亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

04.02.2018 · Posted in 雑感

大野晋『日本語の教室』の中で、夏目漱石が太宰春台の『独語』を子供の頃読んで面白いと思った。 一体に漢学者の片仮名ものは、きちきち迫ってきて面白い。などと書かれていて、探してみると、 吉川弘文館の『日本随筆大成』1-17に収録されているので、読んでみた。

本居宣長の連載を始めて、太宰春台のことも少し調べていたところだが、 彼は荻生徂徠の門弟で、漢学者なわけだが、父母は和歌が好きで、子供の頃和歌を学んだが、 和歌は所詮公家には勝てぬ、漢詩ならば公家を弟子にすることもできると思って、漢学を志したのだそうだ。 和歌についてもあれこれ書いていて、太宰春台が歌論なんて書いているのは意外だったので面白く読んだ。 特に伊勢物語とか在原業平を誉めているのが、へーという印象だった。 春台と宣長の考え方は和歌に関していえばほぼ一致していて、ますます意外だった。

昔『古今和歌集の真相』というものを書いて、古今和歌集を調べていたら、どうしても伊勢物語も調べねばならなくなって、 伊勢物語の解釈をカクヨムで書き始めたのだが、今は途中で放り出してある。 伊勢物語については、荷田春満が書いた『伊勢物語童子問』が面白いと思っていて、 読むだけでなくその解説も書きたいくらいだが、 どうも書きたいことがたくさんありすぎて困るくらいだ。 加藤千蔭も五十過ぎで隠居して学業に専念しているので私もそうしたいのだが、ますます仕事が忙しくなってきて困っている。

ともかくも夏目漱石は荻生徂徠あたりが好きで、頼山陽あたりまで時代が下ると嫌いらしい。 で、大野晋によれば、漱石は『明暗』を書くとき午前中に人間の心のどろどろしたのを執筆して午後は綺麗に気持ちを洗い清めるために漢詩を作ったというのである。 そういうふうにいちいち気持ちをリセットしなきゃ気がすまなかったらしい。 そう知ってみて漱石の漢詩をみると確かに彼の漢詩というのはやけに生真面目で、人情味にかけるように思えてくる。

陸奥宗光の父宗広などは、日本人が漢詩など作っても結局平仄や押韻などネイティブスピーカーじゃないとわからん、それに比べれば和歌は日本人であるからにはより深いところまで理解がおよぶからと和歌をやった人だ。ひとそれぞれともいえるが、春台の時代は公家の力がまだ強かったが、だんだんに地下の力が強まって、紀州だと宣長の養子の大平が和歌を流行らせたから、陸奥宗広あたりだと公家に気遣うことなしに和歌も詠めたのだと思う。

そろそろ明治生まれの人も死に絶えて、江戸時代の雰囲気を知っている人はいなくなり、儒学者や国学者の末裔も絶えて、昔は岩波古典体系くらいのものは作れたのだろうが、いまさらアレに匹敵するものを書けるほどの学者が棲息しているとは思えない。 ところがまだまだ活字になってない江戸時代の古典は多くて、はなはだ中途半端な状態であるのに、たいていのひとはもう古典研究というのはやりつくされているんだと思い込んでいる。 てこ入れするには、人々の意識を変えなきゃならんのだが、どうすりゃいいんだろうか。

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