万葉集では「将宿」を「寝む」と訓む。
人麻呂の「ひとりかもねむ」の「ねむ」が「将宿」と表記されている。

> 足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾乃 永長夜乎 一鴨将宿

なんでやねんと思う。
しかし万葉集の他の用例を見ると、
「将宿」は「宿らむ」とも訓まれ、
「将去」は「ゆかむ」、
「将隠」は「隠さむ」、
「将泊」は「泊てむ」、
「将示」は「示さむ」、
「将有」は「あらむ」、
「将見」は「見む」、
「将超」は「こえむ」、
「将吉」は「よけむ」、などと訓まれているのである。

つまり、意志の助動詞「む」を意訳して「将」とした。
まさに~しよう、という意味があるからだ。

「ひとりかもねむ」は
「獨可毛将宿」と書かれたり、
「獨鴨念」と書かれたり、
「一香聞将宿」「一鴨将寐」「孤可母寐」「一鴨将宿」「獨鴨寐」などと書かれたりもするが、
「比登里可母祢牟」と書かれたものもあり、これは「ひとりかもねむ」と訓まざるを得ない。
万葉時代には良く使われた言い回しだったのだろう。

「ながながしよを」は「永長夜乎」と書かれているが、
これでは「ながながよるを」と訓んでもよい。
「ながながきよを」「ながきながよを」かもしれない。
なぜ「ながながしよ」となったのか。

私なら

> あしひきの 山どりの尾の しだり尾の 長き長夜を ひとりかも寝む

と訓みたい。

平安時代すでに「ながながし」はシク活用なので「ながながしき夜」となって余計変だ。

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