見しやいつ

正徹

> 見しやいつ 咲き散る花の 春の夢 覚むるともなく 夏はきにけり

なかなか巧んだ歌である。
「春の夢覚むるともなく夏はきにけり」
まさに今の季節をうまく言い表しているなあと思う。
「見しやいつ」
もなかなか斬新な言い回しだなと思って検索してみると、
どうも明日香雅経が最初らしい。

> あきはただ かれぬるかさは みちしばの しばしのあとと みしやいつまで

「かれぬるかさは」は「枯れぬる風葉」で合っているだろうか。

初句切れで反語または疑問というのは小野篁以来よく使われる形だが、
「見しやいつ」は「冬の御歌の中に」後伏見院御製

> みしやいつぞ とよのあかりの そのかみも おもかげとほき くものうへのつき

が最初か。
典型的な京極派だよね?
後伏見院が京極派かどうか明記されてはいないが、
父の伏見院も弟の花園院も京極派だから当然京極派だわな。
字余りだがちゃんと母音の連続という規則で回避しているのが見事といえば言える。

正徹にはもう一つあり、

> 見しやいつ 心とけつる うづみびに 春のねぶりの 冬の夜の夢

こちらはあまりに狙いすぎてていやみだなあ。
ていうか正徹が京極派をまねているというのが、不思議な気もするし、
全然当たり前な気もする。

> 秋の風 立てるやいづこ みそぎせし 昨日も涼し 四方の川浪

「立てるやいづこ」これも同工異曲か。

> 春霞 たてるやいづこ みよしのの よしのの山に 雪はふりつつ

古今集詠み人知らずの歌。
うーん。
正徹よく勉強して、本歌取りしてる感じだわな。
そこらへんは定家に近い。

一休は正徹の弟子で、正徹物語下巻「清巌茶話」は一休が正徹の言葉を聞き書きしたというがほんとかね。
正徹物語を読む限り正徹がかなりの変人で乱暴者であったのは間違いないのだが、
このころの臨済宗の僧というのはみんなそんな感じであったろうか。

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