旧暦

それでまあ旧暦の時報なんぞ始めてみるといろんなことが疑わしく思えてくる。

昔の人は日の出(明け六つ)とともに起き日の入り(暮れ六つ)とともに寝たのに違いない。
吉原なんてのは暮れ六つから開けたというが、要するに暮れ六つすぎると仕事は終わってあとは遊ぶというわけだろう。
普通の家庭では暗い中灯りを灯して晩飯なんか食うはずもない。
明るいうちに食事を終えすぐに寝たはずだ。

朝は朝とて、冷蔵庫も炊飯器もないんだから、
日の出とともに飯が食えるはずもない。
どんなに急いだって米が炊けるんだって一時間はかかるだろう。
かなり遅く、朝五つか朝四つくらいに朝食を食べたのにちがいない。
そんでまあ朝飯前っていうくらいだから、
飯を食う前に二、三時間は仕事をしたのではなかろうか。えっと夏の話ね。
冬はもっと日が短かったから、そんなには働けなかっただろう。
思うに、朝飯前という言葉は元はそれほど簡単な仕事をさしてはいなかったのではないか。
起きたばかりで飯を食う前の一番頭の冴えた、効率の良い時間帯のしごと、という意味ではなかったのか。

で、その次の食事は正午あたりではありえず、いわゆる昼八つころに食べただろう。
いわゆるおやつだが、これも、単なる間食というよりは、比較的しっかりした食事、という意味ではなかったか。
食べると眠くなるから休憩し、後は翌日の準備などするとあっという間に日が暮れるからそのまま寝たのではなかろうか。
つまり昔の人は朝四つと昼八つの二度食事をしたんじゃないか。

明治大正となりサラリーマンてのが出てくると九時五時の仕事となって、
学校なんかもそうだから、すると朝飯は朝七時くらいになり、晩飯は夜七時くらいになり、
そうなると正午くらいに昼飯を食うのが便利、ということになったんじゃないか。

でまあ、旧暦と和歌を対応させようとすると、
一月が立春で、梅。二月が桜、三月はとばして四月が藤、ほととぎす。五月は端午の節句で夏至、梅雨、花は菖蒲。
六月は真夏。とかなる。
どうも一月二月が花札にあわない。
花かるたってのも実は明治になって旧暦じゃなくなってから今のような形に落ち着いたのでなかろうかという疑いがふつふつとわいてくる。
しかしとなると藤は五月、菖蒲は六月でなくっちゃいけない。
どうもつじつまがあわない。

「さくら さくら やよいの空は」という歌詞もどうも明治の唱歌で確立したんじゃないかと思える。
明治と江戸は似ているようで全然違う。
暦と時刻が違うから全然違ってくる。

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