昔、松屋はあまり好きじゃなかったのだが、今は少し好きになった。
昔は、某牛丼屋A、Bにしか行ってなかった。
Aはすでに食券になってくれたからいいのだが、Bは今も店員に金を払うシステムになっており、
これがもう私にはいらいらして仕方ない。
Aはもともと好きで今も好き。松屋は味付けが濃すぎてきらいだったが、今はわりとノーマルになってきた気がする。
肉質も上品になってきた?

で、Bだが、もともと味はすぐれていて今も悪くない。しかし、
経営者がいて、教育係がいて現場の素人のバイトがいて接客をやらせるわけだが、
バイトにいくら文句を言ってもらちがあかない。
食券にしてくれりゃその99%の不満は解決するのである。
なんなら完全に自動化してもらってもいい。
要するに、言葉で注文して後払いだから余計なプロトコルが増える。
そのプロトコルと接客マニュアルが私にはただいらいらするのだ。
こっちが牛皿と言っているのだから牛皿を出せばすむ話なのにかならず「ご飯はつきませんがよろしいですか」と聞き返す。
奥に戻ったあとチーフに言われてわざわざ戻ってきて聞き直すバイトもいる。
それが毎回なのでいいかげん腹が立ってもうBには行かんと決めた。

自動販売機みたいに、金を入れたら、或いはパスモみたいなカードで支払って、
牛丼が奥の厨房からベルトコンベアででてきてそれをセルフで食べる。私にはそれで何の問題もない。

ところが世の中には、空になった丼に手を合わせてごちそうさまと言い、
さらに店員にも一声ありがとうなどと言わなくては気が済まない人もいるらしい。
そういう話を聞くとなんだか自分が人情を解さない人非人になった気分になる。

私の場合、立ち食い蕎麦屋でもとてもおいしいとおもったときにはごちそうさまでしたと言って出てくるけれど、
そうでないときはむすっとして出る。
それもおかしいという人がいる。
そういう人は、アマゾンのレビューでいつも星を五つつけるのだろう。
いつも五つ星しかつけないひとのレビューに意味があるだろうか?
シャノンの情報量の定理によればそういうのは情報量は0である。

思うに、ホストとゲストの間の心の交流というものが欲しいならば、自分で、
なんかの旅行案内だか飲食店案内のサイトなんかに頼らずに、
自分の足で、そういう小料理屋みたいなところを探せばいいんだ。
小料理屋にもピンからキリまである。高いところは高いし、安いところは安い。
そうして気にいったところに通って、すきなだけごちそうさまとかありがとうと言ってやればいい。
その店主の、オーナーの、女将の目の前で。
こつこつと根気のいる仕事だと思う。

しかしめんどくさがり屋な人は目の前にあるコンビニや牛丼屋に入ってそこで人と人との交流を求めようとする。
その裏返しで店員に絡む人もいる。
どっちも私にはただうっとうしいだけだ。
コンビニもさっさと全自動化すれば良いと思う。
そうしてファストフードとかコンビニから人がいなくなれば世の中殺伐とするかといえばそんなことはない。
まともな飲食の店、まともな接客の店に人が流れるだけのことだ。
そういうまともな店はいくらでもあるし、需要が増えれば増えるだけ供給も増えるだろう。

某ハンバーガーチェーンも深夜営業をやめるというが当然だと思う。
あの終電待ちでだらだらソファで寝てるやつとか、
深夜時間帯を狙ってバイトいじめにくる頭のおかしなオヤジとか。
ここが日本かというくらい治安が最悪だった。あんなものはさっさとやめるがいいのだ。
私にいわせりゃああいうところでお礼をいうやつと文句を言うやつは同じ人種で要するに金も手間もかけずに人と交流したいわけよね。
そういう連中の居場所を提供しちゃいけないんだと思うよ。

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