亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

わたしを離さないで

04.04.2018 · Posted in 読書

『わたしたちが孤児だったころ』は、イギリスの社交界や、上海や、探偵、日中戦争などの割と食いつきやすいネタがちりばめられていて、 また独特の間の引っ張り方で、それなりに読み進められたのだが、 この『わたしを離さないで』は、そういう飾りや仕掛けを全部取っ払ってしまっていて、 だが俺のファンなら最後までついてこれるはずだ、みたいなマゾヒスティックな文章で、 ある程度固定ファンをつかんだあとにしか書き得ない実験作品みたいなもんで、 極めて読むのが苦痛だった。 それであらすじはあちこちのサイトを見てもうわかっていて、既に映画化されていたからそのDVDを借りてきて見て、だいたいのストーリーは把握した。 映画だけではわかりにくかったところは最後のマダムと先生の話にまとめてネタばらしされている。 この仕掛けも、『わたしたちが孤児だったころ』でフィリップ伯父さんがまとめてネタばらしするのとよく似ているといえる。

それでまあ、カズオ・イシグロが必ずしも科学に詳しくないだろうってことと、今みたいに IPS細胞がどうしたこうしたなんて騒がれるよりもずいぶん前に書かれたせいで、SFとしては出来が良いほうとは言えないのは仕方ないと思う。 1950年代、まだ科学や医学が十分に発達してなかったころは、ロボトミー手術とか、強制不妊手術などというものが普通に行われていたわけだ。そんな時代にクローン人間を作ることで癌が完治し平均寿命が100才超えるなんていう医療技術が確立されていたとしたら、クローン人間の人格なんてものは無視されて、どんどん技術だけが先走りしていた可能性はある。もっと早い、優生学や人種差別が当たり前だった時代にシフトさせれば、もっとあり得る話だ。だから、カズオ・イシグロの妄想は必ずしも何も根拠がないわけではない。 というか、この話はそもそも、大英帝国時代、当たり前に人種差別が行われていたころのヒューマニズムや人権運動をモデルにしたものだと思う。 『わたしたちが孤児だったころ』に描かれている大英帝国時代にあった、反アヘン運動というものも、やはりおなじような動機で取り上げたものだろう。一方で人種差別し、搾取しながら、他方で人道を説くことの欺瞞をテーマに取り上げる、というのはいかにもイギリス的だ。

それで、最初の頃はクローン人間はひどい育てられ方をしていたので、クローン人間をもう少し人道的に育てようという運動が起きて、クローン人間にも魂があることを証明しようとして、絵を描かせたりした(これは大英帝国が植民地で現地の「野蛮人」に施した啓蒙活動に似たものかしれない)。しかし一方で、現代人よりも優秀な人間を人工的に作り出せるという研究が発覚して(モーニングデール・スキャンダル)、クローン人間の人権運動というものもとばっちりを受けて頓挫してしまう。

植民地の土人たちを人道的に扱おうという運動は頓挫する。より理想主義者が現れたり、反動的な人たちや、現実主義者も現れたりする。『わたしたちが孤児だったころ』はまさしくそういう観点で書かれており、それをクローン人間の人権に置き換えればそのままそっくり『わたしを離さないで』ができあがるしくみになっている、といえる。まさにイギリスである。

でまあ、私も『妻が僕を選んだ理由』みたいなものを書いたりして、つまりこれは、科学技術が今後発達していくと、生身の人間というものはどんどん役立たずになり、サイボーグとか人工知能とかが比較優位になっていき、現生人類よりもすぐれた新しい種が作られる可能性もあり(自然に進化することはあり得ないが)、そうした場合に古い種、つまり現代人は、原種の遺伝子を確保しておくために「ジオコミューン」のような原始共同体(つまり、ホモ・サピエンスが種分化によって生まれた当初と近い環境)に隔離保護される時代がくるんじゃないかとかそんな話なんだけど、Yuval Noah Harai の Sapiens とか Homo Deus も同じテーマを扱ってるんだけど、『わたしを離さないで』もまあだいたい似たような小説であると考えて良いと思う。

でまあ、SFの宿命というべきか、2005年当時ならばまあそれなりの作品であったかもしれないが、2018年の今これを、カズオ・イシグロの代表作だとか、読んでおくべき作品だとかいうのは違うと思う。どちらかと言えば失敗作になると思う。彼はそもそもこんなものを書くべきではなかった。「who, in novels of great emotional force, has uncovered the abyss beneath our illusory sense of connection with the world」というノーベル文学賞の受賞理由に一番ふさわしい作品のように一見みえるが、そういう作品とは言えないと思う。

『わたしたちが孤児だったころ』を読んだあとならば、『わたしを離さないで』でこういうゲスいオチをもってくるというのは、十分予測可能だ。『わたしを離さないで』が面白くてわかりやすいなんてちっとも思わない。

『わたしを離さないで』が映画化され、日本でもテレビドラマ化されたのは、これがほかの作品より面白かったからというよりは、制作費が安くすむからであったろうと思う。 『わたしたちが孤児だったころ』のほうがずっと派手で映像にすれば面白くなるはずだが、そのためには1930年代のロンドン社交界とか上海などのセットが必要になり、CGもばんばん使わなきゃならない。 『わたしを離さないで』なら現代のイギリスに適当なロケ地があれば作れてしまう。 イギリスであることにすらこだわらなければ、ちょっとした学校と病院さえあればドラマ化できてしまう。まあ単にそれだけの意味だわね。

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