某G社だが、普通の作家の本も出しているが自費出版に力を入れている。
普通の作家の普通の作品は呼び水だとみて良い。
で、G社が某タレント本をだしたが、その作家は自費で1万部買い取って自分で売ったという。
で、そのやり方をもてはやしているメディアもあるのだが、

これでG社としてみたら、自費出版して1万部も買い取ってもらえれば大喜びなわけである。

で、タレントも一種の炎上商法を兼ねている。
だいたいタレント本ほどどのくらい売れるか読みやすい本はあるまい。
普通に売るよりも、すこし話題性を持たせる広報をうっただけだろ。

どうみても100%やらせとしか思えない事例だ。

kindle のプライスマッチだが、
2016年以降でも、
してもらえなかったとか、途中で切られたという人もいて、だんだん不安になってくる。
で、そういう人の作品を kobo や bw で探してみるとすでにもう存在しないようだ。
いったいどうなってるのだろうか。

私はだいぶ精神的にうたれ弱くなった。
酔っ払って変な歌をtwitterで呟き始めた頃からもうダメだったのだが、
ますますダメになっていく。
昔から他人とのもめ事はあったのだ。
しかし今は、人に責められたり、人に怒られたりすることに耐えられなくなった。
人は怒ったり怒られたりして生きていくものだろう。
それを平気でいられなくなったら、他人との交流を極限まで切断して生きていくしかない。

責められたり怒られたり、それがたまりにたまって、ある限度を超えてしまい、
それ以上責められることに耐えられなくなるのだと思う。
つまり、人に責められることに、アレルギー反応を起こしているのだと思う。
一度アレルギーを発症するともうダメだ。どんなささいなことでも気にしてしまう。

私の場合そういうことが多い。
犬がうるさいと感じるようになったのも、ある一線を超えてからだ。それまでは別にどうということもなかった。
タバコも似たようなものかもしれない。

僭主と王

僭主(τυραννος)と王(βασιλεύς)の違いはなんだろうかということをずっと考えていた。

Wikipedia の「僭主」を読んでもよくわからないと思う。
英語由来のタイラントだともっとわからない。タイラントには「暴君」という意味しかない。
これは一般化するよりは、古代ギリシャ世界における特有の呼び分け方だと思ったほうが理解しやすいと思う。

王というのは、血縁と地縁があって、その族長がなるものである。
だから王には血統があって、血筋というものが重視され、才能などはまあどちらでもよいということになる。
族長というものはどんな原始社会にもある。
王は、歴史に残らぬ古代から現代までずっとある君主の形態である。
人の集団は多かれ少なかれ、地縁と血縁、宗教や習俗でできているからであり、それは昔も今も大差ない。

これに対して、僭主はある程度文明が発達した社会にしか生まれ得ないはずである。

たとえば、地縁や血縁が強固なスパルタには僭主は生まれ得ない。王しかうまれない。

いっぽうアテナイやテーバイなどでは、無産階級が生まれ、奴隷や富豪などさまざまな、
地縁とも血縁とも関係のない市民がいた。
同じことはペルシャでもいえるのだが、
ペルシャのような巨大な国では皇帝独裁というものが発達した。
アテナイのようなミニチュアのような国では逆に、市民全員が政治に口出しする直接民主制というものが生まれた。

アテナイでもペルシャでも、一代で財をなしたり、あるいは領主となったり、
あるいは領地を相続したり、あるいは武力にうったえて政治権力をもったり、
戦争に功績があった将軍が民衆の支持を得て独裁を行ったり、
そういう形で僭主が生まれることがあるわけだ。

アテナイでは直接民主制もしくは貴族による寡占政治から逸脱した状態として、僭主が嫌われた。

しかし、ペルシャのように、大昔に支配者と被支配者が完全に分離した社会では、
ある日突然、一般人が領主になることがある。
それは婚姻によるものであったり、
跡取りがない領主が親しい奴隷に領地を相続させたりする。
宮廷の官僚や宦官などが王位を簒奪して領主になることもある。

アテナイではペイシストラトスとかテミストクレスが僭主と呼ばれる。
ペイシストラトスは貴族の親玉だった。無産階級をたくさん雇って農地や鉱山を開発させて一代で巨富を得た。
テミストクレスは戦争の英雄だった。サラミスの海戦でペルシャ艦隊を覆滅させた。
どちらも大衆を扇動して権力を独裁しようとしていると疑われたわけだ。

だけど、同じギリシャ人のポリスでもシチリアあたりだと全然違う。
どちらかといえばペルシャ世界と近い。

ギリシャ本土以外では、領主が血縁以外で継承すると僭主と言われる。
娘婿でもたぶん僭主扱い。
ただそれだけだ。

アテナイでは血縁や地縁が薄れてきたので、王政が貴族政に移行したのだろう。
直接民主制に移行したのは直接的にはペリクレスのせいだが、
狭いポリスで、アゴラに無産市民が集まって好き勝手いう環境が民主制というものを生み出したのだ。
でも同じギリシャ人でも、スパルタではそうはならなかった。
無産市民が発生せず、市民はみな農村にはなればなれで暮らしていたせいだろう。

電子出版無料販売

kwl (kobo writing life) も bwi (book walker) も無料販売はじまった。年末年始はさんだせいで時間かかった。bwi では『妻が僕を選んだ理由』のジャンルが「画集」になっていたため(つまりジャンル指定を忘れたため)、出版できなかった。ジャンル変更して再出版となったが、1週間延びてしまった。なんか変更すると基本1週間延ばしになる。kdp (kindle direct publishing) はジャンルが結構いい加減であとから直してもらったりするのだが、bwi は出版拒否の理由になるとか、なんかなあ。

kdp だと修正して 12時間ぐらいで新しい版を出版できて、年末年始も特に変わりない。アップし損ねたり設定間違っててもすぐリカバーできる。kdp がいかに便利か痛感した。まあ、kwl も bwi も頑張ってるんだろうが。サポート態勢が全然違う。どうも怖くて kwl と bwi は修正できないよ。当面、kdp だけ常に最新版にしとく。

これで kdp でプライスマッチして無料になってくれれば、とりあえずOK。もう無料はとうぶんこの2冊だけでいい。

そんでまあ、『西京極家の秘仏』の続編を書こうかと思っているんですよ。しかも同時に『潜入捜査官マリナ』の続編にもなっている。よくあるパターンだよね。キャラとストーリー使い回すやつ。続編だから読者を誘導しやすいというのがあるし、キャラを一から説明しなくて済むから楽。同じワールドでどんどん続編を量産する。そしてとにかくひたすら読みやすく読まれやすく書く。ストーリーはだいたい決まってる。秘仏は実は贋作でしかも密輸入されたものだった。万世警察署に配属されたマリナは神保町の榎本書舗に聞き込みに訪れる、というものだ。ベタだなあ。我ながらベタだとおもうよ。でもべたべたくらいがちょうど良いんじゃないかな。

その代わりといってはなんだが『エウメネス』シリーズはどんどん難しくしていこうとおもっている。
もともと難しいんだけどね。こっちはとにかくたくさん知識を詰め込むのが快感な人向けに書く。ハルパロスを動かすのがおもしろかったので、それを今度はアリストテレスかディオゲネスでやってみようと思う。オリュンピアスとアルトニスもぐりぐりいじる。しかしそれには準備が必要だ。

東ローマの後裔

東ローマ帝国が滅びる直前一番近かったのはキエフ公国だった。血筋が一番近いのはグルジアとかアルメニアだったかもしれないが、
近隣諸国で一番でかいのはキエフだったし、
その後継のハールィチ・ヴォルィーニ公国とかモスクワ公国とか。
ともかく東ローマが滅んだ後にその血統と文化を継承したのは、いまおおざっぱにいうところのロシアの中にみんな入ってる。
なんでそうなったかといえば、キリスト教がカトリックとギリシャ正教に分かれたせいで、
両者の間ではほとんど通婚がなかったわけだ。
西ヨーロッパは、のちに宗教改革があるけど、要するに、王侯はみんな親戚どうしだから、
いざとなれば外敵には団結してあたるけど、
東ローマは血縁関係が薄いから見捨てられてしまった。
おなじようにギリシャも。

だけどまあ、近代になって、西ヨーロッパが対外進出し始めると、
一度は見捨てて見殺しにしたギリシャ世界、というか、ヘレニズム世界に食指を伸ばし始める。
オックスフォード辺りの学者が一生懸命ギリシャ語の勉強をやる。
その背景にはやはり、新約聖書がもともとはギリシャ語で書かれていたからでもある。

それで東ローマが滅んで400年近くたってから、
やっぱギリシャは俺等のもんなんじゃね、という機運が西ヨーロッパで盛んになる。
イギリス人もドイツ人も夢中になる。
一方、ロシアを含めたギリシャ正教の国々は旧態依然としてたわけよね。
というより、ロシアもペテルブルクなんか作ってドイツとかの西ヨーロッパの文化文明に憧れて、
もうギリシャとかどうでも良いと思ってた。

まあそれが今ちょっと話題になってる「社会問題」化しちゃったわけで、
ヨーロッパの若者がフィーバーして、ギリシャ独立戦争とかにつながる。
ギリシャは最初独立して王国になったが、その王様がなんとバイエルン王国の王子。
その理由が、東ローマ皇帝の血を引いているからってものなんだが、ものすごいこじつけだ。
ドイツ人のヘルダーリンも『ヒュペーリオン』とかいうおかしな小説書くし。
ゲーテもヨハンナ・シュピリもギリシャ大好きだった。
冷静に観察するとかなり頭おかしい。
しかも頭おかしいってことに自覚症状が無い。
自分たちがギリシャ人の子孫だって本気でおもってる。
ギリシャ人の子孫は今のトルコ人だよな。明らかに。
ついでにイタリアもオーストリアもイギリスもフランスもロシアもどんどんオスマントルコに進出して、
領土を切りとりはじめた。

でまあ、オックスフォードで始まった古代ギリシャ研究というのはすごいものではあるのだが、
もともとはなんの根っこもないもので、
特に初期の研究はけっこうおかしなものもあり、
それをいままじめな学者は一生懸命修正しようとしているのだが、
いったん定着したステレオタイプはなかなか消せない。
キリスト教とか19世紀のヨーロッパの哲学なんかとすごく深い教義の部分で絡み合ってしまっているので、
分離できなくなっている。

で、日本なんかはただのヨーロッパの受け売りだから、よけい始末に負えない状態に今ある。