文士

先になくなった井上ひさしにしてもそうだが、
昭和とかそれ以前の文士たちは、性格的に破綻した人が多く、
それゆえに良い作品を残したなどと言う考えの人が多いように思うが、
実際には、昔の日本人というのはだいたいああいう性格のひとたちばかりであり、
その中の一部がたまたま文士となっただけなのではないか。
かつては警察も司法も非力で、国の統計能力も低く、ジャーナリズムも必ずしも今ほど全国を網羅し、把握し、報道する力がなかった。

江戸時代まではそれぞれの村落ごとに私的に成敗がされていたのが、その風習がまだ昭和までは残っていたはずだ。
犯罪率は今よりはるかに高く、事件のもみ消しや泣き寝入りなども日常茶飯事だったと思う。
それに、戦後のどさくさが加わり、
日本全体がかなり治安の悪い、すさんだ状態にあった。それが戦後の日本というものの実体だろう。
文士たちはたまたまその日常を、私生活にわたるまで、記録に残しただけなのではないか。
実生活が悲惨であればあるほど、そのすごみによって、作品が良くなり、
結果的に作家として生き残った可能性はあるかもしれんが。

小林秀雄によれば彼は戦前からずっと鎌倉にすんでいて、鎌倉は戦災を免れたそうだが、
鎌倉のあたりは、今はいたるところの谷戸まで住宅が密集しているが、これらも戦後の光景であり、
戦後のベビーブームと農村の機械化であふれたサラリーマンが都市部に集中したからだ。
戦後の繁栄の象徴と見るか、混乱の発展とみるか。

戦後の終身雇用・年功序列の会社組織を、小室直樹は生活共同体としての新しい「藩」と呼んだのだが、
確かに、日本全体が崩壊したのちに、戦前の比較的良好な人間関係は、松下・東芝・三菱などに代表される、
電機会社等の中に個別に隔離した形で、秩序を保ち得たのだろう。
そしてそれら会社組織を核として日本社会も秩序を回復していった。
しかしそれらの組織も今や再編成の時は来た。

ともあれ、平成に生まれた人たちは幸せだと思うわ。
昭和に生まれた私たちは、とかく昭和を美化したがるが、その暗部・恥部を、
平成生まれの人たちは実感としてはわからないのだから、まだ記憶が新たなうちに、
私たちがきちんと総括しておかなくてはならんのではないか。

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