琴線

shogun

幸仁親王関係。
図に書いてみるとすごくめんどくさい。
図は必要。
ていうか図無しでは読者わからんと思う。絶対に。
ていうか、徳川家と天皇家がこんなにややこしく入り組んでるとは、
普通の人は思いもよらんだろうね。
いやいや普通じゃない人も普通知らんよねこれは。
これでもだいぶはしょってるからね。
家綱、綱吉、家宣、家継とか書き込んでないしね。
書きようがないよね。

図でみてわかると思うがもし長仁親王が即位して、
かつ家綱が長仁を後任に指名してたら天皇が徳川幕府の征夷大将軍になっちゃってた。
これはすごいことなんだけど。
いや普通天皇が自分自身に将軍宣下はせんと思うが。
でもすごいことになってたかもしれんのですよ。
後水尾院と徳川家綱にやる気があったら江戸中期に公武合体がなってた。
しかし後水尾院には、その気がまったくなかった。
家綱には少しあった。
それがあなた、宣伝しますが、将軍家の仲人のメインテーマなんですが、
たぶん説明してもなかなかわからんと思うなあ。

風邪がなかなか治らない。
だいたいいつも一週間くらいかかる。
鼻からはいってのどにきて肺にまでくる。
菌がだんだん奥に攻めてくるかんじ。
それが一通りすまないと治らない。仕方ない。

2011.5.11 の超ヒモ理論を引っ張り出して読んでみる。
まあ、いまとあんま違わないがいろいろ書き足したりいじってあったりする。

まんがで必ず買うのは鈴木みそと久住昌之だが、
久住昌之の方は原作者だから絵柄はちがうわな。
「ずぼらめし」や「孤独のグルメ」が有名だが(それも買ったが)、
昔の「だんどりくん」とか「豪快さん」とかが好き。

ドラマになった「孤独のグルメ」は何かがちょっと違う。
違和感ありまくる。

「深夜食堂」はテレビドラマになってもまあまあ良かった。
あれはごく珍しい例で、私はあまりテレビドラマが好きじゃない。
あの作者は三遊亭圓生が好きなんだよ。
そこが少し琴線に触れる。趣味が近い。
だがあまりくどい人情話されると読んでられないし、
連載が長引くほどそれが陳腐になっていく。
今はもう読んでない。

将軍家の仲人はあれはけっこう圓生の「八五郎出世」(「妾馬」とも)と言う話をネタとして使ってある。
「お鶴の方様お部屋様」「ご男子ご出生」なんてのはそのまんまだ。
為永春水も少しまじってるかな。

鈴木みそと久住昌之に共通するのはあの独特のリアリティだわな。
昭和の空気感というか。
あざとさがない。
女子高生とか妹とかBLとかミステリーとかメンタルやんでる感じとか。
あざとい設定の小説は、あーこいつ、最初の設定があざとい、
と思うともう読めない。

たとえば、精神病の美人の女子高生の話があるとする。
こういうのが困る。
精神病患者と医者の話を淡々と書いてくれるのであれば、たぶん読める。
しかし、なぜ女子高生なのか。
しかも、なぜ美人なのか。
必然性があれば読める。
だが、ただ単に、客寄せのためにヒロインを女子高生にし、さらに美人であることにしている。
つまり、精神病患者という劇薬と、美人女子高生というあざといネタを、
特に必然性もなく混ぜ合わせているように思えるのである。
つまりそれがテレビドラマの仕立て方というものであり、
三文ライターのものの書き方というものではないか。
それが人工旨味調味料的な味わいにして、
それがリアリズムを欠落させ、しらけさせてしまうのだ。
あーなんか同じようなネタが「ぶらよろ」にもあったかもしれん。
別に美人じゃなかったな。ふつうの若い女だったような気がする。
それならまあ許せる。

逆に、そういう仕掛け無しに(もちろん仕掛けはあるんだが)ぐいぐい引き込んでくれるものが、
鈴木みそと久住昌之にはあるわけよ。
もちろん緻密に計算されている。
それをわかった上で私も読んでる。
計算に乗っかるのが楽しい。
きちんと仕込みをしてくれているし素材も新鮮で心地よい。
ぜんぜんあざとくない。
たとえて言えば、おまかせで握ってもらえる板前さんみたい。
信頼してる。

でも二人とも必ずしも有名ではない。
有名かも知れないがメジャーではない。
我が道をいく感じ。
たぶん私の琴線には触れても、大多数の人の琴線にはかすらない。

計算に乗っかるのが心地よいとか、
琴線に触れて気持ちいいとかいう作家に巡り会わない限り私は読まない。
乱読とかあり得ん。
気持ちにこなけりゃ自分に合ってないからと読まないだけ。

安藤レイは知り合いがアンドロイドのノベルゲー作ってたので、
自分でもアンドロイドものが書きたくなって書いたのだけど、
世間一般のアンドロイドのイメージをできるだけ裏切るように書いた。
アンドロイドってのは日本の場合、松本零士がそうとう影響を与えている。
セクサロイドとかね。
そんでまあそういうものを期待してたら裏切られると思う。

超ヒモ理論もそう。
twitter みてると、だいたいタイトルに反応してる。
たぶん中身読むとイメージと違うと思う。
実は非常にまじめな青春ものなので、クズでダメなどろどろしたヒモのイメージで読み始めると裏切られると思う。

エロティシズムはあるがエロはない、という言い方でわかってもらえるだろうか。
わからんだろうな。
ていうかまあ、私の小説が琴線に触れるひとというのはある一定数いると思うが、
多くはない。
それ以外の人たちにはがっかりしてもらうしかない。
たくさんの人に読んでもらい多少は話題になってもらわないと、
同じ固有振動数を持つ人の目に触れないから仕方なく多少ネタに走っているが、
そのネタで楽しんではもらえないと思う。

でまあ、将軍家の仲人をだいぶ書き換えたので一度無料キャンペーンする。
ついでに西行秘伝も。
私の歴史小説は、「光圀伝」みたいなもんでは決してないです。
冒頭から違うなと思った。
新撰組でも坂本龍馬でもないです。
そうだなあ。子母沢寛みたいなのはいいんだが、
いまどきの幕末維新ものはどれも好きになれん。

山本一力、風野真知雄とかは嫌いじゃない。
読まないけど。

山本周五郎はすきだけど吉川英治はきらい。

やっぱそこが琴線というか固有周波数なんだよなあ、きっと。
内容どうこう言うのはやめておく。

つまり私の小説は見た目と実際の固有振動数が違う、そういう設計なんです。
軽いと思ったら重かったり、
重いと思ったら軽かったりすると思う。
見た目と中身が違うと売る人は困るだろうね。
ま、私の場合売る人と書く人は同じなんだがね。

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