僭主と王

僭主(τυραννος)と王(βασιλεύς)の違いはなんだろうかということをずっと考えていた。

Wikipedia の「僭主」を読んでもよくわからないと思う。
英語由来のタイラントだともっとわからない。タイラントには「暴君」という意味しかない。
これは一般化するよりは、古代ギリシャ世界における特有の呼び分け方だと思ったほうが理解しやすいと思う。

王というのは、血縁と地縁があって、その族長がなるものである。
だから王には血統があって、血筋というものが重視され、才能などはまあどちらでもよいということになる。
族長というものはどんな原始社会にもある。
王は、歴史に残らぬ古代から現代までずっとある君主の形態である。
人の集団は多かれ少なかれ、地縁と血縁、宗教や習俗でできているからであり、それは昔も今も大差ない。

これに対して、僭主はある程度文明が発達した社会にしか生まれ得ないはずである。

たとえば、地縁や血縁が強固なスパルタには僭主は生まれ得ない。王しかうまれない。

いっぽうアテナイやテーバイなどでは、無産階級が生まれ、奴隷や富豪などさまざまな、
地縁とも血縁とも関係のない市民がいた。
同じことはペルシャでもいえるのだが、
ペルシャのような巨大な国では皇帝独裁というものが発達した。
アテナイのようなミニチュアのような国では逆に、市民全員が政治に口出しする直接民主制というものが生まれた。

アテナイでもペルシャでも、一代で財をなしたり、あるいは領主となったり、
あるいは領地を相続したり、あるいは武力にうったえて政治権力をもったり、
戦争に功績があった将軍が民衆の支持を得て独裁を行ったり、
そういう形で僭主が生まれることがあるわけだ。

アテナイでは直接民主制もしくは貴族による寡占政治から逸脱した状態として、僭主が嫌われた。

しかし、ペルシャのように、大昔に支配者と被支配者が完全に分離した社会では、
ある日突然、一般人が領主になることがある。
それは婚姻によるものであったり、
跡取りがない領主が親しい奴隷に領地を相続させたりする。
宮廷の官僚や宦官などが王位を簒奪して領主になることもある。

アテナイではペイシストラトスとかテミストクレスが僭主と呼ばれる。
ペイシストラトスは貴族の親玉だった。無産階級をたくさん雇って農地や鉱山を開発させて一代で巨富を得た。
テミストクレスは戦争の英雄だった。サラミスの海戦でペルシャ艦隊を覆滅させた。
どちらも大衆を扇動して権力を独裁しようとしていると疑われたわけだ。

だけど、同じギリシャ人のポリスでもシチリアあたりだと全然違う。
どちらかといえばペルシャ世界と近い。

ギリシャ本土以外では、領主が血縁以外で継承すると僭主と言われる。
娘婿でもたぶん僭主扱い。
ただそれだけだ。

アテナイでは血縁や地縁が薄れてきたので、王政が貴族政に移行したのだろう。
直接民主制に移行したのは直接的にはペリクレスのせいだが、
狭いポリスで、アゴラに無産市民が集まって好き勝手いう環境が民主制というものを生み出したのだ。
でも同じギリシャ人でも、スパルタではそうはならなかった。
無産市民が発生せず、市民はみな農村にはなればなれで暮らしていたせいだろう。

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