サハラの民

民主主義とか報道の自由というものは、
ヨーロッパやアメリカの秩序で世界が実際に治まっていたころには正しかったかもしれん。
というより、結果論としてうまく行っているから社会主義よりか資本主義が「正しい」、
全体主義よりか自由主義が「正しい」と言われているにすぎない。
世界が治まらなくなったとき、
世界に適応していないやり方がただ正しいという理屈だけで正しくありつづけられるかどうか。

私には、昔フランスがアラブをぶん殴った仕返しに、いまアラブにぶん殴られているだけにしか見えない。
アラブは昔ぶん殴り返そうと思ってもできなかった。我慢していた。
今は少しできる。
国家間の戦争という形ではできないが、テロでならできる。
ヨーロッパとアメリカが世界中を植民地にした反動が、
第二次世界大戦後、植民地の独立という形で一旦おさまったかに見えた。
ヨーロッパは植民地を放棄すればそれでチャラだと思ったかもしれない。
独立国は内戦を始めた。
ほらみたことか、植民地なんか自治ができるわけないと思っただろう。
しかし自治とか国家とかそんなレベルでなくて、
旧植民地は今やヨーロッパに仕返ししようとし始めている。
手段を選ばずに。

サンテグジュペリの小説にも不帰順部族というのが出てくる。
かれらは当時微力で、サハラの沙漠から出てくることができなかったから、
パリの市民は安心して眠れたのだ。
だが、フランスは旧植民地から大量に移民を受け入れてしまった。
フランスは免罪のつもりだったかもしれないが、サハラの沙漠の民は、許したつもりはないかもしれん。

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