源満仲

源満仲にも一つだけ和歌が残っている。『拾遺集』

> 清原元輔
> いかばかり 思ふらむとか 思ふらむ 老いて別るる 遠き別れを

> 返し 源満仲朝臣
君はよし 行末遠し とまる身の 待つほどいかが あらむとすらむ

清原元輔を源満仲が送った歌。

どうも、清和源氏初代、源経基は一応平将門の乱に関わり鎮守府将軍となったが、
大したことはしていない。
同じく将門の乱で征東大将軍となった藤原忠文のような役回りだろう。

経基の子・満仲も摂津に武士団を形成し鎮守府将軍となったというが、
ほんとに武将と言える人か不明。

満仲の子・頼光も、どうも武士らしくない。
しかし同じ満仲の子・頼信、
頼信の子・頼義、
頼義の子・義家は明らかに武士である。
だが、頼信、頼義、義家には和歌が残ってない。
こうして見たとき、頼光の末裔である頼政も、
どちらかといえば、武士らしからぬ武士だったということになる。

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