焼き尽くす献げ物

[「燔祭」か「焼き尽くす献げ物」か?](http://www.geocities.jp/hirokuro01/hansai.html)

サムエル記上2:12-16
> さて、エリの子らは、よこしまな人々で、主を恐れなかった。
民のささげ物についての祭司のならわしはこうである。人が犠牲をささげる時、その肉を煮る間に、祭司のしもべは、みつまたの肉刺しを手に持ってきて、それをかま、またはなべ、またはおおがま、または鉢に突きいれ、肉刺しの引き上げるものは祭司がみな自分のものとした。彼らはシロで、そこに来るすべてのイスラエルの人に、このようにした。
人々が脂肪を焼く前にもまた、祭司のしもべがきて、犠牲をささげる人に言うのであった、「祭司のために焼く肉を与えよ。祭司はあなたから煮た肉を受けない。生の肉がよい」。
その人が、「まず脂肪を焼かせましょう。その後ほしいだけ取ってください」と言うと、しもべは、「いや、今もらいたい。くれないなら、わたしは力づくで、それを取ろう」と言う。

普通に考えて、祭壇に献げた犠牲を完全に燃やしてしまうということは考えにくい。
神道でも仏教でもやらないことだ。
仏壇にお供えした食べ物は普通後で人が食べる。

サムエル記を読む限りでは、
祭司はお供えの肉を食べることがあったようである。
生肉のまま食べてはいけないが、
煮たり、
脂肪を焼いて煙にしてしまった後に残る肉は食べた、と解釈できるように思う。

シロはイスラエル12支族の一つエフライム族の土地にある町。
この時代、幕屋と契約の箱は移動をやめ、このシロに留まり、
やがて神殿が建てられたという。
しかしながら祭司のレビ族はそのまま神殿を管理したのであろう。
契約の箱はペリシテ人に奪われるが、
後に送り返された(ということになっている)。
祭司エリはレビ人であったように思われるが、養子のサムエルはエフライム人のようにも思われる。
レビ人に独占されていた祭司が普通のイスラエル人に移っていったことを意味しているのかもしれない。

レビ記2:1-3
> 人が素祭の供え物を主にささげるときは、その供え物は麦粉でなければならない。その上に油を注ぎ、またその上に乳香を添え、
これをアロンの子なる祭司たちのもとに携えて行かなければならない。祭司はその麦粉とその油の一握りを乳香の全部と共に取り、これを記念の分として、祭壇の上で焼かなければならない。これは火祭であって、主にささげる香ばしいかおりである。
素祭の残りはアロンとその子らのものになる。これは主の火祭のいと聖なる物である。

穀物が献げられたときも、
司祭はその一部を取って焼くが、残りはレビ族で食べて良い、と書かれている。
つまりレビ族は自分自身の土地を持たず、
自給はできないが、祭壇に献げられたものを食べて生きていた、と考えられるのである。

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