三ヶ月くらい完全に作品の世界に没入していると、元の世界が完全にスワップアウトされてしまい、
元の世界に戻れなくなってしまう。
通説を覆す作業を延々とやっているわけで、
つまり誰も信用しない、自分自身すらも信用しない、
すべてを疑い否定するということを、根を詰めて、三ヶ月もやると、社会復帰できなくなる。

たぶん、三ヶ月ばかり引きこもって他人と会わなかったりしても同じこと(社会不適合現象)が起きるのではないかと思う。

社会から切り離された生活をしていればずっとその状態にい続けることもできたかもしれないが、
私にはそれは許されてない。
ウミガメやクジラがときどき水面に出て来て呼吸するように、
ずっと潜りっぱなしで創作活動できるわけではないのだ。

だいぶ前から精神的に病んできたような気がしていたが、
病気や肉体的な衰えに加えて、やはり、こういう自分を狂気に追い込むような執筆スタイルが、
精神をさいなんでいるのだと思う。

町の中を歩くときは人と多少ぶつかっても気にしない能力が必要だ。
もしいちいち気にしていたら、気が狂ってしまうだろう。
人と交わって生きるとはそういうことだ。

「血統」だとか「封建制」だとか言うが、
実際には「血統」でも「封建制」でもなんでもないことを言っていることが多い。
というか「血統」だけですぱっと割り切れていれば問題は発生しない。
1の次は2で、2の次は3でと、
自然数の定義みたいにすべてが自動的に決まっている世界に問題が起きるはずがない。

漢文教育だが、『日本後紀』みたいな日本人が書いた漢文も読ませなきゃだめだろ。
古典には和文以外に大量の漢文や漢詩が含まれていて、
それが読めないと他人が現代語訳した文章しか読めないということになるが、それじゃ全然ダメだ。
ドイツ文学を和訳で読んでるのと同じだ。
google翻訳様がこの先どのくらい賢くなるかしらないが、
たぶん当分はダメだ。
『吾妻鏡』とか『読史余論』とか公家の日記とかがんがん読ませなきゃダメだ。

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