亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

デフレの終焉

10.07.2017 · Posted in

かつて、松屋もすき屋も、吉野家の二番手として現れた。 昔のすき屋は、メニューも迷走していたし、何より牛肉がまずかった。 松屋も味付けが(とくにカレーが)きつすぎて、好きになれなかった。 牛丼の味も吉野家にははるかに及ばなかった。 何より吉野家ではビールや日本酒が飲めた。

ところが今、松屋もすき屋も、かなりうまくなってきた。 メニューも豊富で、どれを食べてもはずれがない。 そのうえ近頃は酒も飲める。 ああ、なか卯を忘れていたが、なか卯は昔から好きだ。

私は吉野家の店員とうまくコミュニケートできないのだ。 「牛皿」を注文しているのに「ご飯が付きませんがよろしいですか」と必ず聞き返されるのがぶち切れそうになる。 ビールと牛皿を頼んでいるんだからご飯を食べない。そういう客は一定数いるだろうに。 「牛皿」と明確に注文しているのに聞き取れないのか? こちらの発音が聞き取りにくいのか? 明確に、はっきりとした言葉で注文している客に失礼だとは思わないのか? 紙に書いて手渡そうかと思ったこともあった。しかし吉野家にそこまでしてやる義理は無い。 不愉快だからもう吉野家にはいかない。そう、吉野家は牛皿をつまみにビールを飲む客を軽く見ている。 「吉呑み」などと言って飲み客を誘っているようで実は酒を飲む客を嫌っている。拒んでいると言ってよい。 だから私はもう行かない。それだけのことだ。

食べ終わっても金を払わないと帰れないので、いらいらする。 だから私は食べ物が届いたらその時点で金を渡すようにしていた。 「鰻皿」を注文したときも「ご飯が付きませんがよろしいですか」と聞き返されて、 「あなたがたは牛皿や鰻皿を注文した客にご飯が付きませんがよろしいですかと確認するように教育されているようだが、その理由は何か」と聞いてみた。そして長々と言い訳めいた説明を聞かされたが頭の中に何も入っていかない文言の羅列に過ぎなかった。 要するに後からご飯も寄越せと言う客がいて、牛皿+ご飯は牛丼より高いから、その差額を払いたくないとごねる客がいるのが真の理由だろう。 そんなことは、牛皿しか食べない客には何の関係もない。迷惑な話だ。 コンビニで「ポイントカードはお持ちですか」と聞かれるのと同じようなものだが、 吉野家の料理の味は嫌いではない。今も食べたいと思っているが、店員とのやりとりに我慢がならないので、もう吉野家には行ってない。 吉野家が食券にしてくれれば行くかもしれないが。 世の中には飯を食ったあとお金を直接手渡してごちそうさまと言い、ありがとうございましたと言われたがる人がいるのだ。 そういう人だけ吉野家に行けばよい。私は行かない。

今は松屋やすき屋で十分だ。 ファミレスも立ち食い蕎麦屋もそうだ。 かつてデニーズやロイヤルホストは超高級レストランだったが、 今はガストやジョイフルなどの一番安いファミレスでさえそれなりに満足な食事ができる。 デニーズやロイホも高級路線を維持できなくなった。 立ち食い蕎麦も昔はまずいところばかりだったが、生麺ではなく冷凍麺が主流になると、 どこもそこそこうまい蕎麦が食えるようになった。

デフレとか規制緩和とか技術革新によって、日本の外食産業はすごく進歩したと思う。 松屋やすき屋のように世の中が順調に進化していくのは見ていて気持ち良い。 デフレによって日本は徹底的に合理化された。 デフレの恩恵である。 デフレは悪いばかりじゃない。

しかし、吉野家は、かたくなに昔ながらのスタイルを変えようとしない。 それだけ体力があり、固定客がいるからだろう。 デフレという淘汰圧を力尽くでしのいだ。

だが私は券売機で注文した段階で注文を確定し金も払いたいのだ。 吉野家のシステムは私には耐えがたい。 ああいうカウンター越しの対面の接客を人間的なふれあいと思う人もいるのだろう。 しかし私には、バイトの店員に決まり文句を喋らせ客には不便さを押しつけるだけの、非人間的な、客と従業員に対する虐待とも言えるものに思えるのだ。

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