亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for 2月, 2018

02.25.2018 · Posted in 雑感

ネクタイとシャツとジャケットがみな派手だとチンドン屋かテレビの司会者みたいになってしまう。 どれか二つは地味にして一つだけ派手にするくらいがちょうど良いかもしれん。 二つ派手にするとその二つが競合してうるさいと感じる人もいるようだ。 もう一つ、カフスボタンとかネクタイピンという要素もある。これらを派手にする場合も、他を地味にする必要があると思う。

まさに、いまさら聞けないカフスボタンの付け方。これ間違えると恥かくよな。子供の頃から一応教えておくべきではないか。

急にネクタイを締めても似合わないから、ふだんからちょこちょこ着ておいて知り合いに指摘してもらうのが良いと思う。

コメントを受け付けていません。

02.25.2018 · Posted in 雑感

連載記事を書いているのだが、だいたい1回分を4500字くらいで書いている。 4000字くらいで書こうと思うと、伸びたり縮んだりして、3500字とか5500字くらいになる。 だいたいは伸びるので、後半は後回しにして前半を膨らませたりして長さを調節するのだが、これが難しい。 伸ばしたり縮めたり足したりしているうちに、これ別にいらんなとか、これはもっと書きたいとか、どんどん文章が変わっていく。 結果的に良い方向に推敲して密度を高くできていると思うので、それはいいんだけど、2回先、3回先くらいまでは少なくとも先読みして書かなくてはならんので、割と気を使う。 紙に刷ってしまうともう書き換えできないしね。 一定間隔に電車を走らせるような感覚に近いかもしれん。

コメントを受け付けていません。

02.22.2018 · Posted in 雑感

続き。この池田雅延氏の話を聞いていると、小林秀雄の『本居宣長』は、連載途中はほんとうに面白くなかった可能性もあるよなと思えてきた。 小林秀雄自身も自分の書いたものが面白くないってことは自覚していたのだ。 だから64回1500枚、ものすごくだらだらと書いたものを、編集者に読ませて、わかりにくいところは徹底的に質問させて、徹底的に書き直して、 1000枚に縮めた。 「君が読めなくては、読者は誰も読めないのだから」というのはまさに言葉通りの意味だったのではないか。 読めない、面白くないということは、小林秀雄が、白洲正子以下、いろんな人に言われてきたことなのだ。 1000枚というのはつまり40万字だ。1500枚は60万字だ。20万字を捨てたのだ。 そのこと自体物書きにしてみたら大したことではないのだけど、まあ、ものすごく書き直したということだ。

コメントを受け付けていません。

02.21.2018 · Posted in 雑感

池田雅延氏 小林秀雄を語る。 リンク先のMP3ファイルはもう落とせなくなっている。 自分のPCの中に残っていたものを改めて聞いてみた。

小林秀雄の芸

57:00 あたり、「美しい花がある、花の美しさがあるのではない」という陶然とするような言葉に、読者は酔って、小林秀雄についてきたのだけど、 こういう言葉はしょせんは「読者に読んでもらおうという一心で書いた工夫」に過ぎないという。 読者サービスであってその言い回しそのものには大して意味はないのだ。

となれば白洲正子などはその読者サービスの文句ばかりを拾い読みして、読んだ後にそれらの狂言綺語を覚えているだけで、小林秀雄が言いたかったことは何もわかっていなかったということではなかろうか。 小林秀雄は『本居宣長』を書くときにはとにかくもう宣長を精しく解き究めることに夢中で読者サービスを忘れた。 というより、もう晩年で、読者も獲得済みだったから、とにかく宣長を書くことで精一杯だった。 だから白洲正子が『本居宣長』を読むと、小林秀雄の言葉が並んでいるのはわかるが、ただの作文に過ぎず、読み終わると何が書いてあるのか全部忘れてしまう、ということになるのだろう。

小林秀雄は批評家と言われ、評論家と言われるが、彼の文章は言わば「芸」であったから、美術館の中でまだ誰の作品とも知れない絵を前にして、

熟れきった麦は、金か硫黄の線條のように地面いっぱい突き刺さり、それが傷口の様に稲妻形に裂けて、青磁色の草の縁に縁どられた小道の泥が、イングリッシュ・レッドというのか知らん、牛肉色に剥き出ている。空は紺青だが、嵐を孕んで、落ちたら最後助からぬ強風に高鳴る海原の様だ。全管弦楽が鳴るかと思へば、突然、休止符が来て、烏の群れが音もなく舞っており、旧約聖書の登場人物めいた影が、今、麦の穂の向うに消えた。

などという体験をして、それを回想する形でゴッホの評論に書いている。 「旧約聖書の登場人物めいた影が、今、麦の穂の向うに消えた。」というのは小林秀雄の主観以外の何物でもないわけで、 「旧約聖書の登場人物めいた影」などというものをゴッホは自分の絵の中に描いてはいないのである。

『本居宣長』も、小林秀雄は宣長を批評しようと書いているよりは、彼の作品を鑑賞して、それを自分の文章という「芸」で著そうとしているのだから、 普通の人が書く本居宣長論と違ってくるのは当然なわけだ。

小林秀雄はさきに『実朝』『西行』を書いているから歌論というものが一応書ける人なわけだ。その延長線上で『宣長』を書いているから『宣長』が書けたのだと思う。

コメントを受け付けていません。

花月草紙

02.21.2018 · Posted in 読書

花月草紙 p.191

松平定信は朱子学者であり、国学に批判的などと言うが、国学を批判したとされるこの花月草紙などは明らかに国学者が書くたぐいの和文の随筆であって、源氏物語をほめたりもしている。 どちらかといえば、国学者として国学を論じているのであって、朱子学者の立場で国学を批判しているのではない。

藤氏のさかりになりて、君をなみしし勢ひを憚らず書いて、源氏の君を大臣の列に加へ給ひて、藤氏を押し鎮めしことも、夕霧を大学寮に入れ給ひしも、皆、かからんかしと思ふことをよそごとにして書けるぞ尊き。げにまたなき物語なりけり。されば見るごとに奥意の深きをおぼゆ。

とまあ、こんな具合に『源氏』を絶賛しているのだから、定信は国学者というしかない。 ところが、

ただ仏の道にのみ入りて、誠の道に暗ければ、冷泉の帝、光君の御子なりしことをはじめて、しろしめしたるところの書き様、道知らぬよりして、誤れりけり。ここのみぞ女童べなんどの見ても、道踏み違ふべくやと危くぞ覚ゆる。薄雲・朧月夜なんどの人の道に背けるは、童べも知りぬべければ、迷ふべしとは思はれずなん。仏のことをばやんごとなく尊き限り書けれど、よゐの僧のようなき事さし出でて言ふさま、三所にまで書きたるは、またをかし。此の物語を、ただにあはれを尽くしたるものにて、させることわり著したるものにはあらずと、もとをりの言ひたるはをかし。されどもはしばし、心はこめて書いたるには疑ひなし。

この「夜居の僧の用なき事さし出でて言ふ様」というのは、「薄雲」の巻で、冷泉帝の母桐壺が光源氏と密通して冷泉帝が生まれたのだということを、夜居僧都が冷泉帝にばらしてしまったことを言う。夜居僧都というのは宿直で侍っている僧侶という意味で、光源氏と桐壺の秘め事を実際に目撃したらしい。 「三所」というのはおそらく、「薄雲」の第一段から第三段に渡って、というくらいの意味か。

紫式部は、僧侶を高貴だとか、尊いとも思っていないと思う。少なくともこの夜居僧都に関しては、かなり批判めいた書き方をしているのではなかろうか。 ここで「をかし」といっているのはニュアンスとしては現代語の「おかしい」「変だ」という意味だろう。 その次いきなり本居宣長の「源氏物語はただ単に、あはれを尽くしたもので、格別何かの道理を説いたものではない」という意見も「をかし」と批判している。 定信は源氏物語を愛好していたが、ところどころ、女子供が読んで誤解するところがあるのがよろしくないと言っている。 また紫式部は仏教ばかりありがたがって、誠の道、つまりここでは朱子学を、知らないと言って批判する。 つまり、定信の源氏物語理解は宣長よりはよほど浅かったということではなかろうか。

花月草紙 はコメントを受け付けていません。