亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

10.02.2016 · Posted in 映画

アマゾンプライムビデオというやつを最近は良くみるようになった。

J:Com の CATV でせっせと録画していたのだが、最近は録画はめんどくさくなってほとんど使ってない。 もったいない。 でも BS で自動予約録画する番組がいくつかある(酒場放浪記と女酒場放浪記だが)。 まあ使っていくしかなかろう。

そんで今日は、「東京ゴッドファーザーズ」と「パプリカ」を見た。

「東京ゴッドファーザーズ」は15年くらい前の東京が舞台で、今とはかなり違ってしまっている。 新宿中央公園にはもはや浮浪者のビニールシート小屋なんてないし、 もう誰も公衆電話なんて使わない。 勝手に線路に下りたら点検のために電車が止まっちゃうから普通捕まる。 いろんな意味で15年前の東京はまだまだいい加減だった。 新宿南口にはまだ屋台が出てたし。 東京で知り合いと偶然出会う確率はほぼ0%だ。 帰る路線が同じで帰宅時刻もかぶってたりすれば別だが。 しかしその偶然が余りにもかさなりすぎるし、しまいにゃ宝くじにあたったりするのがしらける。 そういう偶然に頼ったストーリー展開は、私ならやらない。 全部が偶然で出来ている話は書いてもいいがプライオリティが低く、 ほとんど全部を必然で組み立てていてそこにご都合主義の偶然を一つ混ぜるとすべての努力が無になるからだ。 まあ、2000年頃の新宿の雑多な風俗をアニメで表現した作品、として見れば良いのかもしれないが。

「パプリカ」には困惑する。 夢の中でまた夢を見る、他人との夢、現実とが混ざり合う。 それはそれで面白いのだが、やはり「夢オチ」はしらけるものだ。 「東京ゴッドファーザーズ」と同じようにそのしらける技を徹底的に反復したという意味で、ふっきれているつもりなのだろうが、 なんというのかなあ。こういう派手なけばけばしい作品を作られると、 まじめな作品を作ろうとしている人間にとっては、迷惑な部分もあるんだよな。

面白いから許すというところまでふっきれてないというのかなあ。 筒井康隆の原作があるから完全な娯楽に徹してない。どこか思わせぶりだ。 たぶん筒井康隆の原作は、読んでないからわからんが、その夢オチ特有のしらける感じをうまく回避して作品を成立させてたんじゃないかと想像するのよね。

私としては、「オカルト」とか「ファンタジー」のご都合主義を極力削り落としてリアリズムに徹しようとしているわけ。 で彼らがリアリズムを捨てて虚構に徹しててくれれば棲み分けできるんだけど、 オカルト屋さんやファンタジー屋さんは、リアリズムにもちょっかい出してくるじゃないですか。 ありがちなんだけど。 そうするとリアリズムの世界だけで書いてる人間にしてみると、自分の作品がただの地味な作品に見えて困るのよねえ。 現実にはそんな面白い話は簡単にころがってない。 その制約のなかでいかに面白く、地味じゃない話を作るか。 起こりえることを、それが起こる前に思いつくことには意味がある。つまりは予言だわな。新規性。 手垢の付いてないストーリー。処女地の開拓。 起こった後なら取材だわな。ま、それにはそれで価値はあるが。 一番つまんないのはテレビか何かでみたような展開をご都合主義という糊で貼り合わせたような作品だよね。

「シン・ゴジラ」なんかは割と硬派な作りで、フィクションとリアリズムが一つの作品の中に共存しているんだが、 互いを極力侵さないようにしている。 しかしフィクションとリアリズムがお互いにもたれ合ってるのは見てて不快よね。 シン・ゴジラは、 ゴジラはフィクションなんだが、自衛隊や米軍はリアリズムでできてるよね、少なくとも前半までは。 ヤシオリ作戦からおかしくなる。ゴジラが気絶してるうちに口から注入するとか、 爆弾電車ぶつけるとかドリフのコントだよね。 ヤシオリ作戦は単なるエンターテインメントの怪獣映画になっちゃっててサービスのつもりかもしれないが、私にはつまらない。 まともかくフィクションとリアリズムは混ぜないでほしいというのが私の感覚。

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