ボウリング・フォー・コロンバイン

この映画のキモなんだが、

2001.9.11 以後に取材されたものだと思われるが、
アメリカとカナダでは銃や弾の所有率や買いやすさなどはほとんど同じなのに、
カナダではほとんど銃犯罪が起こっておらず、
そのうえカナダでは家に鍵をかけさえしない、ということだと思う。
犯罪の街デトロイトの対岸サーニアですらそうなのだ。

マイケル・ムーアはその理由を分析するが、
アメリカという国が原住民を銃によって虐殺し、
さらには黒人奴隷が白人に対して暴動を起こすのではないかと内心怖れているために、
護身用の銃がないと精神的に不安なのではないかというのだ。

アメリカでも犯罪は減っているが犯罪を報道する回数は何倍にも増えているという。
メディアが不安を煽ることが、銃乱射という犯罪を生み出しているのではないかともいう。

なるほど、人種差別や凶悪犯罪はじょじょに減っているのだろう。
しかし、視聴者の関心が高いという理由で、メディアがある特定の犯罪を取り上げることによって、
そういう刺激的な犯罪が次第にエスカレートしていき、
模倣犯を生むという悪循環を作っているのだ。
この連鎖は、一度生み出されると、つむじ風のように、簡単には消えず、
エネルギーを吸収して成長すらする。
そのエネルギーを供給しているのは明らかにマスメディアであり、民衆の恐怖心だ。
多くのアレルギーや精神疾患がそうであるように、一度発症してしまうと、もとに戻すのは難しい。
アメリカではその不安と恐怖が世代をこえて再生産されている。

カナダにはそんな悪循環がない。
もともと犯罪件数が圧倒的に少ない。
だから、スーパーマーケットで銃弾を売っていても、
免許さえあれば簡単に銃を入手できても、
アメリカの俗悪な犯罪ドラマが国境を越えてあふれていても、犯罪はおこらない。

少なくともカナダの事例を見れば、銃規制に意味はないという全米ライフル協会の主張は正しい。
これは歴史的、社会心理的な問題なのだろう。

日本を見るに、日本はもともと銃や刀の規制は緩かった。
しかし戦後、暴力団どうしの抗争が社会問題化することによって、銃刀法がだんだんに厳しくなっていった。
戦前も刀を使ったやくざの出入りというものはあったのに違いないが、あまり問題視されていない。
やはり戦後の混乱とマスメディアのせいなんじゃないかと言う気がする。
そして銃規制や、ましてゲーム規制なんてことはあまり関係ないんじゃないかという気がする。

探偵物や刑事物に出てくる事件も統計と乖離しているのはあきらかである。
女性がいきなりストーカーに刺される、みたいなドラマにしたてやすい事件ばかりが繰り返し出てくる。
こういう風潮が社会心理というものを著しくゆがめ、犯罪を助長し再生産ているのではないのか。

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