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新撰和歌 巻第一 荓序

05.17.2016 · Posted in 新撰和歌

玄番頭従五位上 紀朝臣貫之上

昔延喜御宇、属世之無為、因人之有慶、令撰萬葉集外、古今和歌一千篇。 更降勅命、抽其勝矣。 伝勅者執金吾藤納言、奉詔者草莽臣紀貫之 云云。 未及抽撰、分憂赴任、政務餘景、漸以撰定。 抑夫上代之篇、義尤幽而文猶質、下流之作、文偏巧而義漸疎。 故抽下始自弘仁、至于延長、詞人之作、花實相兼而已、今之所撰、玄之又玄也。 非唯春霞秋月、潤艷流於言泉、花色鳥聲、鮮浮藻於詞露、皆是以動天地感神祇、厚人倫成孝敬、上以風化下、下以諷刺上、雖誠假名於綺靡之下、然復取義於教戒之中者也。 爰以春篇配秋篇、以夏什敵冬什。 各各相鬪文、両両雙書焉、慶賀哀傷、離別羈旅、戀歌雜歌之流、各又對偶、惣三百六十首、分爲四軸、蓋取三百六十日、關於四時耳。 貫之秩罷歸日、將以上獻之、橋山晚松、秋雲之影已結、湘濱秋竹、悲風之聲忽幽。 傳勅納言亦已薨去。 空貯妙辭於箱中、獨屑落淚于襟上。 若貫之逝去、歌亦散逸、恨使絶艷之草、復混鄙野之篇。 故聊記本源、以傳来代云爾。

「始自弘仁、至于延長」

弘仁(810 – 824)、嵯峨・淳和天皇の時代。 延長(923 – 931)、醍醐・朱雀天皇の時代。

以下は他人による註釈か?

中納言兼右衛門督藤兼輔 承平三二十八薨五十七

中納言兼右衛門督 藤原兼輔 承平三(933)年二月十八日薨去、五十七歳。

醍醐帝 延長八九十九崩四十六

醍醐天皇、延長八(930)年九月十九日崩御、四十六歳。

紀貫之、承平五(935)年、土佐より帰洛。 天慶三(940)年、玄蕃頭。 天慶六(943)年、従五位上。 天慶八(945)年、木工権頭。 ということはこの序は943年から945年までの間に書かれたことになる。

黄帝崩葬橋山

黄帝、崩じて、橋山に葬る。『史記』「五帝本紀 黄帝」に見える。 「序」中に出る「橋山」の解説か?

舜崩蒼橋之野於江南九疑是為零陵

これも『史記』「五帝本紀 舜帝」に見える。 正確には「崩於蒼梧之野。葬於江南九疑。是為零陵。」

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