藤原定家

> 駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕ぐれ

定家にしてはめずらしく写生的な歌なのだが、
実際には存在しない情景を詠んでいる。何かはぐらかされたような気分になる。

つまり、「駒とめて袖うちはらふ」人影すらないただもう一面の雪景色というわけで、
しかもおそらくは定家は佐野の渡し場の光景を実際に見て歌を詠んだわけではあるまい。
ありありと目の前に情景が浮かんでくるようで、それをいきなり否定されて、
まったくの架空の絵空事でしたという結論。
定家はやはりよくわからん。
一種の禅問答だと言われた方がわかる気がする。

> 苦しくも降り来る雨か神の崎狭野の渡りに家もあらなくに

こちらが本歌らしい。

本歌取りのお手本とされる有名な歌らしいのだが、
こんなものが本歌取りなら取らぬ方がましだと思うのだが。
なんか解釈間違ってるか。

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