まあ、旅券法と国籍法は、マスコミも芸能界も政界も真っ黒なんだろうな。

マイナンバー制度がここまで遅れたわけだよ。

グレーゾーン金利と同じで、いままでグレーで済ませてきた部分が、
マイナンバーのおかげでそうはいかなくなる。
広域暴力団指定でやくざが締め上げられているのと同じだよな。
世の名はだんだん変わっていくんだよ。
昔は許されていたではすまされない。
パチンコもそろそろだろうな。

百済人と冬嗣

おそらく百済人が天皇の国母となったことが主因となり、
多くの氏族が桓武に女御を入内させた。
同時にこの時期、藤原氏は天然痘の流行などの諸原因で奮わなかった。
桓武天皇で、天皇家は生物学的に多様化し、変質した。
外戚や摂関政治とは別の、大陸的な王朝が、
桓武天皇から始まる可能性があった。
しかし藤原氏に冬嗣が出て、皇位継承は再び、
飛鳥奈良時代のように、特定少数の外戚によって支配されるようになって、
良房以後道長までで摂関政治が完成する。

それで百済人や藤原氏以外の氏族が衰退していった理由は、
帰化が進んだためと、藤原氏が巻き返したからに違いないのだが、
ではなぜ藤原氏は、冬嗣は巻き返せたかというと、
冬嗣の母が百済人であったために、百済勢力は藤原氏の冬嗣と合体して、
言わば藤原氏の一氏族と百済人がハイブリッド化して、
摂家というものを作り出したのではなかろうか。
百済人は歴史から姿を消したように見えて、
実は外戚が藤原氏に収束する助けをし、
日本の上流社会に生き延びたのである。
高度な文化を持っていた渡来人だからこそできたことかもしれない。
彼らは日本に産業を興し、文明を発展させた。
藤原氏にしばしば見られるある種強引な政治駆け引きも、
実は大陸的政争のやり方がもたらされたものかもしれない。
と、考えると、やはり桓武天皇時代の外来文化の影響というのは、
今考えられている以上に大きかったと言わねばならないのではないか。
もし百済人(藤原氏)の影響がなければ、
しばらくの間、天武系と天智系の間で繰り広げられたような、
古い形の皇位継承争いが続いていたかもしれない。

摂家の異常な横暴さの理由はそのあたりにあるのかもしれない。

桓武天皇以来多くの皇子は百済系だった。
彼らは隠然とした摂家支持者だったかもしれない。
遍昭も良岑氏なので百済系。
源光(光る源氏?)も百済系。

冬嗣の父は藤原内麻呂、
母は河内系渡来人の飛鳥部奈止麻呂の娘・百済永継。

永継は冬嗣を産んだあと桓武天皇の愛人となって桓武良岑氏を産む。

桓武天皇と藤原内麻呂の関係が極めて良好であり、
かつその仲介役として百済人がいた。

紀名虎という人がいた。
彼は仁明天皇に娘種子を、
文徳天皇に静子を入内させた。
名虎は紀氏中興の祖であったが、
結局冬嗣・良房親子に負けた。
名虎の子・有常は急速に没落していき、
貫之や友則の時代の紀氏は、
藤原摂家にあごで使われる中流公家になってしまった。

紀氏には紀氏の文化があった。日本古来から続く文芸文化が。
しかし冬嗣にはその要素が乏しい。半分は大陸文化なのだから。
紀氏と在原氏が非常に接近した時代があった。その接点が有常だった。
紀氏、在原氏の他に奈良時代の文化を継承したのは、小野氏くらいか。
小野氏には篁と小町くらいしかいない。それ以外は忘れられてしまった。

伊勢物語や竹取物語、歌合などの過去との連続性を保った文化は、
紀有常というボトルネックを経て後世に伝承されたのに違いない。
有常の後継者として待ち構えていたのが貫之であった。

若い頃は、ていうか、30歳くらいだと、
まだ自分が何者かわかってないしこれからどうなるか予測がつかない。
50過ぎた今からみると、30のときにすべてがもう決まってた気もする。

ホルモンか何かのせいだと思うが30歳くらいまではとにかく何かになろうってのめりこめる。
自分がアクション映画の中にいるひとみたいに思える。

しかし50過ぎると、持病は抱え込むし、体力は落ちるし、酒を飲めば疲れるし、
いろんなしがらみで身動きとれないし、
どうやれば失敗するかわかってるから、行動範囲も狭くなるし、
どっか転居したり転勤したりもできなくなるからだいたいもう日常がわかりきってしまうし、
少し食べ過ぎるとすぐ太るし。

とにかく自分という体が動かない。思うように動かせない。
30歳の頃は400ccのバイクを5速で飛ばしてたようなもんで、
今は50ccのバイクを2速くらいでちんたらはしってる感じ。

定年まであと15年もあるかと思うと絶望する。

なんかもう蓮舫の顔をみたくないのだが facebook にどんどん流れてくるので困ってしまう。
記事は読んでもいいが蓮舫の写真が流れてこないようにできないのだろうか。

蓮舫についてケント・ギルバートがもごもごっと擁護するような発言をしたのは、
小野田紀美の件を知っていたからなんだろうな。

で、蓮舫は国会議員なんで、法務省とか警察とか検察が動くということはまあおかしいわけよね。
国会議員は国民の代表として選ばれているわけだから。
役人は基本的に国会議員には楯突かないでしょ。
議員は親分、役人は子分の関係なのだから。

田中角栄の時は異常だったけどねえ。

最悪、二重国籍でも、税務署がきちんと収入把握してて、出入国管理もきちんとしてりゃまあいいとして、
そこがぐだぐだ、というか説明できないんじゃアウトだよな。
マイナンバーはやはり必要なんだよ。

政治家なんて信用できないから、法律とか、マイナンバーなんかの制度が必要になってくる。
国籍法にしても同じ。
皇室典範でも憲法でも同じ。
そこである程度、おかしなことをしようというやつは振り落とされる。

ミステリーものは読者が多いというので、今回マリナを書いてみたのだが、
まあ、マリナはいきなり人が死んだりするわけじゃないんで、そんなにミステリーでもサスペンスでもないんだけど、
それで気付いたのは、
なるほどそのジャンルにはそこそこ読者がいて、読んでくれるのだが、
その読者というのも限られていて、
kindle で unlimited で読んでて刑事ものが好きで、
少し官能小説系なやつ(マリナは官能小説じゃないけどねっ)が好きな人の数というのは限られているのだ。
で、ある程度読まれるともう読まれなくなってしまう。
そこでおわり。

で、今の世の中、一番魚影が濃い漁場というのは、村上春樹や三浦しをんみたいな、
もやっとした小説を読む人たちであり、そこからラノベやBLなんかが派生してきているのを感じる。
読者を獲得しようと思えばそういう漁場にどんどんコマセをまいて釣り糸垂れるのが一番効率よく、
またもともと自分が村上春樹や三浦しをんのファンであれば、そういうふうにして小説を書き、営業するのは全然間違ってないと思う。
最近は村上春樹の影響力の大きさがなんか実感できてきた。
村上春樹は読まないんでよくわからないが、リバースエンジニアリング的に村上春樹という人が実感できてきた気がする。

でまあ、私は、村上春樹や三浦しをんみたいな小説を敢えて書かない人なんで、
読者がいるわきゃない。
しかし古代ギリシャものが好きな人というのは一定割合いて、
そういう人はほぼ確実にヒストリエを読んでいて、
その読者の一部が私のエウメネスを読んでくれていて、
だからエウメネスはときどき思い出したようにだれかが読んでくれる。

そうしてさらにその中のごく一部の人が私のほかの小説も読んでくれるという仕組み。

小説の作品数は多けりゃ多いほど良いように思う。
やっぱ新作は書かなきゃいけないわけよね、コンスタントに。

私が書いたもののなかでよく読まれているものとまったく読まれてないものの差は自分ではないのだが、
読者にはあるわけなのだ。
読まれない作品というのは、要するに、社会との接点がない作品だ。
世の中で読まれている特定のジャンルと関係ない孤立した作品。
他人と違うものを書きたいと思っている私にはかなりこれがこたえる。
今までになかった新しいものを書くのが novel だと思って書いても読まれはしない。
今までにあるものを少しひねった作品がどんどん読まれるのがつらい。

そんで30代の頃は毎日夕方に酒を飲めば発散できたのだが、
今はそれがうまくできない。体力が落ちたせいだろうと思う。
そうすると人間関係も希薄になっていく。
人間関係自体以前は未知な部分が多かったが経験が増えるにつれてこれ以上どうにも発展しないってことがわかってくる。
あちこち旅行もしたから最近はおもしろみもすくない。
小説もいろいろ書いてみて書いてもどうせ読まれないってことがわかってきたし、
仕事もこれ以上どうにもならないし、
健康状態はこれからどんどん悪くなるし、
急に大金持ちにでもならない限りこのさき面白いことなんかありゃしないってことがわかってくる。
執筆活動にのめり込んだりして現実逃避しても限度がある。

酒というものが持ってる魔法の力を使いすぎたかもしれない。

まあ、完全に煮詰まってるよな。

wolfenstein: the new order 買ったが全然面白くてやる気がおきない。
call of duty 4 みたいな、ミッションインポッシブルをゲームにしたみたいな、
イベントドリブンでチェックポイント制の展開になっててなえる。
fallout とは全然違う。つまらん。

賊軍の合祀

10月13日の産経新聞に全面広告の意見広告が載っていた。

> ご存知ですか?

> 靖国神社に祀られているのは官軍のみで、賊軍と称された方々が祀られていないことを・・・

これは10月4日の
[靖国神社150周年 西郷隆盛や幕府軍の合祀計画が急浮上](http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161004-00000010-pseven-soci)
という記事、
10月12日のNHK報道
[「西郷隆盛や白虎隊も靖国神社に合祀を」亀井氏ら](http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161012/k10010727511000.html)
と関連するものであろう。

西郷隆盛、白虎隊、新撰組、江藤新平らは、靖国神社には祀られていない。
ただし靖国神社の同じ境内の中にある、鎮霊社には祀られている。

私は、靖国神社の合祀者を増やすのは反対だ。
そういうことを言い出すと、
東京裁判で有罪判決を受けて死んだ政治家(軍属ではない)や、
民間人の挺身隊なども合祀し、
戦争に巻き込まれて死んだ、東京空襲の死者や原爆被害者などみな合祀しようという話になり、
さらには日本国民全員が靖国神社の氏子であるなどと解釈する者が出てくる。
それは明らかに昭和天皇が望まなかったことだ。
昭和天皇によれば明治天皇も、民間人を合祀することには反対であった。

亀井静香が言う、

> 靖国神社は日本人の心のふるさとのような所だ。この問題には、右も左もなく、国民の中にも理解が広がっていってる

というような、軍人と民間人を際限なく混同するような思想は間違っていると思う。

もし必要ならば、鎮霊社の扱いをもっと大きく丁重にすれば良い。
原則を変更すべきではない。

cf. [靖国神社合祀](/?p=16623)、[御衣黄](/?p=5747)。