亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

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12.31.2018 · Posted in 歴史

石田三成は欲の無い人だ。 従五位下治部少輔という大して高くも無い官位官職で満足しているし、自ら城持ち大名になろうともしない。 三成は藤原惺窩とも親しかったようだ。

藤原惺窩、石田三成、近衛信尹。この三人はよく似た人たちだ。 しかし立場が違う。 三成は近江の地侍の子。 惺窩は定家の子孫、冷泉家の出。 信尹は摂家。藤氏長者。

信尹は公家に生まれながら武士になりたかった。 しかし武家にも人材はいくらでもいた。三成もそうだ。 信尹は秀吉に憧れ、だまされた。そして三成のように、秀吉に愛されることもなかった。 信尹は結局、秀吉を憎み、三成を憎み、摂家の御曹司として生きる道を選ぶしかなかった。

三成にしてみれば公家はもはや世の中に不要な存在に見えただろう。 天皇から豊臣家が権限を委任されて天下を治めればよい。

信尹はそうは考えなかった。天皇、公家、武家の三位一体ということを考えた。 それは室町幕府がとったシステムでもあった。 家康もそのシステムを踏襲したのだ。 秀吉は三成を選び、信尹は家康を選んだ。 江戸時代の摂家の地位があれほど安泰だったのは信尹が家康を取り込んだからだ。