシャに対抗しろ。
イソクラテスはそう言っているのだから。

月報の論評は日本の「平和憲法」や「九条」と絡めて話してしまっている。
おかしな左翼思想を持ち込むなよ。
そういうコンテクストで戦争を放棄しろ、平和条約を結べ、などと言っているわけではない。
読めば明らかではないか。

ともかくイソクラテスファン(そんな人がいるかは知らぬが)が読んだら、腹を立てるに違いない。しかしおそらくそんな人は今のギリシャ哲学研究者にはいないのだろう。

それはそうとイソクラテスがスパルタという「王国」を褒めているのは面白い。
結局マケドニアはスパルタと最終的に雌雄を決することになったのだが。
まあ、マケドニアが好きなイソクラテスが同じ王国のスパルタを好きなだけかもしれないが。
そんな彼がアテナイの敗戦を悲しんで断食して死ぬはずない。

アリストテレス

アリストテレスなのだが、
生まれ故郷のスタゲイラはともかくとして、
アタルネウス、ミュティレネ、ペッラ、アテナイなど、
マケドニアにとって重要な拠点にばかり住んでいる。
これは単なる偶然ではない。
アリストテレスはフィリッポス2世とアレクサンドロス大王のエージェントであった可能性が高い。
転居したというよりは、これらの拠点を往還していたのだろうと思う。
王太子時代のアレクサンドロスの家庭教師というのは形式的な肩書きだっただろうと考えられる。

アリストテレスはアタルネウスの僭主エウブロス、ヘルミアスの系統の人で、
ヘルミアスが死んだあとに彼の後継者になったと考えられる。
エウブロスはおそらくアルタバゾスやメントルらと同じ世界の人で、
フリュギア・ヘレスポントス地方の船主で金貸し。
ヘルミアスはエウブロスの奴隷だったが、エウブロスの死後彼のシマを引き継いだと考えられる。
そしてアリストテレスはヘルミアスの婿養子になってアタルネウスに住んだ。

アリストテレス Ἀριστοτέλης は αριστευς (best, noblest) と τέληεις (perfect, complete)
の合成語であり、この当時こんな名前の人はいない。
ソクラテスとかプラトンなどは、まあ当時の普通の人名だが、アリストテレスは後世付けられたあだ名、
というよりは弟子たちが呼んだ美称だろう。
日本語なら「尊師」とでも言うところだ。
アリストテレスが生前この名で呼ばれていた可能性はほとんどないと思う。
後世アリストテレスにあやかって彼の名を名乗った人ならいるようだ。

ウィキペディアなどでは、τέληεις ではなくて τελος (purpose) だとしているのだが、
この二つの単語は明らかに同語源であって、しかも
Oxford Classical Greek Dictionary には purpose などという訳は挙げてない。

アリストテレスの本名だが、
彼の父と息子がニコマコスという名なので、彼自身もニコマコスという名であった可能性が大である。
そうすると『ニコマコス倫理学』は、アリストテレスの息子が編集したものだというのだが、
これこそはまず間違いなくアリストテレス自身の学問を記したものと言えるだろう。

アリストテレスがかくまで崇拝されているのは、
彼がフィリッポス2世やアレクサンドロスのもとで何か顕著な(しかし世には知られていない)功績があったからだろう。
かつ、アリストテレスがアレクサンドロスの教師であったことから、のちに、
ヘレニズム世界の百科事典が編纂されたときに、それを無造作にアリストテレス全集と名付けた。
後世の学者たちはこの全集をアリストテレス自身が全部書いたんだと信じた(というより、
「最高完璧全集」というタイトルが先にあり、最高完璧(アリストテレス)という名前の人が書いたんだと勘違いしたのかも)。

それでまあ、フィリッポス2世とヘルミアスは同盟関係にあって、
ヘルミアスはペルシャのギリシャ人傭兵隊長メントルの謀略によって捕らえられて死んだ。
アリストテレスはメントルとフィリッポスの間のエージェントだったと思われる。
アカデメイアに遊学したのはヘルミアスのおかげだろう。
ヘルミアスの死後、アタルネウスは放棄されて、アリストテレスはミュティレネに移り、
さらにマケドニアの首都ペッラに移り、アレクサンドロスが即位するとアテナイのリュケイオンに移っている。

アリストテレスの学問上の功績はないとは言えないが、
すべてはアレクサンドロスが死んだ後に作られたものだ。
つまり、世に言うように、
アリストテレスの教えによってアレクサンドロスがギリシャを統一しペルシャを征服して大王となったのではなく、
アレクサンドロス大王がヘレニズム世界を統一したことによって、
ギリシャ人によるペルシャ学の編纂事業が成り、
かつ大王の権威を借りてアリストテレスという大哲学者の偶像が作られたのである。

状況証拠的には、どう考えてもそういうふうにしかならない。
なぜこういう学説が主流にならないのか不思議だが、
西洋の学問の源泉が中世のキリスト教神学にあり、
その神学がアリストテレスの名を冠したヘレニズム哲学に呪縛されているからだろう。