亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

食卓の賢人たち

09.11.2016 · Posted in 読書

アマゾンで買った電気時計とかリモコンとかが続けて不良品で、 返品、交換することになった。 誰かが出品してるんじゃなくてアマゾン直営。 なんかもう自分がクレーマーか何かになった気分になるし。 届いた品が動かないと精神的に消耗する。 たぶんこういうのって店頭販売で不良品が多くてそういうの家電量販店とか秋葉のショップなんかからまとめて安値でアマゾンが買い取ってるんじゃないかな。 そういうのを返品・交換込みでネットで裁いている。 割と簡単に返品が効くんで、アマゾンとしてもそういう商売でいいんだって割り切ってやってんじゃないのかな。 まあねえ。 普通に量販店で手に入りにくいものを安値で買ってるわけだしリスクはあるわね。 高額な国産メーカー品だと返品理由も割と細かく書かされるみたいだが、 そうでないのはかなり適当だよね。 どうせパチモン買うなら一番安いやつにしといたほうが精神的ダメージは少ないかもね。 250円の得体の知れないリモコンとか絶対わかっててやってるよね。 まあ秋葉のジャンク屋みたいなもんだよな、この手のは。 そういやこないだタイムセールで買ったボクサータイプのパンツにもひどい目にあった。 遊びと割り切って買えばいいんだけどさ。

「食卓の賢人たち」は良書だ。 古代ギリシャっぽいフレーバーを文章にふりかけるのに重宝する。 こういうなんということのない、日常の食生活の空気感というのがね、 欲しいわけなんですよ。 フィクションにリアリティを持たすためにね。 てわけでいまだにちょこちょこ書き直してる。

kindle unlimited のおかげでときどき読まれているのがわかる。 以前にはなかったことだ。 そうすると自分でも気になって読み直すと書き直したくなる。 「将軍放浪記」は冒頭テンション高いんだが、途中でだれてくる。 そう、南北朝がどうしたこうした西園寺兄弟がどうしたこうしたとかそういうことを説明しているあたりで明らかにだれている。 以前は気付かなかった瑕疵が今は見える。 ていうか昔はこんな話だれが書こうが読もうがだれるに決まってるからって思ってこっちも書いてるんだが、定家の話とか調べてて、だんだん西園寺さんのことにも詳しくなってきて、 あれっ、こんな雑な書き方してたんだなあ、って自分で気付く。そうすると書き直さないわけにはいかない。

今川了俊なんかが北条時行は死んでないとか言ってて、 まあ彼は今川ですし。足利ご一家の一員なのにわざわざ北朝に不利な証言をしているわけだから、 信憑性がありそうじゃないですか。 ということは、北条得宗家は滅亡したんじゃなくて、 歴史の中にフェードアウトしていった、ってことになる。 頼山陽も「亦不知其所終」なんて書いててそれがまあこのブログのタイトルにもなっとるわけですけどね。龍ノ口で斬られたなんてことは書いてない。 そうすると時行を生かしといてやりたいなあなんて著者ごころがわいてくる。 「将軍放浪記」のストーリーもかなり大きく影響受ける。 ましかし旧作なんでもうこれ以上いじらないことにした。

「将軍家の仲人」もかなり書き換えた。 つまり、話の流れがすっと流れてない。澱んでるところがある。 間部詮房の生い立ちを説明しているところなんかが澱んでる。 つまり昔自分で書いててあまり乗り気でなかったところなんだな。 そゆところをちまちま直している。

すみませんがそんなもんだと思ってください。

西田詮房、十八で百五十俵の小姓となり、間鍋と改め、のちにさらに間部と変えている。 百五十俵はそれなりの御家人なのでたぶん親が死んだか隠居して相続したんだと思うが、 親は西田清貞は甲府藩士で小十人組格とあるから、 推測するにやはり百五十俵十人扶持くらいであったろう。 小十人組頭というのはたぶん下っ端が十人いる中間管理職、みたいなもんだ。 間鍋氏と西田氏。 どちらかが甲府藩士の家柄で、もう片方は浪人か何かで猿楽師もやっていたはずだ。 ま、猿楽師はたぶん西田だろう。 それをいやがって詮房は間鍋に変えた。 間鍋を間部にしたのはおそらく鍋松(徳川家継の幼名)と字がかぶっているせいだと思う。 鍋松は実は詮房がお喜代に産ませた子ではないかという話がここから出てくるのだが、 まあ疑えばきりがないが、どうだろうかね。 そういう話にしてしまうこともできなくはない。 調べ出すときりがない。

でまあ思うにね。 この五年間ほど作家のようなことをやってみたわけだ。 昔のコネを使って紙の本も出させてもらった。 ずいぶん出版業界にも詳しくなった。昔は素人同然だったわけだから。 で、読もうと身構えている人、 探している人はもうほとんど読んでくれたんじゃないかと思う。 私の書いたものを読む読者ってのはそんなにたくさんいない。 そっからさきにはなかなか広がらない。 たとえば、NHKの大河ドラマで主人公が新井白石か、間部詮房かとか、 まあ地味だからやる可能性は低いわな、 でもそんなことがあって、KDPで新井白石書いてるやつがいるっていうんで、 読まれる。読んでみたらなんか普通じゃない切り口でいろんなこと書いてあるってんで話題になる、なんてことはおきるかもしれん。 そういういつ当たるかしれない仕掛けをできるだけいっぱいしかけておく。 そういうやり方しかもう残ってない気がする。 様子見ですよ。

ミステリーでも書いてみようかと思った。 警視庁捜査一課の女性刑事なんかを主人公にしようかとか。 でもまあ、調べてて、私は警察組織になんの興味もないし、 私より警察詳しい人とかいくらでもいるし、 殺人とか詐欺とかやくざとか性犯罪とかそんなものを扱う仕事なんて自分から関わろうなんて全然思ってなくて、書いてて気持ち悪いってことがわかって、やっぱ書くのやめた、ってことになる。 同じように、ラノベとか動物ものとか青春ものとか、或いは漫画とか、売れ筋のもの書いて注目集めて、それで自分の好きなジャンルに誘導するって手も考えたが、めんどくさいなやっぱり歴史物だけ買いてようってところに落ち着いてしまう。 まあ、なんか面白いネタを思いついたらともかく今後も書かないだろうなと思う。

「エウメネス1」を読んだ知人から「砂漠のような風景しか思い描けなかったのが残念でした」というようなことを言われたのだが、 サンテグジュペリの「星の王子様」「人間の土地」なんかをオマージュにして、 砂漠を体験したことのないわたしが、必死にリアルな砂漠を表現してみたんですよ! それがあの「ゲドロシア紀行」なんです。 喜んでよいのか悪いのか悩んだ。 まあ彼はこんなところ読まないだろうとたかをくくってこそっと書いてみる。 「エウメネス1」はギリシャ感が乏しくてインドとか砂漠ばっかりで、 だからこそアレクサンドロス大王のアナバシス(遠征記)なわけだが、 ギリシャの話が読みたかった人には肩すかしだろうと思う。 「エウメネス2」と「エウメネス3」ではギリシャっぽさを大サービスしたつもりだが、 それでもまあ、ほとんどの舞台はギリシャの外なんで、 だからアレクサンドロス大王はギリシャ以外の土地で活躍した人なんだから仕方ないんだけど、 たぶん読んでいる人は釈然としてないんだろうなって思っている。 ていうかアレクサンドロス大王がいまいち人気がないのは、 ギリシャムードに乏しいからなんだよな、ギリシャ世界にどっぷり浸ることができないの。 そりゃそうだよ。アレクサンドロスなんだから! アレクサンドロスはむしろイスラム世界でイスカンダルとか呼ばれて超人気が高い。 完全にアジアの王なんだよな、アレクサンドロスは。 そこんところが西欧史観に毒された日本人にはわからんのですよ!

「エウメネス4」はたぶんスパルタがメガロポリスで敗北する話をメインに、 オリュンピアスとエウメネスが初めて出会う話をサブに書くことにしたいなとか、 エウメネスとアルトニスが再会してなんか痴話げんかでもやらせるかなとか、 思っている。 しかしそれと同時並行でガウガメラの戦いがあるわけで、 ガウガメラを「エウメネス5」にもっていきたい。 そしてその続きはいよいよソグド。 ラオクスナカ、アマストリー、ヴァクシュヴァダルヴァ、アパマの話にいける。 それが「エウメネス6」になり、やっと「エウメネス1」につながる。 この辺まででたぶん1000枚は超える。超大作。

で、スーサに戻って来たあと、ハルパロスとのすったもんだがある。 アレクサンドロス大王死ぬ。 まあ、私としてはここらへんで終わりにしたい気持ちで一杯です。

ディアドコイ戦争始まってエウメネスやアマストリーが死ぬまで。 ちょっとそこまで書いてたらどんだけ長編になるのか想像もつかない。

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