亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

花月草紙

02.21.2018 · Posted in 読書

花月草紙 p.191

松平定信は朱子学者であり、国学に批判的などと言うが、国学を批判したとされるこの花月草紙などは明らかに国学者が書くたぐいの和文の随筆であって、源氏物語をほめたりもしている。 どちらかといえば、国学者として国学を論じているのであって、朱子学者の立場で国学を批判しているのではない。

藤氏のさかりになりて、君をなみしし勢ひを憚らず書いて、源氏の君を大臣の列に加へ給ひて、藤氏を押し鎮めしことも、夕霧を大学寮に入れ給ひしも、皆、かからんかしと思ふことをよそごとにして書けるぞ尊き。げにまたなき物語なりけり。されば見るごとに奥意の深きをおぼゆ。

とまあ、こんな具合に『源氏』を絶賛しているのだから、定信は国学者というしかない。 ところが、

ただ仏の道にのみ入りて、誠の道に暗ければ、冷泉の帝、光君の御子なりしことをはじめて、しろしめしたるところの書き様、道知らぬよりして、誤れりけり。ここのみぞ女童べなんどの見ても、道踏み違ふべくやと危くぞ覚ゆる。薄雲・朧月夜なんどの人の道に背けるは、童べも知りぬべければ、迷ふべしとは思はれずなん。仏のことをばやんごとなく尊き限り書けれど、よゐの僧のようなき事さし出でて言ふさま、三所にまで書きたるは、またをかし。此の物語を、ただにあはれを尽くしたるものにて、させることわり著したるものにはあらずと、もとをりの言ひたるはをかし。されどもはしばし、心はこめて書いたるには疑ひなし。

この「夜居の僧の用なき事さし出でて言ふ様」というのは、「薄雲」の巻で、冷泉帝の母桐壺が光源氏と密通して冷泉帝が生まれたのだということを、夜居僧都が冷泉帝にばらしてしまったことを言う。夜居僧都というのは宿直で侍っている僧侶という意味で、光源氏と桐壺の秘め事を実際に目撃したらしい。 「三所」というのはおそらく、「薄雲」の第一段から第三段に渡って、というくらいの意味か。

紫式部は、僧侶を高貴だとか、尊いとも思っていないと思う。少なくともこの夜居僧都に関しては、かなり批判めいた書き方をしているのではなかろうか。 ここで「をかし」といっているのはニュアンスとしては現代語の「おかしい」「変だ」という意味だろう。 その次いきなり本居宣長の「源氏物語はただ単に、あはれを尽くしたもので、格別何かの道理を説いたものではない」という意見も「をかし」と批判している。 定信は源氏物語を愛好していたが、ところどころ、女子供が読んで誤解するところがあるのがよろしくないと言っている。 また紫式部は仏教ばかりありがたがって、誠の道、つまりここでは朱子学を、知らないと言って批判する。 つまり、定信の源氏物語理解は宣長よりはよほど浅かったということではなかろうか。

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