共謀罪

「……田舎の県警なら昭和の任侠映画さながらにやくざと警察の泥仕合みたいな捕り物やってるじゃん、でも、東京のど真ん中じゃあもうそんな刃傷沙汰は廃れちまった。都下じゃ町田辺りでまだやってるがね。ほとんどは水面下の情報戦。僕らが「マルサの女」や「名探偵コナン」なんか見て喜んでるうちに、日本の反社会勢力は外国勢力と混血しつつ進化した。犯罪統計みてりゃ一目瞭然さ。殺人などの凶悪犯罪は激減した。しかし知能犯罪は増え続け、国際化し、ステルス化した。

で、佐々井は、我々がその名も知らぬシンジケートから、我々の知らないルートをたどって、報酬を得てるんだろうって推測できるわけ。」

「でも、それがほんとだとしたら、佐々井が得ている利益は国税局では把握できない。」

「そうなんだよ。みんなでわーっと踏み込んで、マルサ手帳と捜査令状見せて、でかいハサミでドアのチェーン切って、あちこちで一斉に家宅捜査して裏帳簿を押さえ、段ボール箱に詰めてトラックで押収とか、そんな時代がかったやり方は通用しないんだ、今の時代。テレビ局はいまだに国税局の強制捜査っていうと、そんな絵を撮りたがるがね。

これは『マリナ』に書いたことなのだが、共謀罪に反対しているのは、かつて全共闘とか中核派とかで暴れていた連中だと思うのだが、そういう連中の頭の中は昔の学生運動の時代から何も変わっていないのだろう。そして週刊誌で広域暴力団のドンパチの話なんかを読み、飲み屋のテレビ見ながら政治談義しておもしろがっているのだ。

推理小説、探偵小説、ミステリー、サスペンスなんかも多くはそういう古典的時代設定にとどまっている。まったくいつまでも大岡裁きじゃあるまいし。

『マリナ』は推理小説という形をとった推理小説批判でもあるのだ。というか、最初に死体が出てこないこの小説を推理小説だと思う人はあるまい。死体は最後にちょっとだけ出るのだが、最後まで死人が出ない小説を世間では「推理小説」とは思わないだろう。

現代のマイナンバー時代、共謀罪時代に即して推理小説を書こうというのであれば、推理小説というもの自体がまるきり変わってくる。ステルス化した名も無い国際シンジケートと闘わなきゃならないんだから警察もたいへんだよ。

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