光格天皇

光格天皇は、上皇になってから崩御したので、当時の慣習によれば、光格院と諡号されるはずであったが、
天皇号が復活して、光格天皇と諡された。
それは公家から武家に強く要望したからだという。
公家の中では中山忠能だけが反対したという。

後に明治になると、さかのぼってみな天皇号になった。
たとえば後鳥羽天皇は当時は後鳥羽院と諡号されたのだが、今では後鳥羽天皇と呼ぶのが正しい名前。
孝明天皇の父の代からそうだった、というのが興味深い。

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