Manfred del Vasto

Manfred del Vasto は Adelaide del Vasto の父、というしかほとんど知られてないのであるが、

Manfred という名は Man + Fried (平和な男)という意味であるから、
ラテン系ではなくゲルマン系の名前であることは確かである。

del Vasto の Vasto は南イタリアの地名であり、
ノルマンコンクエストの結果、ノルマン人が獲得した土地の領主になったということであり、
それまで彼は
marquess of Western Liguria
であったはずだ。
当時のリグリア(今のジェノヴァ地方)は、
Obertenga (東)、Arduinica (西)、Aleramica (真ん中)の三つの辺境伯国に分かれていたとあるから、
マンフレッドはおそらく
Manfred del Arduinica
などと呼ばれていたはずだ。

彼は
[Aleramici](http://en.wikipedia.org/wiki/Aleramici)
というフランク王国に由来する、リグリアやピエモンテを治めていた一族に属するらしい。
生粋のイタリア人、というわけではない。
当然 Aleramica という地名と同源だろう。

ジェノヴァは、リグリアのほぼ中央だから、
Aleramica に生まれた自治都市国家、のようなものだったと思われる。
リグリアが三つの辺境伯国になる以前はアラブ人(の海賊)に支配されていたという。
彼らを駆逐するためにノルマン人(の海賊)が傭兵としてイタリアまですでに大勢来ていたと思われる。

ジェノヴァはやがてノルマン人による南イタリア征服の拠点となり、
十字軍の騎士を送り出す港となり、
繁栄していくのだが、それ以前は、おそらく、
いろんな海賊たちが入れ替わり立ち替わりする「辺境」そのものであったと思われる。

ていうか、
[Manfred I of Turin](http://en.wikipedia.org/wiki/Manfred_I_of_Turin)
によれば、
Arduinica というのはトリノ辺りのことを言うらしく、

> the marca extended from the Alps to the Ligurian Sea and the Po Valley. Under him, Pavia became a mercantile city.He also controlled the road between Genoa and Marseilles.

つまりアルプス(Susa Valleyとあるから、フランス国境付近のことか)からトリノ、
地中海地方のマルセイユやジェノヴァまで領有していたという。
この Manfred I of Turin が Manfred del Vasto の直系の祖先かどうかまではわからんが、
一族であるのは間違いなかろうと思う。

[Arduinici](http://en.wikipedia.org/wiki/Arduinici)
というのもAleramiciとほぼ同様らしい。
ここにも Manfred や Adelaide という名前の人がいる。
サヴォイア公の祖先にあたる、という。
ふむ。300年くらい間が空くようだが。

Adelaide は英語名で実際には Adalheidis などと言っていただろう。
スイスや南ドイツ由来の女性名。

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