吉野百首

なんか忙しいと、つい現実逃避してしまうようで、書きかけだった[吉野百首](/?page_id=5476)も完成させた。
宣長がまだ花の咲いてない吉野山に花見に行ったときの、やや間の抜けた旅の歌集なのだが、
吉野と宣長の因縁とか、生涯に三度行ったこととか、あるいは晩年における桜に対する執着などがわかる、
重要なものだと思う。
場所がらか、記紀・万葉調の歌が多いのも、宣長にしては珍しい。
「見まほし」と言うところを「見が欲し」と書くとか。
「里人が」と言うところを「里人い」とするとか。

「枕の山」は、宣長自身が版本を作ったというのだから、作品として公開する気まんまんだったことがわかる。
或いは、いろいろ褒められて、ついその気になったか。
これについて解題で、大久保正氏が

> 完成された歌集としての「枕の木」それ自体は、極めて意識的に構成された一個の芸術品に他ならないことが明らかになる。

などとめずらしく褒めている。
他ではさんざんに宣長の歌をけなしているのに。

現実逃避ということを

> いとまなきをりにしもあれ夜もすがらあだしごとのみはげみやはする

> うつせみの世のなりはひに飽き果ててひねもすはげむしきしまの道

これはひどい歌(笑)

> ことしげくつらきうつつはかへりみでたのしき道にいそしみにけり

> 忘るべきうつつならねどおくらせて今はと書を読みて楽しむ

> 楽しみを後にするてふまめ人にならましものを春のいそぎに

> 憂き世をば逃れ出でむと踏み分けて出づる方なきしきしまの道

> いとま無き世にまじらひて富もなし富しありせばとく逃れまし

> 富を得るすべもなき身は浮かれ世にいとまもあらで過ぐすべらなり

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