示現流

示現流は、一の太刀があって二の太刀がないと言う。
しかし、西部劇ではあるまいし、
一発だけで勝負が決まるというのは実におかしな話だ。
剣道でも残心というものがある。
一の太刀しかいらないのであれば残心も不要だ。

示現流は戦国時代に出来たのではない。
江戸時代になってから生まれた。
つまりは非実用的な剣法だったのではないか。
江戸時代に発達したさまざまな流派が結局は実戦にはなんの関係もないようにだ。
戦国時代にはすでに鉄砲と槍で戦争をするようになっていた。
刀を使った戦闘は屋内の接近戦などのごく限られた状況で想定されていたものだ。
そんなことを薩摩藩が知らぬわけがない。
近代戦闘・集団戦闘で示現流というものが役に立つはずがない。
示現流というのは要するになんかのまやかし、精神論の一種なのではないか。

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